憲法の改正を執拗にアナウンスし続ける自民党が公開している憲法改正草案の問題点を一条ずつチェックしていくこのシリーズ。
今回は、外国への移住の自由や国籍離脱の自由を規定した自民党憲法改正草案の第22条2項の問題点を考えてみることにいたしましょう。
なお、居住・移転の自由や職業選択の自由について規定した第22条1項の問題点については『自民党憲法改正案の問題点:第22条1項|新自由主義で格差を拡大』のページで詳しく解説していますのでそちらをご覧ください。
自民党憲法改正案の第22条2項は現行憲法から何を変えたか
自民党憲法改正案22条2項は外国への移住の自由と国籍を離脱する自由を規定した条文ですが、この条文は現行憲法にも同様のものが規定されていますので、同じ規定がそのまま移動した形になっています。
もっとも、条文に若干の変更が加えられていますので、解釈にも変更か生じることは避けられません。
では、具体的にどのように変えられているのでしょうか。条文を確認してみましょう。
【日本国憲法第22条2項】
何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
【自民党憲法改正案第22条2項】
全て国民は、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を有する。
※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成
このように、自民党憲法改正案は現行憲法で「何人も」とされている部分を「全て国民は」に置き換えたところと、「侵されない」とされている部分を「有する」に置き換えたところの2か所が異なります。
では、この変更が具体的にどのような解釈の変更を及ぼすのでしょうか。
「何人も」を「全て国民は」に変えたのは、在日外国人から「外国移住の自由」や「国籍離脱の自由」を奪うため
このように、自民党憲法改正案の第22条2項は外国への移住の自由や国籍離脱の自由に関して「何人も」保障すると規定した現行憲法の部分を「すべて国民は」に変えています。
しかし、こうした変更がなされてしまうと、永住資格を持つ在日外国人など日本国籍を持たない外国人が、「外国への移住の自由」や「国籍離脱の自由」の保障を受けられないことになり、国家権力によって不当に身体を拘束されてしまう懸念が生じます。
なぜなら、自民党憲法改正案の下では、基本的人権の享有主体としての「国民」を日本国籍を有する日本人に限定することができるようになっているからです。
(1)現行憲法では、外国人も人権の享有主体としての「国民」に含まれる
このように、自民党憲法改正案の第22条2項は冒頭部分を「何人も」から「全て国民は」に変えていますから、自民党憲法改正案からは基本的人権の一つである「外国移住の自由」と「国籍離脱の自由」を「何人も」に保障するのではなく、その保障する対象を「国民」に限定したいという意図が読み取れます。
では、その「国民」とは誰なのでしょうか。
この点、日本国憲法が第三章として「国民の権利及び義務」と表題されていること、また憲法第10条が「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」と規定され基本的人権の享有主体が「国民」に限定される外観を備えていることから、「外国人には人権は保障されない」と考える人もいるかもしれませんが、現行憲法における人権の享有主体としての「国民」には在日外国人など日本国籍を持っていない外国人も当然に含まれます。
第三章 国民の権利及び義務
【日本国憲法第10条】
日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
なぜなら、憲法で保障される基本的人権は、国家権力や憲法によってはじめて与えられるものではなく、人が「ただ生まれただけ」で当然に備えられているものだからです(※詳細は→日本国憲法における人権の享有主体としての「国民」とは誰なのか)。
憲法で保障される基本的人権が国家権力や憲法によって国民に与えられるものではなく、人が「生まれただけ」で当然に有しているものだとする考え方は自然権思想を基礎にした「天賦人権説」と呼ばれますが、これは憲法第11条に「現在及び将来の国民に与へられる」と規定されていることからも明らかと考えられています。
【日本国憲法第11条】
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
つまり、現行憲法で保障される基本的人権は「人が生まれながらにして持つ権利」という自然権思想を基礎にしていますので、現行憲法の下では国籍の有無にかかわらず全ての「人」に基本的人権は保障されていると考えらえているのです(いわゆる天賦人権説)。
憲法第10条では「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」と規定されていますが、基本的人権は論理的には憲法の成立以前からそもそも「人」に備えられているものなので、国籍など後天的な制度(法律)によって人権の享有主体性を否定することは原理的に考えて出来ません。
そのため現行憲法の第22条2項も「何人も」と規定して、すべての「人」に外国移住の自由や国籍離脱の自由という基本的人権を保障しているわけです。
(2)自民党憲法改正案の下では、外国人を人権の享有主体としての「国民」から排除することも可能となる
しかし、『自民党憲法改正案の問題点:第10条|国民の範囲が狭くなる』のページでも詳しく解説しましたが、自民党憲法改正案は憲法第11条の規定から「現在及び将来の国民に与へられる」の部分を削除している部分からも明らかなように、そのいわゆる”天賦人権説”を憲法から排除していますから、自民党憲法改正案が国民投票を通過すれば、自然権思想に基づいて基本的人権を「人がただ生まれただけ」で保障されると説明することができなくなってしまいます。
【自民党憲法改正案第11条】
国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。
※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成
