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自民党憲法改正案の問題点:第54条1項|解散権が内閣総理大臣に

(2)解散に反対する国務大臣が連帯責任を負ってしまう

また、自民党改正案が内閣総理大臣による衆議院の解散権を認めていながら、その責任だけは国務大臣に連帯責任を強いている点も問題です。

先ほど説明したように衆議院の解散は天皇の国事行為ですが、自民党改正案ではその天皇が国事行為として衆議院を解散する際に必要となる内閣の関与について規定した第6条4項のただし書きで「内閣総理大臣の進言による」としています(※現行憲法の「助言と承認」が「進言」に変えられている部分の問題点については→自民党憲法改正案の問題点:第6条4項|助言と承認を「進言」に)。

自民党憲法改正草案第6条4項

天皇の国事に関する全ての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う。ただし、衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言による。

つまり、自民党改正案では内閣総理大臣に衆議院の解散権が与えられているので、たとえ国務大臣が解散に反対の意思を持っていたとしても内閣総理大臣が単独で衆議院の解散を決定することができるわけですが、内閣総理大臣が衆議院の解散を決定したことを受けて天皇が国事行為として衆議院を解散する際の「その責任」は「内閣」が「負う」ことになるので、内閣総理大臣が他の国務大臣の反対を無視して勝手に衆議院の解散を決定した場合であっても、内閣を構成する国務大臣は責任を負わなければならなくなってしまうのです。

この点、この内閣の「責任」は現行憲法では『政治責任』意味するため(※芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法」318頁)自民党憲法改正案でもおそらく『政治責任』の意味合いが踏襲されるものと解されますが、仮にその責任が『政治責任』にとどまり『法的責任』までは問われないとしても、それでは自分に責任のないことまで責任を負担できるという酔興な人か、内閣総理大臣とどこまでも心中できるほどの忠誠心を持つ人しか大臣にならなくなってしまいますから、内閣の合議体自体が高度な政治性を持つ合議体ではなくなり解散権を掌握した内閣総理大臣の翼賛機関と化してしまう恐れも生じてしまいます。

このように、内閣総理大臣に衆議院の解散権を与えた改正案第54条1項は、改正案第6条4項が天皇の国事行為に内閣の合議を必要とせず内閣総理大臣の関与だけで足りるとしながら、その責任だけは内閣を構成する国務大臣にも負わせている点でも大きな問題があると言えます。

(3)内閣総理大臣に衆議院の解散権を与えれば国務大臣は総理大臣に反対できなくなるので合議制に基礎づけられた議院内閣制が機能しなくなる

さらに指摘すると、衆議院の解散権を内閣総理大臣に置くことになれば内閣総理大臣に権力が集中することになりますが、それでは先の戦争で天皇やそれを輔弼する国家指導者に権限が集中したことで道を踏み誤った明治憲法の反省から現行憲法で採用された議院内閣制が機能不全に陥ってしまう点も問題です。

そもそも現行憲法が議院内閣制を採用したのは、戦前の明治憲法(大日本帝国憲法)が事実上の制限君主制となっていたことで天皇に集中した権能を国家指導者や軍部に都合よく利用されてしまった反省があるからです。

明治憲法(大日本帝国憲法)では「統治権ヲ総攬」する天皇が主権者であって(帝憲4条)、その主権者であるところの天皇に軍を統帥する統帥権(軍を組織し動かす権能)が置かれていましたが(帝憲11条)、その主権や統帥権を行使する天皇は神聖にして不可侵なものとされていて責任は一切負わない構造にされていました(帝憲3条)。

大日本帝国憲法第3条

天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

大日本帝国憲法第4条

天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

大日本帝国憲法第5条

天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ

大日本帝国憲法第11条

天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス

大日本帝国憲法第55条1項

国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス

大日本帝国憲法第57条1項

司法権ハ天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ

明治憲法(大日本帝国憲法)の下では、立法権の行使では帝国議会が天皇を「協賛」し(帝憲5条)、司法権は「天皇ノ名ニ於テ」行われましたが、そうして統治権を行使する天皇は第3条で無答責とされていたので責任を一切負わない構造にされていたわけです。

