外国は何回も憲法改正してるから日本も改憲すべき…は正しいか

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憲法改正の議論になると、決まって「外国では何回も憲法を改正してるんだから日本も憲法を改正すべきだ」とか「外国は何度も憲法を改正してるのに日本だけ憲法を改正しないのはおかしい」などと主張する人がいます。

「アメリカでは〇回、フランスでは〇回、ドイツでは〇回、中国では〇回も憲法を改正しているのだから日本だけ一度も改正していないのはおかしい、だから改正すべきだ」と言う理屈です。

ちなみに、憲法改正を積極的に推進している自民党も、ホームページに挙げている憲法改正草案のQ&Aの中で、次のようにアナウンスしています。

「また、世界の国々は、時代の要請に即した形で憲法を改正しています。主要国を見ても、戦後の改正回数は、アメリカが6回、フランスが27回、イタリアは16回、ドイツに至っては59回も憲法改正を行っています(平成25年1月現在)。しかし、日本は戦後一度として改正していません。」

(※出典:日本国憲法改正草案Q&A(増補版)|自由民主党憲法改正推進本部|3頁より引用)

しかし、このような「外国では〇回憲法を改正しているのだから日本も改正すべきだ」という主張は正当な意見としては認められません。

なぜなら、諸外国とは憲法構造自体が異なるだけでなく、統治機構(日本国憲法における国会・内閣・裁判所にかかる部分)の細かな修正しかしていない諸外国と憲法の基本原理(国民主権・基本的人権の尊重・平和主義)を変更しようとしている現在の日本とではその事情が根本的に異なりますし、戦後に諸外国で憲法の改正がなされたのは諸外国特有の事情があったからであって、そのような事情がなかった日本において諸外国の事例を持ち出して憲法改正を正当化しようとする議論には合理的理由が微塵も存在しないと言えるからです。

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諸外国における憲法改正の実態

先ほど述べたように、「他の主要国では何回も憲法を改正してるんだから日本も憲法を改正すべきだ」とか「外国は何度も憲法を改正してるのに日本だけ憲法を改正しないのはおかしい」などと主張して憲法の改正に前のめりな人は意外と多いわけですが、実際のところはどうなのでしょうか。

この点、諸外国で戦後(1945年以降)具体的にどのような内容の憲法改正が行われたのかという点は、国会図書館が作成しウェブ上でも公開している「諸外国における戦後の憲法改正(第5版)」に詳しく解説されていますので、この国会図書館の資料を参考に確認してみましょう。

この国会図書館の資料を読むと、確かに戦後(1945年以降)、オーストラリアでは5回、アメリカでは6回、中国と韓国ではそれぞれ9回、カナダでは19回、フランスでは27回、ドイツでは60回も憲法を改正している事実がありますから、「外国では何回も憲法を改正している」という点については事実のようです(※ちなみにイギリスは成文の憲法典自体が存在していませんのでここには含まれていません)。

なお、各主要国で具体的にどのような憲法の改正が行われているかという点は以下のページでそれぞれまとめていますので参考にしてください。

諸外国における憲法改正の事実が日本の憲法改正を正当化する根拠として適切ではない理由

諸外国における憲法改正が具体的にどのようなものであったのかという点の詳細は上に挙げたそれぞれの国について述べているページを確認していただきたいのですが、これら諸外国で行われた憲法改正の事実は、以下に挙げる5つの理由から日本の憲法改正を正当化する根拠にはならないといえます。

(1)諸外国の憲法改正は統治機構の細かな修正が行われただけ

上に挙げた諸外国のページでも詳しく述べていますが、主要国の間では戦後(1945年以降)に憲法が度々改正されているとはいっても、その改正のほとんどは議会や政府(行政)、裁判所など「統治機構」に関する改正に限られているのが実情です。

諸外国では憲法が頻繁に改正されているのは事実ですが、その内容は国の統治に関わる政府や議会、裁判所や外交関係(欧州ではEU加盟など)に関係する憲法の修正に限られており、人権や国民主権といった国の根幹にかかわる条項が改正されたわけではないのです。

