憲法の改正に賛成する人の中には「現行憲法はその成立過程で国民投票を経たものではないから手続き的に不備がありその正統性に問題がある」という主張を展開している人がいるようです。
例えば、少し古いですが『橋下徹“護憲派は国民投票から逃げるな”「守るために変える」憲法改正論(PRESIDENT Online 2017年8月30日付)』というコラムなどでも同様の趣旨の主張がなされていますので、憲法改正に賛成する人の中では比較的ポピュラーな意見なのでしょう。
しかし、このような主張は現行憲法の制定過程の実情を踏まえて考えれば失当と言わざるを得ません。
なぜなら、現行憲法が形式的には明治憲法(大日本帝国憲法)の改正という形を採って制定されている以上、明治憲法の憲法改正手続きに明記のない国民投票が行われなかったことはむしろ当然ですし、仮に憲法制定過程に国民投票を実施すべきであったと考えたとしても、現行憲法の施行過程において極東委員会やマッカーサーから国民投票を行うよう強く求められていたにもかかわらず当時の日本政府と国民の双方が国民投票をあえて行わなかった事実を考えれば、現行憲法に国民投票がなされなかったことは”形式的”にも”実質的”にも不備はなく、当時の国民が国民投票を実施する必要性を感じないほど現行憲法の成立に承認を与えていたことが明らかであったと言えるからです。
明治憲法の憲法改正手続では国民投票は必要とされていないから”形式的”な不備はない
このように、憲法改正に賛成する人の中に「現行憲法はその成立過程において国民投票をしていないから成立過程に不備がある」と制定手続に問題があると断定したうえで「だから成立過程に欠陥がある現行憲法は今すぐに改正すべきなんだ」と結論づける主張を展開する人がいるわけですが、この主張の前提となっている「現行憲法は国民投票を経ていないから成立過程に欠陥がある」という点には明らかに事実誤認があります。
なぜなら、明治憲法(大日本帝国憲法)における憲法改正手続きでは、そもそも国民投票は要件とされていないからです。
皆さんご存知のように、現行憲法である日本国憲法はGHQの民生局が作成した憲法草案(マッカーサー草案)がその基になっているわけですが、そのGHQの作成した憲法草案が”そっくりそのまま”の形で日本国憲法として制定されているわけではありません。
現行憲法は、戦後すぐに成立した幣原内閣が設置した松本委員会という憲法問題調査委員会がGHQの民生局が作成した憲法草案を下地に「憲法改正草案(内閣草案)」という改正草案をまとめ、明治天皇の裁可を受けたうえで帝国議会で審議し、修正を加えたうえで採決を経るという明治憲法の改正手続きを踏んで制定されているからです。
現行憲法である日本国憲法は、GHQ草案が下地にはなっているものの、帝国議会の審議と決議を経る形で制定されていますから、現行憲法は形式的には「明治憲法(大日本帝国憲法)を改正する」という形で制定されているわけです(※なお、憲法制定過程の詳細については『日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要』のページで詳しく解説しています)。
この点、明治憲法(大日本帝国憲法)では、その憲法改正について第7章第73条にその規定が置かれていましたから、現行憲法である日本国憲法が形式的には明治憲法の「改正」という手続きを経て制定される以上、その明治憲法第73条の規定を遵守して改正作業を行うのは当然です。
第1項 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
第2項 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス
しかし、明治憲法の第73条では、明治憲法の改正には帝国議会での審議と議決が要件とされているだけで、国民投票は要件とはされていませんでした。
明治憲法は現行憲法とは異なり、民定憲法ではなく欽定憲法として制定されていたからです。
欽定憲法の明治憲法では天皇主権主義が採用されていましたので、国民主権主義が前提となる直接民主制の手段としての国民投票は必要とされません。
そのため、国民主権主義を採用する現行憲法とは異なり、その憲法改正にも国民投票は規定されていなかったのです。
ですから、「明治憲法の改正」という手続きを経て現行憲法である日本国憲法が制定されている以上、その制定手続きに「国民投票」が行われなかったのは形式上当然の帰結といえます。
