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自民党憲法改正案の問題点:第4条|元号の強制で天皇中心の国に

憲法改正を執拗にアナウンスしている自民党がウェブ上で公開している憲法改正草案を条文ごとに細かくチェックしてその問題点の検討を試みるこのシリーズ。

今回は、自民党憲法改正案の「第4条」について確認してみることにいたしましょう。

なお、この記事の概要は大浦崑のYouTube動画でもご覧になれます。

記事を読むのが面倒な方は動画の方をご視聴ください。

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憲法に「元号」に関する条文を置く自民党憲法改正案の第4条

自民党が公開している憲法改正草案では、次にあげるように「元号」に関する条文を「第一章 天皇」の章に新設しています。

自民党憲法改正草案:第4条

元号は、法律の定めるところにより、行為の継承があった時に制定する。

※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成

この点、現行憲法の日本国憲法には「元号」に関する条文は置かれておらず、「元号」の制定は元号法という「法律」で定められ、その決定は内閣が閣議決定で命令する「政令」に委任されたものにすぎませんので、「法律」で根拠づけられたものに過ぎない元号が「憲法」で根拠づけられるものに格上げされた形になります。

では、このように現行憲法上は「法律(政令)」で根拠づけられるものに過ぎない元号を、あえてわざわざ「憲法」で根拠づけた自民党憲法改正草案第4条は具体的にどのような問題を生じさせるのでしょうか。

「元号」の使用が強制される方向に法的なバイアスが掛けられることになる

このように、自民党憲法改正草案第4条には「元号」に関する規定が置かれています。

この点、「元号」が「皇位の継承があつた場合に限り改める」ものであり(元号法参照)、天皇や皇室・天皇制と切り離すことのできないものであるとしても、すでに法律で規定されているものに過ぎませんから、それが憲法の「天皇」の章に明文で規定されても特段の問題は生じないようにも思えます。

しかし、元号があえて憲法に規定される意味をそのように軽く考えるのは危険です。なぜなら、元号が天皇と不可分なものである以上、国の最高法規である憲法に「元号」を規定することによって、天皇の権能を強化することにつながるからです。

現行憲法上「元号」は憲法で根拠づけられるものではなく「元号法」という「法律」によって根拠づけられるものに過ぎませんから、政令で定められた元号をどのように使うか、また元号を使うか使わないかも個人やそれぞれの団体が任意に決めてよいものであって国家権力から強制されるものではありません。

仮に国会で元号の使用を強制させる法律を制定しようとしたとしても、憲法が「幸福追求権(憲法13条)」や「思想良心の自由(憲法19条)」を基本的人権として保障していることから考えれば、天皇と密接に関連する元号を国民に強制する法律は、違憲性の問題がどうしても生じてしまいますので法技術的にも困難でしょう。

日本国憲法第13条

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

日本国憲法第19条

思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

つまり、今の日本で使われる「元号」は、絶対的・普遍的なものではなく、国民の自由意思に委ねられるものであって、それを使うか使わないかは国民が自由に決定できるものに過ぎないわけです。

しかし、憲法に「元号」の規定が明文として置かれるようになれば、憲法が国の最高法規(憲法98条)である以上、法律その他の法体系は、すべて「元号」の存在を前提としなければならなくなってしまいますので、「元号を使用しないこと」が違憲性を帯びてしまいます。

日本国憲法第98条第1項

この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

つまり、自民党憲法改正草案第4条が国民投票を通過して憲法に「元号」の規定が置かれるようになれば、「元号を使わないこと」が法的な違法性(違憲性)を生じさせる結果として、「元号を使用すること」が国民に義務付けられる社会になっていく方向に法的なバイアスが掛けられる懸念が生じるのです(※参考→自民党憲法改正案の問題点:第3条|国旗国歌の強制で天皇の国に)。

「元号」の使用強制に法的なバイアスが掛けられれば、それが「天皇」の権限強化につながる危険性を生じさせる

このように、憲法に「元号」の規定が置かれるようになれば、国民に「元号」の使用が義務付けられる方向に法的な作用が働きますが、それは天皇の地位を強化することにつながります。

