【自民党憲法改正案の問題点:第14条1項】社会的弱者の差別を放置

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自民党が公開している憲法改正案の問題点を一条ずつチェックするこのシリーズ。

今回は、「障害の有無」における差別禁止の規定を置いた自民党憲法改正案第14条第1項の問題点を考えていくことにいたしましょう。

第14条の第2項は「貴族制度の廃止」にかかる規定ですが、この規定は自民党憲法改正案第14条の第2項もほぼ変わりがないと思われますので2項の解説は省略しています。ちなみに第14条3項については『【自民党憲法改正案の問題点:第14条3項】特権階級の復活』のページで解説していますのでそちらをご覧ください。

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「障害」の差別を明確に禁止したことは評価できる

現行憲法の第14条1項は「法の下の平等」に関する条文ですが、自民党憲法改正案の第14条も同じ「法の下の平等」を規定しています。

もっとも、文章に若干違いがありますので双方の条文を確認してみましょう。

日本国憲法第14条1項

すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

自民党憲法改正案第14条1項

全て国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、障害の有無、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成

違う部分は「障害の有無」が追加された点です。

ここで言う「障害」には身体的欠損などの身体障害だけでなく、精神疾患などの精神障害も含まれるのだろうと思いますが、そうした「障害」を持つ人の差別をなくしましょう、ということをここで明文化したのだろうと思います。

この点、そうした障害者の差別をなくそうという点は評価できます。障害を持つことを理由に差別することは当然許容されませんから、それを明文で規定したこと自体は特に何も言うことはありません。

「障害」の差別禁止を明記したことで「障害に含まれない身体的・精神的特徴」の差別が取り残される可能性

ただ、一つ残念なのは「障害」という文言だけをあえて明文化したことで「障害以外」の個人の特性に関する差別の禁止が憲法上の保障から漏れてしまった点です。

自民党憲法改正案第14条1項は、法の下の平等に関する条文に「障害の有無」を新たに追加することで「(身体的又は精神的)障害」を理由とした差別を禁止していますが、実際の社会では「障害」には含まれない「(身体的又は性格的)特徴」が様々な場面で差別的な取り扱いを受ける場面に遭遇します。

ア)「障害」には含まれない個人の身体的特徴が差別される例

たとえば、火傷などで容姿に変貌が生じたケースや、いわゆる「ハゲ」「デブ」「ブス」など身体的な特徴を否定的に評価される人のことを想像してください。

こうした火傷等の傷跡や見た目の特徴は、その傷痕等が身体的機能に支障を生じさせるケースを除いて「容貌(見た目)」に特徴があるだけにすぎませんので、自民党憲法改正案第14条1項のいう「障害」には含まれません。

しかし、こうした「容貌(見た目)」に特徴を持つ人であっても様々な差別に晒されることは多くあります。

たとえば、その「容貌(見た目)」の特徴を理由に学校でその傷跡をクラスメイトにからかわれたり、就職の際にその容貌が原因で採用選考から排除されたり、仮に採用が受けられたとしても容貌の特徴を理由に接客の職種から排除されて裏方の仕事に配属されたりするなど、さまざまな場面で差別的な対応を受けることがあったりします。

また、たとえば「薄毛」や「肥満」や「痩せ」などの身体的特徴を持つ人も、学校や職場で「ハゲ」とか「デブ」とか「ガリ」などと嘲笑の的にされて、心に傷を受けながら生活することを余儀なくされることがあったりするわけです。

こうしたイジメや就業に関する制約は、その「容貌(見た目)」に特徴を持つ人の人格権(プライバシー権、幸福追求権等)を傷つけ、学校生活や就業を困難にしますので、基本的人権の観点から見れば「プライバシー権・幸福追求権」や「教育を受ける権利」、「職業選択の自由」などについて、その特徴を持たない人と比べて不平等な取り扱いを強制させられているということが言えます(※参考→お笑い芸人の「ハゲ・デブ・ブス」は表現の自由で保障されるか)。