しかし、今の日本で政府(自民党)が目指しているのは憲法の基本原則(基本的人権・国民主権・平和主義)を含む憲法の全面的な改正です。

自民党の憲法改正案については自民党のサイト(日本国憲法改正草案(平成24年4月27日(決定))|自由民主党憲法改正推進本部)で公開されていますが、その自民党の改正案では基本的人権や国民主権、平和主義といった憲法の基本原理(憲法の三原則)を後退(縮小ないし制限)させる改正条項が随所に見られます(※この点の詳細は『憲法を改正すると国民主権が後退してしまう理由』または『憲法9条に自衛隊を明記すると平和主義が平和主義でなくなる理由』)。

つまり、諸外国では憲法の「統治機構」に関する細かな修正しかしていないのに、日本では基本的人権や国民主権、平和主義といった国の原則を変えてしまう憲法改正を議論しているわけです。

諸外国における戦後の憲法改正と今の日本の憲法改正とではその性質が全く異なるわけですから、諸外国で行われた憲法改正の事実を日本の憲法改正を正当化する根拠とすることは認められません。

(2)諸外国の憲法は日本であれば法律に規定されるような細目まで規定されているので改正が多くなるのは必然的

諸外国で頻繁に憲法が改正されたのは、日本では法律に規定されている細かな部分まで憲法に規定されていることも一つの要因としてあげられます。

日本の憲法は戦後に先進的な思想を多く取り入れる形で作られたもので構造的にも完成度の高いものでしたから、憲法本文には必要最小限のことしか記載せず細目は法律に委ねられる構造で設計されています(※日本の憲法が優れているという意味ではなく、日本の憲法は新しい憲法であるがゆえに”構造的に”完成度が高いという意味です)。

一方、諸外国の憲法(特に欧米諸国)は日本では法律に委ねられている部分まで憲法に規定されているものが多くありますから、日本では法律の改正で済む条文でさえ憲法改正が必要になる事例が多く存在するのです(たとえばドイツやフランスなど)。

このように、必要最小限のことしか規定していない日本の憲法と、細かな細目まで憲法レベルで規定している諸外国(特に欧州の各国)ではその構造自体が異なり、諸外国において憲法改正が頻繁に行われるのはむしろ当然といえるのですから、その諸外国の事情をもって日本の憲法改正を議論することはできないといえます。

(3)戦争に勝った連合国は旧来の古い憲法が継続されたためその修正が必要になっただけ

また、旧連合国で憲法改正が多いのは、戦争で勝利したがゆえに戦前のものが引き継がれることになったことも原因です。

先ほども述べたように、日本の憲法は戦後に先進的な思想を多く取り入れる形で作られたもので構造的にも完成度の高いものでしたから、時代が進行しても憲法の修正はそれほど必要にならないのは当然です。

これに対して、戦勝国側(連合国側)は戦争で勝ってしまったがゆえに先進的な思想を憲法に取り込む機会が得られないまま旧来の構造的にも古い設計の憲法がそのままの形で継続することになりましたから、時代の経過とともに憲法と現実の間の齟齬に気付き、先進的な思想を憲法に盛り込む必要が生じた結果、憲法改正が頻繁に行われたことはむしろ当然の帰結といえるでしょう(戦後、旧連合国諸国で統治機構の見直しや女性・先住民の人権保障のための改正が頻出しているのはこのためかと思われます)。

このように、諸外国で憲法改正が多く行われているのは、その構造上の理由が大きく影響していますので、諸外国で行われた憲法改正の回数だけを理由に日本の憲法改正を正当化することはできないといえます。

なお、戦争で負けたドイツやイタリアでも憲法改正が頻発していますが、それはドイツとイタリア特有の事情があったからにすぎません(※詳細は上に挙げたドイツとイタリアに関するページをご覧ください)。

(4)諸外国の憲法改正はEU加盟や東西統一、旧植民地国の先住民保護など諸外国特有の事情が原因

欧州諸国で戦後に憲法改正が多く行われたのは、EU加盟に必要な条約批准のための改正が必要だったことが理由の一つとして挙げられます。

またドイツでは東西統一もありましたから、その統一のための必要性から憲法改正が行われたという事情も存在します。

カナダやオーストラリアなど入植者によって建国された国では先住民族の権利保障などの必要性があったため憲法の改正がなされたという事実もあります。

一方、日本では欧州諸国のようなEUへの加盟やドイツのような東西統一の必要性はなく、入植によって建国されたカナダやオーストラリアのような先住民への配慮も必要なかった(※アイヌや琉球民族等については憲法14条で「法の下の平等」が保障されているのでその権利保障のための憲法改正は必要になりません)わけですから、そのような諸外国の事情を一切無視し、ただ諸外国の憲法改正回数だけを取り上げて日本の憲法改正を正当化させるのはあまりにも乱暴と言えます。