当時の国民は新憲法(現行憲法)を望んでいたため「あえて国民投票をしなかった」だけであり”実質的”な不備もない
このように、現行憲法である日本国憲法は形式的には「明治憲法の改正」として制定されていますから、明治憲法で憲法改正に国民投票がその要件として規定されていなかった以上、現行憲法の制定過程に国民投票が行われなかったことは”形式的”にはむしろ当然であり、制定過程における欠陥とはなり得ません。
もちろん、明治憲法(大日本帝国憲法)が「天皇主権」原理を採用したのに対し、現行憲法である日本国憲法は「国民主権」原理を採用していますから、それが明治憲法で求められた改正手続を遵守したものであったとしても、明治憲法から現行憲法への改正は「欽定憲法」から「民定憲法」への改正であり、その法的連続性が確保されていると考えるのは困難です。
(中略)…「日本国憲法は、国民自身が自らの憲法制定権力に基づいて新たに制定したものである、と解するのが妥当であろう。そう解すれば、明治憲法七三条は「便宜借用」されたにとどまり、その手続による改正という形式をとったからといって、明治憲法から日本国憲法への「法的連続性」が確保されると考えることは、法的には不可能だというほかはない。」
(※芦部信喜「憲法」第六版 岩波書店:31頁より引用)
ですから、国民主権原理に基づいて、国民自らの自由な意思で制定されたものであることを担保する意味合いからも、現行憲法の制定過程においても、国民投票を実施し国民の意思を確認する作業を行っておくべきであったというような意見は一概に否定されるものではないでしょう。
そうであれば、憲法改正に賛成する人が好んで主張するように、現行憲法の制定過程において国民投票が行われなかったことを制定過程における手続き上の瑕疵ととらえ、今の時点であらためて国民投票を実施し、現行憲法に国民が賛成しているのか否か判断をゆだねる必要があるという理屈も、一見すると正当性があるように思えます。
しかし、このような意見は、現行憲法の制定過程を考えてみれば誤りと言わざるを得ません。
なぜなら、現行憲法の制定過程において国民投票が実施されなかったのは事実ですが、国民投票が実施されなかったのは、当時の日本政府と国民が現行憲法である新憲法の成立を望んでいたから「あえて国民投票をしない」方法を選択しただけであり、その当時の国民の選択を否定することは歴史修正主義の考え方そのものといえるからです。
(1)現行憲法は帝国議会で圧倒的多数の賛成をもって可決されたものであること
現在施行されている日本国憲法が具体的にどのような経緯を経て制定されたのかという点については『日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要』のページで詳しく解説していますが、現行憲法は帝国議会の衆議院で十分に審議され、若干の修正を経た後「賛成421、反対8」の圧倒的多数の賛成をもって可決されています。
この憲法改正の審議を行った衆議院議員は、女性にも参政権が与えられた戦後初の衆院選で当選した議員によって組織されており、その衆議院議員選挙の投票率は男性79%、女性67%もありましたから(※新選挙法で初の総選挙(第22回総選挙)|昭和毎日参照)、憲法改正案の議決が行われた衆議院の「賛成421、反対8」という議決は、国民の総意と言えるでしょう。
もちろん、選挙は多数決にすぎませんから、その衆院選で落選した候補者に投票していたり、憲法改正案に反対した議員に投票した人の中には、現行憲法の成立に否定的な意見を持っていた人もいたかもしれません。
しかし、敗戦直後の日本における有権者の「男性79%、女性67%」が選挙で選んだ国会議員のうち、421人の議員が新憲法の成立に賛成した一方で反対はたったの8人しかいなかったわけですから、これを国民の総意と考えない方が不自然ですし常識的ではないでしょう。
また、現行憲法における天皇制や9条の戦争放棄条項に限っていえば、この衆議院採決の前に当時の毎日新聞が行った世論調査においても天皇制については「85%」、自衛戦争をも放棄する9条については「60%」程度の賛成(※戦争放棄自体は70%が賛成と回答)が得られていたのですから(※参考→日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要)、当時の国民が総じて現行憲法を歓迎していたことは容易に推測できます。