つまり、「障害」とは異なり、「容貌(見た目)」に特徴を抱えるだけの人であっても、「法の下の平等」の保障を受けられず、差別に苦しんでいる人は多くいるわけです。

しかし自民党は、「法の下の平等」の条文に「障害の有無」と追加しただけで、こうした「容貌(見た目)」を持つ人の保障は明文化しませんでした。つまり、自民党が「障害の有無」と明文化したこと(その「障害」の中に「容貌(見た目)に特徴を持つ人」を含めなかったこと)によって、こうした「容貌(見た目)」に特徴を持つ人の生きづらさを今のまま放置することが、かえって明示されてしまったことになるわけです。

もちろん、憲法の「法の下の平等」の規定に「容貌(見た目)」を持つ人の差別を禁止する規定が明文化されていなくても、そうした特徴を持つ人に対する差別は明らかに「法の下の平等」に反するので第14条に違反するわけですが、「障害の有無」という文言をあえて条文に明記するのであれば、「容貌(見た目)」に特徴を持つ人のことまで考えて条文化するべきだったのではないでしょうか。

イ)「障害」には含まれない個人の性格的特性が差別される例

これは、身体的又は精神的「障害」とは異なる「性格的特徴(特性)」を持つ人に対する差別についても同じ事が言えます。

たとえば、今の日本社会にはいわゆる「引きこもり」などに代表されるように生きづらさを抱えたまま社会から孤立して生きている人が多くいます。

こうした生きづらさが何に起因するのかは人それぞれで異なると思いますので一概には言えないのでしょうが、そうした人たちが「社会になじめない」何らかの性格的な特徴(特性)を持っているのは想像できます。

たとえば、集団の生活にうまくなじめない性格だったり、集団よりも一人を好む性格だったりする人は、学校や会社になじめなくなり、またあるいはそうした性格や特徴がクラスメイトや同僚からのイジメの標的とされて「引きこもって」しまうのではないでしょうか。

こうした性格的な特徴はもちろんその個人の「個性」によるものですから、自民党憲法改正案第14条1項の「障害」には含まれません。

しかし、こうした社会参加できない人たちがいるということは、そうした「個性」を持つ人たちだけが社会参加の機会から排除されているということに他なりませんから、それは社会参加の機会の点で差別的な取り扱いを受けているということが言えます。

この点、こうした問題に対しては「本人の甘えがそうしてるんだ」「社会不適合者は社会に適合できるように努力すべきなんだ」などと主張して、その個性(性格的特徴・特性)を持つ人に努力を強要する意見もあります。

たとえば以前、某漫画家が引きこもり傾向のある人を念頭に「弱者が弱者のままでいいという社会は、実際にはない」などとブログに書き込んだことがありましたが、こうした主張も社会に適応しづらい個性(性格的特性)を持って生きづらさを抱えている人たちに「悪いのはお前だからお前たちが社会に適応できるようなれ」と本人に自助努力を求めている点で同じでしょう(※詳細は→「弱者」への「強くなれ」が幸福追求権の侵害にあたる理由)。

しかし、そうした個性(性格的特性)を持つ人たちを「社会不適合者」の地位に追いやり、彼らが生きづらさを抱える社会を形成しているのは、自分が「社会適合者だ」と自覚している多数の人たちなわけですから、自分たちがそうした個性(性格的特徴)を持つ人たちが生きづらい社会を作っておきながら「お前たちが努力しろ」と言うのは暴論でしかありません。

彼らが生きづらさを感じて参加しにくい社会を構築しているのは、社会に適合して社会を形成している我々なのですから、彼らに差別的な取り扱いをせず、彼らも我々と同じように参加できる社会をつくっていかなければならないのです。

しかし、自民党憲法改正案第14条は、ただ「障害の有無」と規定しただけでこうした「性格的特徴・特性」を持つ人のことは明文化しませんでした。つまり、自民党が「障害の有無」と明文化した(その「障害」の中に「性格的特徴・特性」を含めなかった)ことで、彼らを今のまま放置する選択をしたことが明示されたことになるわけです。

もちろん、憲法の「法の下の平等」の規定に「性格的特性・特徴」を持つ人の差別を禁止する規定が明文化されていなくても、そうした特徴を持つ人に対する差別は明らかに「法の下の平等」に反するので第14条1項に違反するわけですが、「障害の有無」という文言をあえて条文に明記するのであれば、そうした「性格的特徴・特性」を持つ人の平等まで考えて条文化するべきだったのではないかと思います。

