憲法改正に賛成する政治家や知識人、タレントの中には「ドイツでは戦後60回も憲法を改正してるのに日本だけ1回も改正してないのはおかしい」などと主張する人が大勢います。
ドイツでは戦後(1945年以降)60回にわたって憲法が繰り返し改正された事実がありますから、それと1度も憲法の改正がなされていない日本の現状とを比較して「日本も改正すべきだ」という理屈です。
しかし、このような意見については全く同意できません。
なぜなら、確かにドイツでは戦後60回も憲法が改正された事実がありますが、その改正された部分のほとんどは「統治機構」という議会や裁判所、地方自治などの部分に限られており、自民党(与党)がこれからやろうとしている9条(平和主義)やその他の基本的人権や国民主権に関連する憲法条文の改正とは全くその性質が異なりますし、憲法構造の特殊性やEU加盟、東西ドイツの統一など日本とは異なる事情が重なったドイツの事例をもって日本の憲法改正を論じること自体が失当と言えるからです。
ドイツの戦後における60回の憲法改正の実情
ドイツで戦後(1945年以降)具体的にどのような内容の憲法改正が行われたのかという点は、国会図書館が作成しウェブ上でも公開している「諸外国における戦後の憲法改正(第5版)」に詳しく挙げられていますが、そこではドイツにおける憲法の具体的な改正部分は以下のように説明されています(※ただしあまりにも数が多いため複数の項目について修正が行われている改正については一部を抜粋しています)。
【ドイツにおける戦後の憲法改正の内容(※西ドイツ時代)】
- 内乱罪の削除(1951年改正)
- 占領費等支出の連邦・州の負担調整(1952年改正)
- 競合的立法に服する租税の配分決定期限の変更(1953年改正)
- 防衛関連条約等の締結・発行等(1954年3月改正)
- 競合的立法に服する租税の配分決定期限の変更(1954年12月改正)
- 連邦と州の租税収入配分の変更等(1955年改正)
- 再軍備のための大規模改正(1956年3月改正)
- 対物税収入の市町村帰属への変更(1956年12月改正)
- 一定の公的債務履行の限定(1957年改正)
- 競合的立法事項への核エネルギーの追加等(1959年改正)
- 航空交通行政(1961年2月改正)
- 連邦懲戒裁判所等に関する規定の整理(1961年3月改正)
- 競合的立法事項への戦傷者戦争遺族の援護等(1965年6月改正)
- 連邦と州の占領費支出分担規定の変更等(1965年改正)
- 全経済的均衡に関する規定の追加(1965年7月改正)
- 連邦の最高裁判所の合同部の設置等(1968年6月18日改正)
- 緊急事態条項の追加のための大改正(1968年6月24日改正)
- 政府提出法案に対する連邦参議院態度表明の期間変更(1968年改正)
- 連邦憲法裁判所の管轄事項等の追加(1969年1月改正)
- 予算改革等のための改正(1969年5月改正①)
- 財政改革のための改正(1969年5月改正②)
- 連邦の大綱的規定発布権の対象事項の変更等(1969年5月改正③)
- 連邦参議院提出法案の送付期限の追加(1969年7月改正①)
- 連邦と州の占領費支出分担規定の変更等(1969年7月改正②)
- 連邦領域の新編成に際する住民投票規定の変更(1969年8月改正①)
- 州裁判所による連邦裁判権の行使の追加(1969年8月改正②)
- 選挙権・被選挙権年齢の引き下げ等(1970年改正)
- 連邦の大綱的規定発布権の対象事項の変更等(1971年3月改正①)
- 動物保護の追加(1971年3月改正②)
- 廃棄物除去及び環境保護の追加(1972年4月改正)
- 連邦国境警備隊による州警察の支援等(1972年7月改正)
- 連邦議会への請願委員会の設置(1975年7月改正)
- 連邦領域の新編成の手続の変更等(1976年8月改正①)
- 爆発物法の追加(1976年8月改正②)
- 政党の資産公開義務の追加(1983年改正)
【ドイツにおける戦後の憲法改正の内容(※東西ドイツ統一以降)】
- 前文、東西ドイツ再統一のための大規模改正(1990年改正)
