自民党が公開している憲法改正案の問題点を一条ずつチェックするこのシリーズ。
今回は、「栄誉・勲章・その他の栄典の授与」に関して規定した自民党憲法改正案の第14条第3項の問題点を考えていくことにいたしましょう。
なお、第14条の第2項は「貴族制度の廃止」にかかる規定ですが、この規定は自民党憲法改正案第14条の第2項もほぼ変わりがないと思われますので2項の解説は省略しています。ちなみに第14条1項の「法の下の平等」の規定については『自民党憲法改正案の問題点:第14条1項|社会的弱者の差別を放置』のページで解説していますのでそちらをご覧ください。
自民党憲法改正案第14条第3項は栄典等にともなって「特権を与えるため」の規定
自民党憲法改正案の第14条3項は「栄誉や勲章、栄典」などを規定しています。
同様の規定は現行憲法の第14条3項にも置かれていますが、現行憲法の第14条3項は「栄典にともなう特権の禁止」の規定であって、その内容が大きく異なります。
ではどのような変更が生じているのか条文を確認してみましょう。
【日本国憲法第14条第3項】
栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
【自民党憲法改正案第14条第3項】
栄誉、勲章その他の栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
一見すると同じように見えますが、現行憲法で「いかなる特権も伴はない」と規定された部分を丸ごと削除している点が異なります。
現行憲法の第14条3項は「栄典にともなう特権の禁止」を規定する条文ですから、国家権力に対して「栄典を授与する場合でも、それにいかなる特権も与えてはダメですよ」と歯止めを掛けたのが現行憲法の第14条3項です。
一方、自民党憲法改正案の第14条3項はそこから「いかなる特権も伴はない」の部分を削除しましたから、結果的に「栄典にともなって特権を与えてもいいですよ」と明示したのが自民党憲法改正案の第14条3項と言えます。
この点、「いかなる特権も伴はない」という部分を削除しただけで「特権を与える」とは規定されているわけでないことから、必ずしも「特権を与えてもよい」という解釈にはならないじゃないか、と思う人もいるかもしれませんが、法が改正された場合には、従前の規定から何が除かれどのような文言が追加されたかという経緯も考慮して解釈しなければなりません。
そうであれば、この自民党憲法改正案第14条3項のように、あえて「いかなる特権も伴はない」という文章が削除されたことを考えれば、「特権を与える余地」を設ける趣旨でその部分が削除されたと解釈する方が自然でしょう。
つまり、現行憲法では仮に栄誉や勲章、栄典の授与がなされたとしても、その授与された者に「特権」が与えられることはありませんが、自民党憲法改正案の第14条3項が国民投票を通過すれば、制憲権を持つ国民が「特権を与える余地」を設ける趣旨で第14条3項から「いかなる特権も伴はない」という文章を削除したとの解釈が成り立つことになるので、その栄誉や勲章、栄典の授与を受けた者に何らかの「特権」を与えることもできるようになるわけです。
というよりも、栄誉や勲章、栄典の授与を受ける人になんらかの「特権」を与えるために、自民党はあえてこの「いかなる特権も伴はない」の部分を削除したのでしょう。
自民党憲法改正案の第14条3項は何が問題か
このように、自民党憲法改正案の第14条3項は栄誉や勲章、栄典にともなわせて何らかの「特権を与える」ための規定です。では、栄誉や勲章、栄典などを授与する際に何らかの「特権」を与えることは具体的にどのような問題を生じさせるのでしょうか。
(1)「法の下の平等」をなくす(差別を肯定する)のが自民党憲法改正案第14条3項
この点、まず言えるのが、憲法から「法の下の平等」がなくなるという点です。
現行憲法は第14条で「法の下の平等」を規定していますから、国民はすべて平等に自由と権利が保障されており、特定のだれかに「特権」が与えられることはありません。
【日本国憲法第14条1項】
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
しかし、自民党憲法改正案の第14条3項は、栄誉や勲章または栄典を与える際であれば「特権」を与えることを許容していますので、「法の下の平等」の特例が認められることになるわけです。
「法の下の平等」の特例が認められるということは、それは裏を返せば「差別を認める」ということです。