ではその責任はいったい誰が責任を負ったのかと言うと、それは天皇を「輔弼」する国務大臣です(帝憲55条1項)。

戦前の内閣は憲法上の制度ではなく天皇の勅令である内閣官制により定められた組織ですから、戦前の制度は議院内閣制ではなく制限君主制と言えるものでした(※高橋和之補訂「立憲主義と日本国憲法」放送大学教材29頁)。そして、その内閣を構成する国務大臣が「輔弼」の名の下に天皇の統治権(主権)や統帥権を都合よく制限(利用)できたところが当時の統治システムの特徴だった言えます。

しかし、明治憲法(大日本帝国憲法)は民定憲法ではなく欽定憲法であったため主権者は天皇であって国民は天皇の「臣民」に過ぎませんでしたから、国務大臣が負う責任も「天皇」に対してのみのもので(帝憲55条1項)、「国民」に対してのものではありませんでした。

そしてその天皇に対する国務大臣の責任も各国務大臣が独立して負担するものに過ぎませんでしたから、内閣自体も合議制ではなく各国務大臣が独立して天皇の権能を執行する組織にとどめられたものでした。

つまり、当時の統治システムは、各々の国務大臣が天皇の持つ統治権(主権)や統帥権を都合よく利用できるシステムにされていて、その国務大臣によって行使された天皇の主権や統帥権の責任を、国民に対しては誰一人として負担しない無責任な構造になっていたわけです。

そしてそうした無責任な統治体制が、国民の自由や権利を制限し、国民の命を軽視して戦争に駆り立てることを容易にし、周辺諸国も巻き込んで戦争の惨禍を拡大させてしまいました。

すなわち、そうした憲法上の欠陥が、先の戦争の大きな原因の一つだったと言えるのです。

そうした反省から、戦後に制定された日本国憲法では、天皇を象徴的・儀礼的行為しか行えない「象徴」としたうえで、はっきりと主権を国民に置くことで国民主権を明確にするとともに(憲法1条)、特定の国家指導者に権限を集中させないようにするために議院内閣制を採用して内閣という合議制の下で政策を決定させることにして権力の暴走に歯止めを掛けることにしました。

つまり、内閣総理大臣という一人の人間に権力を集中させないようにするとともに、政治的意思決定を内閣という合議体の全会一致に委ねることで、明治憲法(大日本帝国憲法)の下で生じた一部の国家指導者の独善的な政治や無責任な権力行使を防ぐところに、現行憲法が議院内閣制を採用した目的があるわけです。

しかし、自民党憲法改正草案第54条1項のように内閣総理大臣に衆議院の解散権を与えてしまうと、先ほど述べたように衆議院の解散に閣議の全会一致は必要とされなくなりますから、国務大臣は内閣総理大臣に反対の意見を述べることもできなくなり、内閣総理大臣の意見に唯々諾々と従うしかなくなってしまうでしょう。

衆議院を組織する議員にとっても、解散が議員資格を失わせるものである以上、内閣総理大臣が解散権を持つことは大きな心理的圧力となり得ますから、解散権を与えられた内閣総理大臣は議会に対しても強力な権力を持つことになります。

ですが、それでは強力な権力を内閣総理大臣という一人の人間に集中させるとともに、内閣の合議性を形骸化させて政治権力の勝手な行使を正当化させることに繋がりますから、明治憲法(大日本帝国憲法)で生じた危険を再び惹起させる点で大きな問題を生じさせてしまうでしょう。

もしかしたら自民党は、統治権(主権)や統帥権など強力な権力を天皇に置くことで一部の国家指導者や軍人がその権力を都合よくできるシステムにされていた明治憲法(大日本帝国憲法)のように、権力を内閣総理大臣一人に集中させることで、自民党に都合の良い政治的意思決定を可能にできるシステムを憲法に盛り込みたいのかもしれません。

しかしそうしたシステムを採用していた明治憲法(大日本帝国憲法)の下で日本は軍国主義に傾斜することになり、戦争の惨禍を拡大させて国を破滅に導いたのですから、80年前に失敗した憲法に戻す必要性はないはずです。

内閣総理大臣に衆議院の解散権を付与することで強力な権力を内閣総理大臣一人に集中させ、議院内閣制を形骸化させて合議制に基づく政治的意思決定を廃し、内閣総理大臣の独断による政治の独占を許すのが自民党憲法改正草案第54条1項なのですから、その点の危険性を十分に認識することが必要でしょう。