- 航空交通行政の組織形態の連邦法への委任(1992年7月改正)
- マーストリヒト条約批准のための改正(1992年12月改正)
- 庇護権規定の充実(1993年6月改正)
- 連邦鉄道の民営化(1993年12月改正)
- 郵便事業等の民営化(1994年8月改正)
- 男女同権促進、環境保護規定の追加等の大改正(1994年10月改正)
- 連邦と州の租税収入配分の変更等(1995年改正)
- 地方自治体の財政上の自己責任規定の変更等(1997年改正)
- 盗聴捜査拡大のための改正(1998年3月改正)
- 連邦議会議員の任期満了選挙時期の変更(1998年7月改正)
- EU構成国・国際法廷へのドイツ人引渡規定追加(2000年11月改正)
- 女性兵士の武器使用任務の任意化(2000年12月改正)
- 租税の管理に関する中級官庁の設置任意化(2001年改正)
- 動物の保護(2002年7月改正①)
- 州裁判所が連邦裁判権を行使できる事項の変更(2002年7月改正②)
- 連邦の首都の憲法上の明文化その他の大規模改正(2006年8月改正)
- EUの立法権に対する提訴権の追加その他(2008年改正)
- 自動車税の連邦への移管(2009年3月改正)
- 連邦の秘密・情報機関の統制に関する改正(2009年7月17日改正)
- 航空交通行政のEU法関連の改正(2009年7月29日改正①)
- 連邦と州の行政に関する大規模改正(2009年7月29日改正②)
- 休職者の基本的補償に関する連邦と州の協同(2010年7月改正)
- 連邦議会選挙に関する連邦憲法裁判所管轄権の追加(2012年改正)
- 教育・研究に関する共同任務関連規定の変更(2014年改正)
※出典:国会図書館作成:諸外国における戦後の憲法改正(第5版)(http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10249597_po_0932.pdf?contentNo=1&alternativeNo=)6頁ないし8頁を基に作成(改正部分が多いので一部を抜粋しています)。
ドイツで頻繁に憲法改正が行われた4つの理由
以上のように、ドイツでは西ドイツ時代に35回、東西統一以降に25回それぞれ改正が行われています。
この点、60回という回数だけを見るとその多さが際立ちますが、その改正の回数自体はドイツ以外の国の憲法改正を正当化するための根拠になり得ません。
なぜなら、ドイツで戦後(1945年以降)に60回もの憲法改正がなされたのは、以下に挙げる4つの特殊事情が存在したからにすぎず、それら特殊事情の存在しない国ではドイツにおける憲法改正の回数は何ら意味を持たないからです。
(1)ドイツでは共和国基本法という「暫定的な基本法」が憲法の役割を担っているため「法律の改正」も「憲法改正」に含まれてしまう
先ほどから述べているように、ドイツでは戦後に60回も憲法が改正されているわけですが、ドイツがなぜ60回も憲法を改正しているかというと、ドイツでは日本であれば「法律レベル」で規定される条文まで「憲法」に規定されているからです。
もっとも、とは言っても、そもそもドイツには「憲法」という法典は存在していません。
1949年の東西分裂当時に西ドイツで制定された「ドイツ連邦共和国基本法」という「暫定的な基本法」が現在まで「憲法」の役割を果たしているからです。
ではなぜドイツで「憲法」が定められなかったかというと、東西に分裂させられた際に西ドイツにおいてあくまでも暫定的な「基本法(暫定的な憲法)」であることが意識されたからです(※国会図書館「諸外国における戦後の憲法改正(第5版)」6頁参照)。
戦後すぐに東西に分断されたドイツでは、そう遠くない将来に分断が解消されることが希望されていましたから、東西分断の固定化を許容する確定的な「西ドイツとしての憲法制定」ではなく「暫定的な基本法の運用」という形で憲法の運用に代えてきたわけです。