ですから、現行憲法はその成立過程において当時の国民の民意を反映していたということが、この帝国議会の議決一つをとっても明らかであったといえます。
(2)極東委員会とGHQの双方が国民投票の実施を求めたにもかかわらず、日本政府と国民がそれを無視し続けたこと
とはいえ、先ほども述べたように、明治憲法が天皇主権原理を採っていたのに対して、現行憲法は国民主権原理を採用しており、憲法学的にはその一連性は否定されると考えられますから、新憲法の成立に関して国民投票を実施し、国民の真意を確認するという作業を経ておくことも、必要であったと考えることはできるでしょう。
前述の(1)で説明したように明治憲法から現行憲法への改正については今では考えられないほどの投票率による自由選挙で当選した議員により圧倒的多数をもって可決されていますが、それは間接民主制による議決にすぎませんので、憲法改正の是非については国民投票という直接民主制を採用し国民の真意を問うということも是認されるべきだからです。
しかし、当時国民投票を行わなかったのは、なにもGHQや連合国(極東委員会)から新憲法の是非に関する国民投票を禁止されたり、その実施を妨害されたからではありません。
GHQや極東委員会(連合国)は、むしろ日本政府と日本国民に対して「国民投票を実施して新憲法の是非を確認しろ!」と強く要求しています。
この点は『憲法の再検討を勧めたマッカーサー、それを拒否した日本人』のページで詳しく解説していますのでここでは詳述いたしませんが、当時、極東委員会は日本における憲法改正作業がGHQ主導の下で行われていたことから「新憲法が本当に日本人の自由な意思によるものなのか」という点に疑義を持っていましたので、昭和21年10月17日の委員会で「日本の新憲法の再検討に関する規定」という政策決定を出しています。
この政策決定は日本政府に対して
- 「憲法施行から1年以上2年以内に国会で憲法の再審査がなされること」
- 「極東委員会もその期間内に憲法を再審査すること」
- 「極東委員会が、日本に対して国民投票を実施して新憲法が日本国民の自由な意思を表明するものであるかどうかを確認することを要求できること」
の3点を要求するものであり、この政策決定は翌昭和22年1月3日にマッカーサーから書簡で吉田首相に、また同年3月30日には全国紙の新聞で報道される形で日本国民にも周知されていましたが、当時の政府と国民の反応は鈍いものでした。
極東委員会とマッカーサー(GHQ)双方から「憲法施行後1年以上2年以内に国民投票を行って憲法を承認するか確認しろ!」と要求されていたにもかかわらず、当時の政府と国民は国民投票に向けた議論を積極的に行うことなく、その要求を受け流したのです。
この点に関しては、当時焼け野原で再建を始めたばかりの国民が「憲法よりメシだ!」と揶揄される状況にあったことから「当時の国民はその日のメシのことで精いっぱいで憲法改正の国民投票に参加する余裕などなかった」とか、その2年の間に昭和電工疑獄事件やそれに伴う内閣総辞職と総選挙が実施され政局が混乱したことを理由に「当時の混乱した政局では新憲法の再検討に関する国会審議は事実上できなかった」などと、政府と国民が国民投票を「したくてもできない状況にあった」という意見がありますが(※たとえば『外国の主導権争いの落とし子だった日本国憲法 今こそ改憲に向けた議論を 駒沢大学名誉教授・西修|産経ニュース』の記事など)、それは詭弁です。
なぜなら、先ほども述べたように、戦後すぐ行われた衆議院の解散総選挙では「男性79%、女性67%」の有権者が実際に足を運んで投票をしているわけですから、仮に「憲法よりメシだ!」と揶揄されるほど貧窮していた状況があったにしても、実際に新憲法の是非に関する国民投票が実施されれば有権者の7割以上の人が投票に参加したであろうことは容易に想像できますし、また、仮に当時、政局に混乱が生じ国会での審議が困難であったとしても、国民が真に新憲法(現行憲法)の成立に否定的な意見を持っていたならば、当時の国民は進んで憲法の再検討に関する議論を行い、国民投票を実施するよう世論が盛り上がるはずなのに、そのような議論は一部の知識人の間でなされていた事実はあっても国民的議論に発展するまでは至っていないからです(※この点についても『憲法の再検討を勧めたマッカーサー、それを拒否した日本人』のページで詳しく解説しています)。