栄誉や勲章、栄典を与える際に「特権」を付与することが認められるのなら、その「特権」を与えられる特定個人はその「特権」を行使できる一方で、その「特権」を与えられないその他の国民はその「特権」を行使できないわけですから、それはその「特権」を与えられないその他大勢の国民は差別的な取り扱いを受けているということになります。
もちろん、自民党憲法改正案第14条も第1項で「法の下の平等」を規定しているわけですが(※詳細は→自民党憲法改正案の問題点:第14条1項|社会的弱者の差別を放置)、第3項から「いかなる特権も伴はない」を取り除いて「特権を与える余地」を明文化してしまったことで「差別を認める」ことになり、第1項の「法の下の平等」がある意味空文化してしまっています。
ですから、この自民党憲法改正案第14条3項は「法の下の平等」を破壊し「差別を認める」という条文になるわけです。
(2)明治憲法(大日本帝国憲法)で認められた特権階級の復活
ところで、こうした差別の許容は明治憲法(大日本帝国憲法)と同じです。
明治憲法(大日本帝国憲法)の下では国民は君主である天皇の臣民(臣下)であって、その臣民の自由と権利は法律で定められた範囲でだけ(法律の留保)、または天皇大権の下で許される範囲でのみ保障されるものでしたから、法律や天皇大権の留保があれば平等原則から外れた取り扱いをすることも許容されていました(※詳細は→明治憲法(大日本帝国憲法)と日本国憲法の根源的な違いとは何か)。
その代表的な例がいわゆる「華族制度」です。
華族制度とは明治維新によって政治権力を天皇に返上(大政奉還)した諸侯や公卿に貴族的な身分を与える制度で無学の私が説明するのは手に余りますが、作家の保阪正康氏はその著書の「華族たちの昭和史」の中で『華族 明治百年の側面史』を引用して以下のように解説しています。
「華族とは、端的には一八六九年(明治二年)六月十九日に、当時の公卿と諸侯を併合した際の呼称で、明治十七年の華族令により制度化された家系」という。もうすこしわかりやすくいうと、明治二年の版籍奉還の折にこれまでの公卿と諸侯をまとめて華族と称したというのである。もっとも公卿と諸侯を一括したうえで貴族という言い方をすることもあるというのだ。華族という語自体は、摂家に次ぐ家格の清華家を指す語でもあったというのだから、この語は広く天皇周辺の人たちには知られていたともいえるのだ。
※出典:保阪正康著「華族たちの昭和史」毎日新聞社刊13頁より引用|保阪氏引用書は「金沢誠・川北洋太郎・湯浅泰雄編『華族 明治百年の側面史』(1968年4月刊)」
こうして明治17年の華族令制定によって旧諸侯と公卿に「公爵」「侯爵」「伯爵」「子爵」「男爵」の爵位が与えられることになり、これがいわゆる華族制度と呼ばれていて、またこの五爵の他に「新華族」や「勲功華族」と呼ばれる国家の功労者に対して与えられる爵位もこの華族令で明文化されていました(※前掲保阪書14頁)。
つまり、旧公卿や旧諸侯に与えられた「公爵」「侯爵」「伯爵」「子爵」「男爵」の五爵に加えて、戦争などの功労者に与えられた「勲功華族(新華族)」の身分を有する人たちが「華族」と呼ばれた人たちです。
こうした華族には、当時の金額で数万円の金員が下賜されたり、満25歳(大正14年以降は30歳)に達すれば公爵・侯爵は自動的に、伯爵・子爵・男爵は互選によって帝国議会の貴族院議員になれるなど(前掲保阪書19頁)、特権的な地位が与えられていました。もちろん貴族院議員になれば歳費は国庫から支払われるので経済的な恩恵も含まれます。
このように、明治憲法(大日本帝国憲法)では明らかな身分制が採用されていて、旧公卿や旧諸侯だけでなく、戦争などで特別な勲功を挙げた人にも「勲功華族」として特権的な地位が与えられていたのが戦前の日本でした。
ではなぜ、こうした身分制度が戦後の現行憲法で廃止されたかというと、それはもちろんこうした身分的地位と特権を与えられた人たちが政界や経済界に影響力を持つことで民主主義が機能不全に陥った反省があるからです。
戦後はそうした反省から、国民をすべて平等なものとして「法の下の平等」を憲法に規定し、華族制度や財閥など政界や経済界に不当な支配力の及ぶ特権的地位を政治(統治)から排除することにしました。
そうして制定されたのが、現行憲法の日本国憲法であって「法の下の平等」を規定した第14条であり、「栄典にともなう特権の禁止」を規定した第14条3項です。
それにもかかわらず、自民党憲法改正案第14条はそうした反省を無視して第14条3項から「いかなる特権も伴はない」の部分を取り除いて「特権を与える余地」を明文化してしまいました。