もちろん、1990年の東西ドイツの統一の際に「憲法」が制定されてもよかったのですが、東西ドイツの統一は形式的には「東ドイツの5つの州が西ドイツに加入する」という”体(てい)”で手続きが進められ、新憲法の制定(民意の確認等)が技術的に困難だったこともあって、旧西ドイツの「ドイツ連邦共和国基本法」が東西統一後もドイツにおける「基本法」としてそのまま実質的な「憲法」の役割を担い、現在に至ることになったのです。
もっとも、とはいってもドイツではこのドイツ連邦共和国基本法が憲法として機能しているわけですから、ドイツにおいて戦後60回にわたってドイツ連邦共和国基本法が改正されている以上、ドイツで「戦後60回の憲法改正が行われた」という事実に変わりはありません。
しかしそれは、このようにしてドイツ連邦共和国基本法という「暫定的な基本法」が「憲法」の役割も兼ねるという特殊な事情があったため、日本であれば「法律」レベルで規定されている条文を改正するだけでもドイツ連邦共和国基本法という実質的な「憲法」を改正する必要があったにすぎません。
分かりやすいところを抜粋すると、たとえばドイツで1993年に行われた連邦鉄道の民営化と、翌94年に行われた郵便事業の民営化に伴う憲法改正が挙げられます。
先ほど挙げた戦後のドイツにおける憲法改正の一覧を見ると、ドイツでは1993年に連邦鉄道が、翌94年に郵便事業がそれぞれ民営化され、そのために憲法の改正がなされていますが、同じように国鉄(※現在のJR)や郵政事業(※現在の郵便局やゆうちょ銀行)が民営化された日本では憲法の改正は行われていません。
ドイツでは連邦共和国基本法という「暫定的な基本法」が憲法の役割を担っていましたので、連邦鉄道や郵便事業といった他国であれば「個別の法律」によって運用されるべき事項までそのドイツ連邦共和国基本法に規定されていた結果、その民営化に際してドイツ連邦共和国基本法という実質上の「憲法」の改正が必要でしたが、日本では国鉄や郵政事業は憲法ではなく個別の「法律」によって運営されていましたので、国鉄や郵政事業の民営化の際は個別の「法律」を改正すれば足り、憲法改正の必要性が生じることがなかったのです。
このように、ドイツは日本のように独立した憲法典が存在せずドイツ連邦共和国基本法という「暫定的な基本法」が「憲法」の役割を担っているため、他国では「法律」で定められているような細かな規定の改正にも「憲法」の改正が必要になるという特殊事情があるだけですから、ドイツにおいて憲法改正の回数が極端に多くなるのはむしろ必然と言えます。
(2)ドイツでは連邦政府と州の権限見直しが頻繁に行われただけ
また、ドイツでは連邦政府と州の権限の見直しが頻繁に行われていることも「憲法」の改正回数が極端に多いことの理由として挙げられます。
上に挙げた戦後のドイツにおける憲法改正の内容を見てもらえば、そのほとんどが連邦政府と州の権限に関する事項に限られていることがわかるでしょう。
しかし、日本では最近になって道州制などの議論が一部で活発になりましたが、憲法改正が必要なレベルでの国と地方自治体の権限の見直しはこれまで行われてきませんでしたから、ドイツにおける連邦政府と州の権限見直しに関する憲法改正の事実はそもそも比較対象になり得ません。
また、(1)でも説明したように、ドイツでは他国であれば「法律」に規定されるべき細かな規定までドイツ連邦共和国基本法という「実質的な憲法」に規定されているという特殊事情がありますから、その連邦政府と州の権限の細目を変更するだけでも「憲法」の改正が必要となるにすぎません。
これに対して日本では、地方自治に関する細かな規定は「憲法」ではなく「地方自治法」やその他の「法律」に規定されていますから、仮に地方自治に関する細かな規定の修正が必要になったとしても「法律」を改正ないし新たに制定すれば足り、そもそも「憲法」の改正は必要とならないのです。
このように、ドイツでは連邦政府と州の権限の見直しが頻繁に行われた結果、それらの細目まで規定されていたドイツ連邦共和国基本法という実質的な「憲法」を改正する必要が生じただけに過ぎませんから、ドイツにおいて「憲法」の改正が何度も行われているのはむしろ当然と言えます。