(5)韓国と中国の改正はクーデター政権や独裁政権下の改正であり参考にならない

なお、韓国や中国における戦後の憲法改正の事実を持ち出して日本の憲法改正を正当化しようとする人がごく稀にいますが、韓国についてはクーデター政権下や戒厳令下での改正が多く、中国における改正も毛沢東思想による文化大革命や共産党一党独裁政権の下での改正ですから、民主的な国民主権国家である日本における憲法改正の議論では比較対象にならないといえます。

日本で戦後に憲法改正が行われなかった理由

なお、国会図書館の資料(諸外国における戦後の憲法改正(第5版))を読んで私なりに日本で戦後に憲法改正が行われなかった理由をまとめると、以下のようになります。

【日本で戦後の憲法改正が行われていない理由】

  • 日本では統治機構(国会・内閣・裁判所)に比較的問題は生じておらず改正に関する議論が国民的議論まで発展していない(もしくは改正の必要性がないと国民が思っている)。
  • 日本の憲法では統治機構の大部分が法律(公職選挙法や裁判所法等)に委ねられていて憲法を改正する必要性がそもそもない。
  • 諸外国の憲法と異なり日本の憲法には最低限のことしか記載されておらず法律に委ねられている部分が多いためそもそも改正の必要性が生じにくい。
  • 加・豪のように先住民の権利を保護するための改正が必要なかった。
  • 欧州諸国のようにEU加盟に必要な憲法改正の必要性がなかった。
  • ドイツのように東西統一の必要性がなかった。
  • 諸外国に比べて基本的人権の保護が明確で改正の必要性が生じていない。
  • 諸外国に比べて国民主権が明確で改正する必要性が生じていない。
  • クーデターが起こっていない。
  • 某国のように人権や自由を制限したがる思想や政権が誕生しなかった。
  • 戦争前の憲法が継続された戦勝国(連合国側)と異なり、終戦当時の先進的な思想が多く取り入れられた憲法であったため、主要各国の憲法と比べても完成度が高くそもそも戦後に改正する必要性が生じなかった。

諸外国の憲法改正回数だけを引き合いに出して日本の憲法改正を論じるのはリフォーム詐欺と同じ

以上のように、確かに諸外国では戦後に複数回にわたって憲法が改正された事実がありますが、諸外国とは憲法の構造が根本的に異なりますし、内政や外交に関する事情の違いもあるわけですから、諸外国で行われた憲法改正の回数は、日本の憲法改正を正当化する根拠にはならないといえます。

また、先ほども述べましたが、日本の憲法は1945年当時の先進的な思想と政治制度を十分な議論を尽くして制定された当時の世界でも先進的で完成度の高いものでしたから、日本において戦後に憲法の改正が行われなかったことはむしろ必然ともいえるのです。

例えが適当かわかりませんが、諸外国の憲法を「築年数の長い中古の家」、日本の憲法を「新築の家」と考えればわかりやすいと思います。

築年数が経過した家はあちこちにボロが出てくるので随時細かなリフォーム(憲法でいえば細かな改正)が必要となりますが、新築の家は全てが新しく相当期間が経過しない限りリフォームの必要性自体がそもそも生じません。

にもかかわらず、リフォーム業者が新築の家に押し掛けて「他の家はリフォームしてるんだからお宅もリフォームしないと駄目ですよ」と営業を掛けてくるとすれば、それはもうリフォーム詐欺に間違いないでしょう。

憲法の改正に賛成する人は「よその国は憲法を改正してるんだから日本も改正すべきだ」と主張していますが、それはつまるところ、新築の家に押し掛けて「よその家はリフォームしてるんだからお宅だけリフォームしてないなんておかしいですよ」と強引に工事を勧める詐欺業者と同じなのです。

憲法改正に積極的な政治家や知識人が「外国では〇回も改正してるんだから…」という主張を展開する理由

このように、主要国の憲法改正の経緯を詳細に確認してみれば「外国では何回も憲法を改正している」という事実が日本の憲法改正を積極的に肯定する理由として全く機能しないことがわかるでしょう。