こうしたことを踏まえれば、自民党憲法改正案第14条第3項は明治憲法(大日本帝国憲法)で実現されていた「華族」と同じような特権階級(身分制度)を復活させるための規定であると言えるのです。
ちなみに、明治憲法(大日本帝国憲法)でも第15条に爵位や勲章・栄典に関する規定が置かれていましたが、その条文は自民党改正案第14条3項とほぼ同じで、現行憲法のように特権禁止の文言は置かれていません。
【大日本帝国憲法第15条】
天皇ハ爵位勲章及其ノ他ノ栄典ヲ授与ス
この明治憲法の条文からも、自民党が明治憲法(大日本帝国憲法)と同じように華族等の特権的地位を予定していて何らかの「特権」を与える目的を持っていることが明らかと言えるのではないでしょうか。
(3)功名争いが国家を危機に陥れる危険性
このように、自民党憲法改正案第14条第3項は明治憲法(大日本帝国憲法)で実現されていたように「華族」と同じような特権階級を制度として可能にする規定と言えます。
しかし、こうした「特権」を与える身分制度は、先ほど述べたような「法の下の平等」を廃して差別を肯定するという側面だけでなく、国政を国民の望まぬ方向に誘導してしまう懸念を生じさせる点でも問題があると言えます。
なぜなら、栄誉や勲章、栄典などを授与する際に何らかの「特権」が与えられるとなれば、その「特権」を得ようとする人たちが、功名を争うことで国政を誤らせる危険性が生じるからです。
先ほど紹介した作家の保阪正康氏の話になりますが、昭和52年に保阪氏が先の大戦中に内大臣だった木戸幸一に知り合いの作家を通じて質問できる機会があり、「昭和期の軍事指導者たちが華族に加えられる可能性があったか」とその作家を介して木戸に質問したところ、「もしあの戦争に勝利するようなことがあったなら、東條をはじめとして軍人たちは俺も華族にしろと大変な要求をつきつけてきたことは間違いない」という内容の返答があったそうです(保阪正康著「華族たちの昭和史」毎日新聞社刊9~10頁参照)。
もちろん、このことだけをもって当時の軍人が「華族になりたいから戦争した」とまでは言えないでしょうが、華族(勲功華族)の爵位が与えられることで特権的地位を得られる期待が、戦争を肯定的に評価したり、戦争に勝つことを国民の命に優先してしまう意思決定に少なからぬ影響を与えたと言えるような気はします。
例えば旅順で膨大な兵士に突撃を命じた乃木希典にそうした影響は全くなかったと言えるでしょうか。ノモンハンやガダルカナル、インパールで無謀な作戦を繰り返した牟田口廉也や辻正信にそうした期待は全くなかったと言えるでしょうか。玉砕や特攻を容認した当時の戦争指導者たちにそうした要素が全くなかったと言えるでしょうか。
ちなみに戦後、華族令が廃止される際の議論の過程では「華族制度があると華族になりたくて戦争をしたがる。華族令は廃止したほうがよい」という意見もあったそうです(※前掲保阪書45頁)。
こうした過去の事例を見てみると、テレビの討論番組や情報番組あるいはネットメディアやSNSで積極的に自民党政権を擁護したり、あるいは政権を批判する意見を封殺するデマを拡散している人たちが世の中にはたくさんいて、そうした人たちが自民党を支持して憲法改正に賛成しているのも、改正後に何らかの勲章なり栄典が与えられる約束があって「特権」を受けられる期待があるからなのかな、とも思ったりしてしまうのですが、それは穿ち過ぎでしょうか。
ですが、もしその穿った見方があたっていて、戦争とまではいかなくとも自民党を支持する人たちだけに都合の良い政策がとられていくとすれば、それはその「特権」を受けられない大勢の国民にとって不幸でしかないのは間違いありません。
特権的地位を許容する自民党憲法改正案第14条3項は民主主義を機能不全に陥らせる危険がある
以上で説明したように、自民党憲法改正案第14条3項は栄誉や勲章、栄典に関する規定から「いかなる特権も伴はない」と述べられた部分を削除して「特権を与える余地」を設けていますが、これは明治憲法(大日本帝国憲法)で実現されていた華族と同じような特権的地位を復活させるもので「法の下の平等」を破壊する性質を持ちます。
また、そうした不平等は、結果的に国政が誤った方向に誘導されてしまう危険を招く点でも問題があると言えます。
憲法が「法の下の平等」を保障しているのは、それを保障することが民主主義の実現に不可欠だからなのであって、「法の下の平等」が破壊され特権的地位が特定の国民だけに与えられるような差別を許容する社会では、主権者である国民の政治的意思決定は歪められ民主主義は機能不全に陥ってしまうでしょう。
そうした危険な条文にわざわざ変える必要性がどこにあるのか、冷静に考える必要があります。