なお、以上の(1)と(2)については、前に挙げた国会図書館作成の「諸外国における戦後の憲法改正(第5版)」でも同様に指摘されています。
「西ドイツ時代の改正も含めた60 回という改正回数は、本稿で取り上げた8か国の中で最多であり、平均すると約1年に1回の割合で基本法を改正していることになる。こうした改正の多さの原因としては、我が国では法律レベルで規定されている内容も基本法で規定している点や連邦と州との権限を頻繁に見直していることなどが挙げられる。」
(※出典:国会図書館作成「諸外国における戦後の憲法改正(第5版)」6頁より引用)。
(3)東西ドイツの統一があった
ドイツ特有の問題として東西ドイツの統一もあげられます。
先ほども少し述べましたが、東西ドイツの統一は「旧東ドイツの5つの州が旧西ドイツ連邦(ドイツ連邦共和国)に加入する」という”体(てい)”で手続きが進められましたので、その際に旧西ドイツのドイツ連邦共和国基本法という実質的な「憲法」を改正する必要が必然的に生じました。
ドイツでは州の権限に関してはドイツ連邦共和国基本法という「暫定的な憲法」に規定されていましたので、旧東ドイツの5つの州の連邦への加入を認める際にも「憲法の改正(ドイツ連邦共和国基本法の改正)」が必要となるからです。
しかし、日本ではご存知のように東西の分断や再統一などの事実は一切ありません。
ですから、このようなドイツ統一に関連する憲法改正の事実は、日本における憲法改正の議論には全く影響を与えないものと考えるべきでしょう。
(4)EUへの加盟に必要な条約批准のための改正が不可欠だった
ドイツ特有の事情というわけではありませんが、西ヨーロッパ諸国特有の事情としてEU加盟に必要な条約批准のための憲法改正が必要だったという点も考える必要があります。
ドイツに限らず、欧州連合(EU)に加盟した西ヨーロッパ諸国では、その加盟するために必要となる条約批准の前提として、国の権限の一部を欧州連合等の国際機関に移譲する必要がありましたから、その条約批准のための憲法改正は避けられない事情がありました。
ですから、EUへの加盟を予定していたドイツにおいてもドイツ連邦共和国基本法という「憲法」の改正は必要不可欠だったわけです。
たとえば、1992年12月の「マーストリヒト条約批准のための改正」、2000年11月の「EU構成国・国際法廷へのドイツ人引渡規定追加」、2008年の「EUの立法権に対する提訴権の追加その他の改正」、2009年7月の「航空交通行政のEU法関連の改正」などは全て欧州連合(EU)に加盟するため、ないしはEUに加盟したからこそ必要になった憲法の改正にすぎないでしょう。
しかし、日本は欧州連合(EU)に加盟しておらず、EUに相当するような地域共同体(たとえばアジア連合など※そのような共同体は存在しませんが…)に加盟した事実もないわけですから、そのような条約批准のための改正が必要なかったのはむしろ当然といえます。
ドイツにおける過去60回の憲法改正のほぼ全ては「統治機構」に関する部分に限られる
このように、ドイツでは純粋な憲法とは異なるドイツ連邦共和国基本法が実質的な「憲法」の役割を担っていたため他国であれば「法律」に委ねられる細かな規定まで「憲法」に規定されていたこと、連邦と州の関係を頻繁に見直したこと、東西ドイツの統一があったこと、EU加盟に際して国の機関を委譲するための条約批准の必要性があったことなど、そのドイツ特有の事情もあって「憲法」の改正が60回も行われているのが実情です。
ですから、そのようなドイツ固有の特殊事情を一切無視してその改正された回数だけを取りあげて日本の憲法改正を正当化して論じる主張はあまりにも乱暴に過ぎると言えます。
もっとも、そうはいってもドイツにおいて憲法が改正されているのは事実ですから、「日本には日本の事情があるからドイツが憲法を改正したように日本も改正すべきだ」などという意見もあるかもしれません。
しかし、それも間違っています。
なぜなら、このドイツにおける過去60回の改正は、そのほとんどすべてが議会や連邦政府、裁判所など「統治機構」に関する部分の改正に限られており、「人権」や「民主制」など憲法の基本原理に関わる部分は一切改正されていないからです。