なぜなら、元号は天皇制と密接不可分なので、その元号が憲法で国民に強制されるのなら、その元号と密接に関連する天皇制も国民に強制される方向に作用するからです。

しかし、現行憲法の日本国憲法が第1条で規定しているように、現行憲法における天皇は「主権の存する日本国民の総意に基づく」ものであって、天皇の地位さえも「主権の存する国民の総意」によって実現されるものとしたのが現行憲法における天皇制であって、それが憲法が基本原理として採用した国民主権原理の本質です(※参考→憲法1条の「天皇の地位は…国民の総意に基づく」の総意とは何か)。

【日本国憲法第1条】

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

つまり、現行憲法は天皇の地位を「主権の存する日本国民の総意に基づく」とすることで天皇の絶対性や普遍性を否定して、天皇が可変的であること、言い換えれば天皇制を変更または廃止することさえも主権の存する国民の意思に委ねることにして、天皇の可変性を確認したのが憲法第1条の「主権の存する日本国民の総意に基づく」という規定なのです。

ではなぜ、現行憲法の日本国憲法がその第1条で天皇の地位を「主権の存する日本国民の総意に基づく」として天皇の普遍性・不可変性を否定しているかというと、それは天皇を絶対的・普遍的な存在として位置付けていた明治憲法(大日本帝国憲法)の下で日本が全体主義を招き入れ、軍国主義を拡大させて戦争にまい進していった反省があるからです。

明治憲法(大日本帝国憲法)では天皇を「神聖」なもの「侵すべからざる」ものと定義したうえで「統治権を総攬」するものとして国を統治(政治)する権限、すなわち「主権」をも天皇に与えていましたが、その天皇に集中していた権能が当時の国家指導者や軍人に利用され、終わりの見えない戦争に突き進むことになりました。

そのため戦後に制定された現行憲法では、一部の国家指導者や政治勢力が国政を思いのままに操ることができないようにするために、天皇の神聖性や絶対性・普遍性・不可変性を否定してその権能を象徴的・儀礼的な国事行為に限定し、天皇の地位を「象徴でしかない」ものにしたのです。

しかし、憲法に「元号」が規定されることによって国民に「元号」の使用が義務付けられる社会になれば、その「元号」は今上天皇の時代を表すものであって「天皇」そのものですから、天皇の地位は絶対的・普遍的な存在として認知されるようになってしまいます。

つまり、憲法に「元号」の規定を置くことによって、天皇の地位が絶対的・普遍的な存在に置き換えられる(少なくとも天皇の地位が絶対的・普遍的な存在であるという認識を国民に与える)作用を生じさせてしまうのです。

ですが、先ほども説明したように、現行憲法が天皇を「主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定したのは、先の戦争で天皇に与えられていたが絶対的・普遍的な地位や権力(権能)が一部の国家指導者や軍人に都合よく利用されてしまった不都合を回避するところにあります。

憲法に「元号」の規定を置くことは明治憲法(大日本帝国憲法)で生じた天皇の政治利用の危険を招き入れるだけですから、民主主義・立憲主義の観点から問題があると言わざるを得ないのです。

憲法に「元号」を規定する自民党憲法改正草案第4条は先の戦争の過ちを繰り返させる危険を惹起させる

以上で説明したように、憲法に「元号」に関する規定を置く自民党憲法改正草案第4条は、元号と密接不可分な「天皇」の地位を絶対的・普遍的な存在に近づける結果、天皇に与えられた権能が一部の政治勢力に利用される危険性を生じさせる点で民主主義の観点から問題があると言えます。

もちろん、自民党がそうした天皇の政治利用を意図してこの条文を起草したのか、それはわかりません。

しかし、自民党憲法改正草案第4条が国民投票を通過することによって、現行憲法では政治利用される危険が限りなく少ない儀礼的・象徴的な存在しかない天皇の権能が、明治憲法(大日本帝国憲法)で実現されていたように一部の政治勢力によって簡単に利用されてしまう危険性が生じることになることは間違いないのですから、国民はその危険性を十分に認識したうえで自民党の憲法改正案に対する賛否を表示しなければならないと言えます。