自民党改正案の下では、憲法で保障される基本的人権は「人がただ生まれただけ」で保障されるものではなく、「国家が憲法によって」国民に保障するものとする臣民の権利思想に傾斜することになりますので、人権の享有主体としての「国民」の範囲を法律や法解釈で日本国籍を持つ日本人に限定することも憲法で認められるようになるわけです。
そうなれば、憲法第10条の解釈もおのずと変更が生じることになります。自民党改正案の下ではこの「天賦人権説」が否定されるので、憲法で保障される基本的人権の享有主体としての「国民」をすべての「人」と解釈しなくてもよくなるからです。
自民党憲法改正案の第10条は「日本国民の要件は、法律で定める」と規定し、その文面自体は現行憲法の第10条とほぼ変わりませんが、自民党改正案の下では、国籍など後天的な制度(法律)によって人権の享有主体性を否定することができるようになってしまうのです。
【自民党憲法改正案第10条】
日本国民の要件は、法律で定める。
※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成
(3)自民党憲法改正案の下では在日外国人に「外国移住の自由」「国籍離脱の自由」は保障されない
このように、自民党改正案は天賦人権説を否定していますから、自民党改正案の第10条と第11条の下ではすべての「人」に基本的人権を保障しなくても憲法違反とはならなくなりますので、日本国籍を持たない外国人に基本的人権を保障しなくても、それ自体は憲法違反にはならなくなってしまいます。
先ほどの(1)で説明したように、現行憲法の第10条は天賦人権説に基づくため「(人権の享有主体としての)日本国民たる要件は、法律でこれを定める」と解釈ことは不可能でしたが、自民党改正案の下では天賦人権説を否定しているので、第10条の規定を「(人権の享有主体としての)日本国民の要件は、法律でこれを定める」と解釈することも可能になるのです。
そうなれば、憲法第22条2項で保障される「外国移住の自由」や「国籍離脱の自由」も基本的人権の一つですから、自民党改正案の下では在日外国人や国籍を持たない外国人に「外国移住の自由」や「国籍離脱の自由」を認めない制度を法制化したりしたとしても、必ずしも憲法違反にはならなくなってしまうでしょう。
しかし、外国人に「外国移住の自由」や「国籍離脱の自由」を認めないとする場合に、憲法第22条2項の文頭の文言が「何人も」と規定されているのは都合が良くありません。
「何人も」と規定されていれば、文理的には基本的人権の享有主体は「何人も」でなければなりませんので、日本国籍を有する日本人だけでなく、日本国籍を持たない外国人であってもすべての「人」に「外国移住の自由」や「国籍離脱の自由」を認めなければならなくなってしまうからです。
そのため自民党は、憲法改正案第22条2項の文頭を「何人も」から「全て国民は」に変えたのでしょう。
「全て国民は」と規定しておけば、自民党改正案の下では国籍法上の日本国籍を有する日本人だけを憲法第22条2項の「国民」だとする解釈が成り立つので、あえて第22条2項の文頭の文言を「すべて国民は」に変えたのです。
つまり自民党が憲法第22条2項の文頭の文言を「何人も」から「全て国民は」に変えたのは、永住資格を持つ在日外国人など日本国籍を持たない外国人を「外国移住の自由」や「国籍離脱の自由」の保障から排除するところにその意図があると言えるわけです。
(4)在日外国人に「外国移住の自由」「国籍離脱の自由」が保障されなければ「かごの中の鳥」と同じ
このように、自民党憲法改正案の第22条2項は「外国移住の自由」と「国籍離脱の自由」を保障する規定の文頭の文言を「何人も」から「全て国民は」に変えていますが、これは在日外国人など日本国籍を持たない外国人をその保障から排除するところにその意図があります。
つまり自民党は、永住資格を持つ在日外国人など日本国籍を持たない外国人から「外国移住の自由」と「国籍離脱の自由」という基本的人権を奪い取るために、こうした文言の変更をしたわけです。
しかし、永住資格を持つ在日外国人など日本国籍を持たない外国人に「外国移住の自由」や「国籍離脱の自由」が憲法で保障されなくなれば、在日外国人などの外国人は、日本から出ることができなくなってしまいます。
これは海外移住や国籍の離脱だけでなく、海外旅行や取材のための海外渡航なども制限され得るということですから、政府(自民党)が望めば憲法解釈でいくらでも在日外国人の出国を制限することができるようになるということです。
ではなぜ、自民党が在日外国人の「外国移住の自由」や「国籍離脱の自由」を制限しようとしているのかという点に疑問が生じるわけですが、それは恐らく自民党が実現しようとしている新自由主義的な秩序の下で、在日外国人を都合の良い労働力として使用することが目的でしょう。
自民党改正案が新自由主義的な思想を強化し自由主義秩序を徹底させようとしていることは『自民党憲法改正案の問題点:第22条1項|新自由主義で格差を拡大』のページで解説したとおりですが、そうした新自由主義的な秩序は必然的に貧富の格差を拡大させ、国民に自己責任を強いる社会と不可避ですから、そうした弱肉強食を強いる無慈悲な競争原理主義を嫌う国民は、海外の住みやすい国に移住してしまうかもしれません。
しかし、そうなってしまえば自民党が実現しようとしている新自由主義的な秩序の下で地位を確保した一部の支配階層は労働力の不足で自分たちの利益を最大化することができませんから、国外への人材流出は最小限に抑える必要が生じます。
そのため、自民党改正案第22条2項は、在日外国人が国外に逃げられないように「外国移住の自由」や「国籍離脱の自由」を制限できるようにしたのでしょう。
第22条2項の文頭の文言を「何人も」から「全て国民は」に変えておけば、天賦人権説を否定する自民党改正案の下では、在日外国人を基本的人権の享有主体から除外しても憲法違反とはならないので、在日外国人の「外国移住の自由」や「国籍離脱の自由」を制限する制度を立法化することもできてしまいます。
そうしておけば、在日外国人を労働力として国内に拘束しておくことも可能となるでしょう。
つまり自民党は、永住資格を持つ在日外国人など国籍を持たない外国人を、日本から逃げ出せないようにして労働力として隷従させるために、第22条2項の文頭の「何人も」の部分を「すべて国民は」に変えたわけです。