上に挙げたドイツにおける戦後の憲法改正の一覧を見れば、戦後の憲法改正のほぼすべてが連邦政府や州、裁判所など国の統治に関する事項の細かな修正に限られているのがわかるでしょう。
ではなぜ、ドイツでは憲法改正が行われた部分が「統治機構」に限られるかというと、そもそもドイツではその憲法(ドイツ連邦共和国基本法)の構造上、「人間の尊厳」「人権」「基本権」「連邦制」「民主制」「法の支配(法治国家)」「社会国家(抵抗権)」の規定に関しては、一切改正することができないようになっているからです。
ドイツ連邦共和国基本法の第79条3項では、第1条と第20条に定められている「諸原則」の改正がそもそも禁止されており、第1条には「人間の尊厳」「侵すことのできない、かつ譲り渡すことのできない人権」「基本権」が、また第20条では「連邦制」「民主制」「法の支配(法治国家)」「社会国家(抵抗権)」がそれぞれ規定されています。
【ドイツ連邦共和国基本法第79条3項】
連邦制によるラントの編成、立法における諸ラントの原則的協力、または第1条および第20条に定められている諸原則に抵触するような、この基本法の改正は、許されない。
ですから、ドイツでは憲法の構造上「人間の尊厳」「人権」「基本権」「連邦制」「民主制」「法の支配(法治国家)」「社会国家(抵抗権)」の規定といった「憲法の基本原理」に関しては、そもそも「憲法を改正する」という手段を用いて変更することができないわけです(※「人権」や「国の諸原則」は79条3項があるので改正したくても改正できません。どうしても変えたい場合は革命を起こすしかありません)。
しかし、今の時点で自民党(与党)が予定している憲法改正の内容は、後述するように「統治機構」だけでなく「国民主権」や「基本的人権」「平和主義」といった憲法の基本原理に関わる改正であって、その憲法改正にかかる性質が全く異なります。
また、そもそも日本の憲法ではその構造上「統治機構」に関しては大枠だけしか規定されておらず、その細かな部分は「公職選挙法」や「国会法」「地方自治法」「裁判所法」など個別の法律に委ねられていますので、仮にドイツで行われたような統治機構に関する細かな修正が必要になったとしても、個別の「法律」を修正ないし新設すれば足り、「憲法」の改正は必要になりません。
ですから、「統治機構」の細かな修正しかしていないドイツの事例は、日本における憲法改正の議論の比較対象になり得ないのです。
なお、1994年改正では「男女同権の促進規定の追加」が行われていますので「法の下の平等」に関連する人権規定の改正があったとも言えますが、これは憲法にそれまで規定がなかった人権を「追加(拡充)」する改正ですから79条3項の規定からも許容されるものといえます。
ただし、日本ではそもそも憲法14条で「法の下の平等」が保障されていますので、日本で仮に「男女同権」に不平等が生じていたとしても、それは「立法(法律)」や「行政」の問題であって憲法改正は必要になりません。
ですから、このドイツで1994年に行われた「男女同権の促進規定の追加」に関する憲法改正も、日本の憲法改正を正当化する根拠にはなり得ないと言えます。
【日本国憲法第14条1項】
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
自民党が予定しているのは「憲法の基本原理」を変更する憲法改正
以上のように、ドイツでは戦後に60回も憲法の改正が行われているとはいっても、ドイツ特有の事情がその根底にあったから改正が行われただけですし、その改正が行われた部分のほとんどすべても「統治機構」の細かな修正に限られているのが実情です。
しかし、先ほども指摘したように、今自民党を中心とした与党が目指しているのは「統治機構」の部分にとどまらず、「国民主権」や「基本的人権」「平和主義(憲法9条)」という憲法の基本原理を「後退(制限ないし縮小)」させることを目的とした改正です。
ア)自民党憲法改正案は国民主権・基本的人権の尊重・平和主義という3つの基本原理をすべて後退させるもの
