自民党が公開している憲法改正草案の問題点を一条ずつチェックするこのシリーズ。
今回は、自民党憲法改正案の「第9条」の問題点を考えていくことにいたしましょう。
なお、この記事の概要は大浦崑のYouTube動画でもご覧になれます。
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現行憲法の「第9条」は自衛戦争も含めたすべての戦争を放棄した
自民党憲法改正案の第9条の問題点を指摘する前提として、現行憲法の9条が何を述べているのかという点を理解してもらわなければなりませんので、簡単に説明しておきましょう。
(1)現行憲法の9条1項が放棄したのは「侵略戦争」だけであって「自衛戦争」は放棄していない
【日本国憲法9条】
第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
現行憲法の9条はこのように第1項で
- 「国権の発動たる戦争」
- 「武力による威嚇」
- 「武力の行使」
の3つを
はこれを「永久に放棄する」と規定しています。
この点、これらの言葉の意味については憲法の基本書(芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法」岩波書店)によれば、9条1項の「国権の発動たる戦争」とは単に「戦争」というのと同じ意味で、その「戦争」は宣戦布告または最後通牒によって戦意が表明されて戦時国際法法規の適用を受けるものを言い、広義では国家間における武力闘争も含むものとされていて、また「武力による威嚇」は武力を背景にして自国の主張を相手国に強要することを(例えば遼東半島を清国に返還するよう求めた露仏独の三国干渉など)、「武力の行使」は宣戦布告なしに行われる事実上の戦争のこと(たとえば満州事変など)を言うと解説されています(※同書56~57頁参照)。
そして「国際紛争を解決する手段」とは国際法上の通常の用法では「侵略戦争」のことを意味しますので、9条の1項は「(武力による威嚇や行使を含む)侵略戦争を放棄した」ものであると解釈することができます。
つまり、現行憲法の9条1項は「侵略戦争」だけを放棄していて「自衛戦争」は放棄されていない(だから自衛のためであれば戦争することができる)と解釈することができるわけです。
(2)2項で「戦力の保持」と「交戦権」が否定されているので結局は2項で「自衛戦争」も放棄されている
このように、現行憲法9条の第1項を文理的に解釈していけば1項で放棄されたのは「侵略戦争」だけであって「自衛戦争」は放棄されていないとも解釈することができますが、日本国憲法では「自衛戦争も含めたすべての戦争」が放棄されていると解釈されています(通説)。
なぜなら、9条の2項で「陸海空軍その他の戦力」の保持が禁止されていて「交戦権」さえも行使することが否定されているからです。
仮に9条1項で「自衛戦争は放棄されていない」と解釈されるとしても、戦力の保持も禁止され交戦権も行使できないのなら、自衛のための戦争を行うこともできません。
ですから、結局は9条の「2項」で侵略戦争だけでなく「自衛戦争も含めたすべての戦争」が放棄されていると解釈されることになります。
これが憲法学の通説的な見解であって歴代の政府もこの解釈を取っています。
(3)自衛隊の組織と運用が許されるのは政府が自衛隊を「9条2項の戦力」ではなく「自衛の為の必要最小限度の実力」と説明してきたから
以上で説明したように、憲法9条は1項では侵略戦争しか放棄していないけれども結局は2項で自衛戦争すらも放棄されていると解釈されることになりますので、自衛の為の戦力(軍事力)を保持することも認められていないということになります。
このように考えた場合、陸海空の部隊を組織する自衛隊がなぜ許されるのかという点に疑問が生じますが、それは歴代の政府が自衛隊を「9条2項の”戦力”」ではなく「自衛のための必要最小限度の実力」であると説明してきたからです。
国際的には自国を守るための自衛権は独立国であれば当然に有していると考えられていますので、自衛戦争も含めたすべての戦争を放棄している日本国憲法の下でも自国を守るための「自衛権」は放棄されていないという解釈は理論的に矛盾することなく成立します。
そのため歴代の政府は、自衛戦争も含めたすべての戦争を放棄している9条の下でも、9条2項の「戦力」に及ばない程度の自国を守るための「自衛のための必要最小限度の”実力”」であれば9条2項の戦力不保持規定と矛盾することなく認められると解釈して自衛隊の合憲性を説明してきました。
このように説明すれば、自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力」であって「9条2項の”戦力”」ではないということになり、違憲性を回避することができるからです。
もちろん、この理屈は単に自衛隊を合憲と説明するための後付けの理屈に過ぎませんから常識的に考えれば屁理屈の域を出ないのですが、最高裁は自衛隊の違憲性判断から意図的に逃げ続けていますので、自衛隊を違憲と判断する司法判断がない状況において自衛隊の組織と運用が認められているということになっています。これが自衛隊が憲法9条の下でも許されている理由です(※この点の詳細は→『憲法9条2項で放棄された「戦力」とは具体的に何なのか』『自衛隊はなぜ「違憲」なのか?』)。
もっとも、自衛隊は「自衛のための必要最小限」の範囲で組織と運用が認められる「実力」に過ぎませんから、その自衛権を発動できる範囲は「必要最小限度」に限られなければなりません。