たとえば、条文として規定するのであれば、「障害の有無」だけではなく「身体的又は性格的特徴」なども規定する方が人権保障としては良かったのではないでしょうか。

自民党改正案が「身体的特徴(容貌)」や「性格的特徴・特性」の平等を憲法に明記しなかった理由

以上で説明したように、自民党憲法改正案第14条1項が「法の下の平等」に関する条文に「障害の有無」を追加して「障害」を持つ人の差別を明確に禁止しその平等を明示したこと自体は評価できますが、あえて「障害」とだけ規定したことで、かえってその「障害」には含まれない「容貌(見た目)」や「性格」に特徴(特性)を持つ人が受けている不平等を放置することを宣言してしまう残念な条文になっているような気がします。

もっとも、自民党がそうした「容貌(見た目)」や「性格」に関する個人の「特徴(特性)」に関する法の下の平等を明文で規定しなかったのには理由があります。

なぜなら、自民党憲法改正案は「個人」の自由や人権を保障するものではなく「人」の自由と人権を保障するためのものだからです。

自民党憲法改正案は、その第13条で現行憲法が「全て国民は、個人として尊重される」と規定した部分の「個人」を「人」という文言に置き換えて「全て国民は、人として尊重される」という規定に変えてしまいました(※詳細は→【自民党憲法改正案の問題点:第13条】個人を「人」にして支配)。

「全て国民は、個人として尊重される」という文章の意味は、国民に保障される自由や権利は、その国民個人の個性を尊重して保障しなければならないということですから、現行憲法では「個人」の「特性や特徴」を尊重して自由や権利を保証しなければならないとしているところを、ただ十把一絡げの「人」として保障すれば足りると、憲法の規定を変えてしまったわけです。

国民の自由や権利を、国家権力がただ十把一絡げの「人」として保障すれば足りるとなれば、政府(国家権力)は国民”個人”の「特性」や「特徴」など考慮せずに、ただ「人」として自由や権利を保障すれば憲法違反ではなくなりますから、「容貌(見た目)」や「性格」に関する個人の「特徴(特性)」で差別的な取り扱いを受けている国民を無視してそれを支援する政策をとらなくても憲法違反にはなりません。

つまり、自民党改正案の第13条が「全て国民は、人として尊重される」と規定したところから考えれば、「容貌(見た目)」や「性格」に関する個人の「特徴(特性)」の平等保障を第14条1項に明記しなかったのは、むしろ当然と言えるわけです。

自民党改正案の目的は、国民を個性や特徴をもったかけがえのない「個人」としてではなく、十把一絡げの「人」として「その他大勢の中の一人」として位置付け、国民を「個」としてではなく「集団(の一人)」として管理するところにありますから、自民党にとっては「容貌(見た目)」や「性格」に特徴(特性)をもって生きづらさを抱えている人たちのことなどどうでも良いのです。

自民党憲法改正案第14条は「障害の有無」と規定して、さも障害者など「社会的弱者」に対する差別をなくそうとしているかのように見えますが、実際は「社会的弱者」のことなど全く考えているわけではありませんので、その点は十分に考慮する必要があります。

自民党憲法改正案第14条が「障害の有無」と規定した理由

以上で説明したように、自民党憲法改正案第14条は「法の下の平等」の規定に「障害の有無」と追加して障害者に対する差別禁止を明文化しましたが、障害者の平等を明記した点で評価できるとしても、「社会的弱者」の自由や権利保障を全く考えていない点が気になります。

「障害の有無」と規定した点からすれば自民党憲法改正案は一見すると「社会的弱者」の立場を考えているようにも思えますが、第13条で「個人」から「個」を取り除いて「人」に変えた結果として第14条1項に「容貌(見た目)」や「性格」に関する個人の「特徴(特性)」の平等保障を明文化しなかった点を合わせて考察すれば、とうてい「社会的弱者」のことを考えているとは思えません。

「社会的弱者」のことなど何も考えていないくせに、ただ「障害の有無」と追加しておけば国民の評価を得られるだろうとの打算が透けて見えるところに、なんとなく卑しさを感じてしまうのです。