この点については自民党がウェブ上で公開している憲法改正案(日本国憲法改正草案(平成24年4月27日(決定))|自由民主党憲法改正推進本部)を見てもらえばわかりますが、その内容はほぼ全てが「国民主権」や「基本的人権」を後退(縮小ないし制限)するものになっています。
たとえば、現行憲法で日本国の元首は憲法学の多数説的見解では「内閣または内閣総理大臣」と解釈されますが(芦部信喜「憲法(第六版)」47~48頁参照)自民党の憲法改正案では「天皇」を元首とするものとされていますので(自民党改正案第1条参照)、その点で国民主権が後退ないし制限を加えられる余地が生じます(※この点の詳細は『憲法を改正すると国民主権が後退してしまう理由』のページで詳しく論じています)。
また、たとえば現行憲法では「基本的人権」は「公共の福祉」に反する場合にのみその制限が許されるだけですが(日本国憲法12条)、自民党の改正案では「公益及び公の秩序」に反する場合にまでその制限が許されることになりますので、「公益(国の利益)」すなわち政権与党(つまり自民党)の不利になる言論や表現も政府の権限によって自由に制限がかけられることになってしまいます(※詳細は→自民党憲法改正案の問題点:第12条|人権保障に責務を強要)。
もちろん、メディアが盛んに取り上げている憲法9条の改正も、それが自衛隊を明記するものであれ、国防軍を明記するものであれ、9条2項を削除するものであれ、自衛戦争をも放棄した現行憲法から自衛戦争を許容する憲法に改正することになる点を考えれば、国家権力に掛けられた制限を緩和する点で「平和主義の後退」といえるでしょう(※詳細は→憲法9条に自衛隊を明記すると平和主義が平和主義でなくなる理由)。
イ)ドイツにおける「再軍備のための改正」は憲法でもともと否定されていなかった軍備を整備したに過ぎないもの
この点、ドイツでは1956年3月に「再軍備のための大規模改正」が行われていますので、「ドイツが憲法を改正して再軍備を行ったように日本も9条を改正して軍隊を持てるようにすべきだ」などと考える人がいるかもしれません。
しかし、ドイツ憲法(共和国基本法)は日本国憲法のように自衛戦争も含めたすべての戦争を放棄する平和主義を基本原理として採用しているわけではなく9条のような規定もありませんので(※参考→日本国憲法の平和主義は他国の平和主義とどこが違うのか)、この再軍備にかかる改正は、もともと憲法で制限されていなかった軍備を憲法改正によって整備したものに過ぎません。
一方、日本国憲法は憲法前文の「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し…」の部分で平和主義を宣言し、憲法9条に戦争放棄と戦力の不保持、交戦権の否認を規定することで自衛戦争をも含めた一切の戦争を放棄し軍備の保持の一切を否定しているわけですから、日本国憲法ではそもそも軍事力の保持とその行使が憲法の基本原理として否定されているのであって、それを改正して再軍備を図るというのはドイツとはその本質的な部分が全く異なります。
ですから、憲法の基本原理の変更を伴わないドイツの再軍備のための憲法改正の事実をもって、憲法の基本原理の変更を伴う日本の再軍備のための憲法改正を正当化させることはできないと考えなければならないのです。
ドイツ特有の事情を一切無視して憲法改正の「回数」だけを根拠に日本の憲法改正を正当化させる主張は詭弁
このように、自民党の憲法改正案では憲法の「統治機構」の部分にとどまらず「基本的人権の尊重」や「国民主権」「平和主義」など国の根幹(日本国憲法の三原則)に関わる条項を改正しようとしているわけですから、憲法の基本原理とは関係ない「統治機構」の細かな部分の修正しかしていない、しかもその特有の事情の下で憲法改正が行われたドイツの事例をもって、日本における憲法改正を正当化させる理由にすること自体、無理があります。
ですから、このような事情を一切無視し、ドイツにおいて憲法改正が行われた回数だけを取り上げて日本の憲法改正を正当化する主張は「詭弁」と言えるのです。