ではなぜ、自民党や憲法改正を積極的に推進する一部の(自称)知識人たちが口をそろえて「外国では何回も憲法を改正してるんだから日本も憲法を改正すべきだ」とか「外国は何度も憲法を改正してるのに日本だけ憲法を改正しないのはおかしい」などという詭弁を弄して憲法改正を正当化しようとしているかというと、それは皆さんが「憲法道程」だからです。

このサイトでは憲法を学んだことのない人のことを「憲法道程」と呼んでいますが、憲法をきちんと学んだことのない「憲法道程」の皆さんは、そのように言われれば「外国では〇回も憲法を改正してるのか!じゃあ日本でも改正すべきだ!」とか「日本だけ憲法を改正してないのはおかしいんだ!だから改正しよう!」とコロッと騙されてくれます。

だからあえてそのような主張を展開しているのです。

つまり、皆さんはバカにされているわけです。「憲法道程はバカだから外国では何回も憲法改正してるって言っとけば信じて改憲に賛成してくれるだろう」と考えているので、「憲法を改正してないのは日本だけなんだぞ」という理屈にならない屁理屈をことさらに大声をあげてアナウンスしているのです。

民主的な手続で主権や人権等を制限(後退・縮小)させる憲法改正を行おうとしている世界史的にも稀有な日本人というドМ民族

ところで、先ほども説明したように、国会図書館の資料(諸外国における戦後の憲法改正(第5版))を見る限り、第二次世界大戦後の主要国において人権を「拡充」する形で憲法を改正した事例は何度か見られますが(たとえば先住民の権利を拡充したカナダやオーストラリア、男女平等を明確化したフランスやイタリアなど)、国民の主権や基本的人権が「制限(ないし後退・縮小)」される方向で憲法の改正がなされたのは、「クーデター政権下で人権条項の法律の留保を追加した韓国」と、「公民の基本的権利及び自由を縮小した文化大革命における毛沢東思想全盛期当時の中国」と、「改革開放政策への転換で副作用として生じた民主化運動の抑制策として言論の自由の一部を制限した当時の中国」ぐらいしかありません。

※他の独裁国家でも人権や国民主権を後退させる憲法改正が行われている可能性はありますが、仮にそれがあったところでここで議論したい問題の結論に変わりはありませんので、ここでは国会図書館の資料に挙げられている米加仏独伊豪韓中以外の国の事例は考慮しないものとします。

この点、自民党の作成した憲法改正草案を確認してみると、先ほども説明したように「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」という憲法の基本原理を後退(ないし制限または縮小)させる改正案が随所に見られ、その逆に国の権限を拡大させる草案ばかりが目に付きます。

そうすると、もし仮にこの自民党の憲法改正草案が現実に採用されその改正が現実化された場合、その憲法改正は世界的に見ても特異的な事例となることは避けられません。

なぜなら、クーデターなどの軍事政権や独裁政権の影響がまったくない民主国家において、民主的な手続きによって人権や国民主権など憲法の基本原理を後退(ないし制限・縮小)させる憲法改正を行った事例は、長い世界史の中でも存在していないからです。

つまり、今回の自民党の憲法改正案がもし通ったとすると、「現在の日本」が「クーデター政権下で憲法改正した当時の韓国」と「文化大革命当時の中国」と「民主化運動を抑制する必要があった当時の中国」に仲間入りする、ということになるわけです。

※戦後の主要国で憲法における人権等の基本原理を後退・制限させる改正が行われた事例

  • 1972年に「人権条項の法律の留保」を追加したクーデター政権下の韓国
  • 1975年に「公民の基本的権利及び自由」を縮小した文化大革命下の中国
  • 1980年に「言論の自由の一部」を制限した改革開放路線移行当時の中国
  • 20XX年に「人権・国民主権・平和主義」という憲法の基本原理をすべて後退ないし制限・縮小させる改正をした自公維新連立政権下の日本(?)

中国の人々は、民主化された国家と自由をつかむために戦車に轢かれるのを覚悟で天安門広場に集い実際に多くの人が命を落としましたが、今でも十分な民主化と自由が得られないまま窮屈な毎日を過ごしています。

それに引き換え、日本国憲法の下で十分な国民主権と自由・人権が保障されている日本人は、自ら進んでそれを国に放り投げ、自ら望んで国家権力に縛られようとしているわけですから、日本人というものは相当なドM集団であって、世界的にも実に稀有な民族であるといえます。