そのため歴代の政府は自衛権発動のための三要件を定め、その3つの要件をすべて満たす場合に限って自衛隊の自衛権発動が認められるとして限定的かつ抑制的に運用してきました。
【自衛権発動の三要件】
- 我が国に対する急迫不正の侵害(武力攻撃)が発生したこと
- これを排除するために他に適当な手段がないこと
- 実力行使の程度が必要限度にとどまるべきこと
このように限定的・抑制的に運用しなければ、自衛隊の「実力」が「必要最小限度」を超えて「9条2項の戦力」になってしまうことになり、自衛隊の合憲性すら説明できなくなってしまうからです。
これが憲法9条の解釈であり、自衛隊が憲法9条の下でも許されている理由です。
では、このように解釈されている憲法9条が自民党憲法改正案では具体的にどのように変更されることになるのでしょうか。
自民党憲法改正案の「第9条」は自衛戦争を認めた
この点、自民党憲法改正案の第9条は以下のように規定されています。
【自民党憲法改正案:第9条】
(平和主義)
※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成
第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
第2項 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。
自民党改正案第9条はこのように第1項で「国権の発動としての戦争」を放棄していますから、一見すると現行憲法の9条と同様に「自衛戦争も含めたすべての戦争」をも放棄しているようにも思えます。
しかし、1項後段では「武力による威嚇」と「武力の行使」については「国際紛争を解決する手段」としては「用いない」としていますので、「国際紛争を解決する手段ではない場合」すなわち「侵略を目的とするものでない場合」には、事実上の戦争を広く許容していることがわかります。
また、自民党改正案第9条は現行憲法第9条の2項をまるごと削除していますので、「陸海空軍その他の戦力を持つこと」また「交戦権を行使すること」が否定されなくなる結果、現行憲法9条のように「1項では自衛戦争は放棄されていないけれども2項で自衛戦争も放棄されている」と解釈することができない構造にされています。
さらに、自民党改正案第9条の2項では「自衛権の発動を妨げるものではない」と規定して「自衛のための武力の行使」を明確に認めていますので、「自衛のため」であれば無制限に武力(軍事力)の行使が許容されることになるのは避けられません。
つまり、自民党改正案第9条で放棄されたのは「侵略戦争」だけであって「自衛のための戦争」は一切放棄されていないことになっているのが自民党憲法改正案の第9条なのです。
自民党改正案第9条は「侵略戦争」を放棄しただけで「自衛戦争」は無制限に許容していて、「戦力の保持」や「交戦権」も許容されることになりますから、「自衛のため」であれば無制限に「戦争」することが認められることになります。
このように、自民党憲法改正案の第9条は「自衛戦争」を無制限に許容し、「自衛のため」であれば無制限に戦力(軍事力)の保持とその行使(自衛権の行使)が認められることになる点で、現行憲法の第9条と大きく異なっていると言えるのです。
「自衛戦争」を無制限に許容する自民党憲法改正案の第9条の問題点
このように、自民党改正案の第9条は、「侵略戦争」を放棄しただけで「自衛戦争」は広く許容するものであり、「自衛のため」の戦力は無制限にその保持と行使を認めるものであるのがわかります。
では、このような自民党憲法改正案の第9条は具体的にどのような問題を生じさせることになるのでしょうか。
ア)「自衛」の名の下にいかなる戦争も正当化されることになる
この点、まず指摘できるのが、自民党憲法改正案の第9条が国民投票を通過すれば「自衛」の名の下にいかなる戦争も正当化されることになるという点です。
前述したように、国際的な用法としては「国際紛争を解決する手段としての戦争」という言葉が「侵略戦争」という意味で使われていることで「侵略戦争」と「自衛戦争」が区別されているとも考えられますが、「侵略戦争」と「自衛戦争」を客観的に区別することは事実上不可能です。
なぜなら、たとえ「侵略」を目的とした戦争であったとしても、時の権力者が「自衛のため」と言いさえすればすべての戦争が「自衛戦争」ということになるからです。
そもそも時の権力者が自ら「侵略するぞ」などと宣言して戦争を始めることはありません。そんなことを言い出せば、国内の世論だけでなく国際社会から非難を受けてしまうのは明らかだからです。
為政者はどのような意図があるにせよ、戦争を始める際には何らかの大義名分を掲げて「自衛の名の下に」それを正当化します。
たとえば、イスラエルがパレスチナを毎日のように砲撃しているのも、シリア政府軍が反政府勢力の病院を砲撃しているのも、ミャンマー軍がロヒンギャ民族を迫害しているのも、彼らの論理から言えば「自衛のため」という理由で正当化されています。これは「自衛」の名の下に虐殺や迫害を正当化してきたことの証左と言えます。
先の大戦で日本が起こした満州事変や日中戦争も、満州の権益や在留邦人の安全を守るためという理由付けで中国の主権を侵す大陸への出兵を正当化させました。これも「自衛」の名の下に戦争を正当化した証左と言えるでしょう。
つまり、古今東西の戦争というものは、時の権力者が「自衛のため」と言いさえすれば、いかなる動機や意図があろうとも、そのすべてが「自衛」の名の下に正当化されることになるわけです(※参考→「侵略戦争しないから9条は改正してもよい」が間違っている理由)。