ではなぜ、当時の国民は極東委員会やマッカーサーから「新憲法が嫌なら国民投票を実施して新しい別の憲法を作ってもいいんですよ。国民投票を行ってどうするか決めなさいよ。」と言われていたにもかかわらず、その要求を無視して国民投票の実施を政府に働きかけなかったのでしょうか。
自国を強大な軍事力によって占領していた連合国(極東委員会)とマッカーサー(アメリカ)から「新憲法を承認するのかしないのか国民投票で判断しろ!」と強く求められていたにもかかわらず、2年間にもわたってその要求を無視し続けたのは何故なのでしょうか。
当時の国民に聞いてみないと分かりませんが、常識的に考えれば、当時の国民が国民投票に応じなかったのはそのほとんどが新憲法(現行憲法)を歓迎していたからでしょう。
この記事を読まれている方は目を閉じて想像してもらいたいのですが、そもそも当時の日本は空襲で一面の焼け野原ですから、その日の食事にも事欠くような貧窮極まる状況にあったことは容易に想像できると思います。
ある人は赤紙で招集された夫や恋人を戦地で失い、ある人は空襲で家族を失い、ある人は原爆で家族を失い、ある人は被爆してその後のあるべき人生を失い、ある人は戦地で腕や足や目や耳を失い、ある人は満州で貞操を奪われ、ある人は戦地で敵国の兵士の人生を奪い…、当時の国民はそういった心の傷を隠して必死に生きていたはずです。
その当時の国民が、果たして新憲法(現行憲法)に「否」と唱えるでしょうか?
明治憲法は国の主権は天皇にあり、基本的人権も国民には法律によって留保された範囲内で認められるにすぎない不十分なものでしたから、政治家や軍人が天皇の統治権(統帥権)を悪用すれば”自衛戦争”の名の下に自由に国民を戦地に駆り立て戦争に邁進させることができました。実際、それが悪用されて先の戦争が引き起こされたのは周知の事実です。
一方、新憲法(現行憲法)は天皇の統治権(統帥権)を否定し、国民主権の下、軍隊を持つことも否定し、基本的人権も法律の留保を受けることなく保障されていますから、新憲法(現行憲法)を受け入れる限りそのような危険は生じえません。その国民が新たに手にした権利や自由や安寧は、明治憲法とは比べ物にならないほど大きなものであったはずです。
その明治憲法の下では中途半端にしか与えられていなかった主権と人権と安寧を、先の戦争で多大な犠牲を払うことでようやく手に入れたにもかかわらず、悲しみを押し殺して必死に生きていた当時の国民が、あえてその新憲法(現行憲法)を捨ててまでして、明治憲法のような主権も人権も中途半端にしか与えられず、たとえ”自衛”の為であっても再び戦争を始めることを許容するような国家に戻ることを望んだでしょうか?
国民投票を実施し、新憲法に反対する意見が上回るようであれば、新憲法(現行憲法)は破棄され明治憲法に近い憲法に戻すことができたかもしれません。そうであれば、もし仮に当時の国民が新憲法に否定的な意見を持っていたというのであれば、当時の国民は進んで国民投票を求めたでしょう。
しかし、当時の国民が新憲法を歓迎し、それに承認を与えていたのであれば、あえて国民投票を実施する必要はありません。すでに新憲法(現行憲法)は成立し施行されているわけですから、国民投票を実施すること自体、当時の国民にとっては無意味だからです。
つまり、悲しみに満ち焦土と化した日本で生活していた当時の国民は、国民投票を「しろ」と言われながらも「しない」という選択をすることによって間接的に新憲法(現行憲法)に承認を与えたわけですから、その国民投票を「しなかった」という意思表示が当時の国民の真意であったわけです。
国民主権の観点から現行憲法の成立過程に国民投票が必要であったと考えたとしても、当時の国民は国民投票を「したくてもできなかった」わけではなく「やれと言われたけどやらなかった」のであって「あえてしない」という選択をしたわけですから、その当時の国民の「国民投票をしない」という選択こそが新憲法(現行憲法)を承認する日本国民の自由な意思を表明するものといえます。
だからこそ、憲法制定過程には”実質的”な意味でも不備はなかったといえるのです。
国民投票を「あえてしなかった」当時の国民の意思を否定することは当時の国民を愚弄するもの
以上で説明したように、現行憲法の制定過程において国民投票が実施されなかったのは、新憲法(現行憲法)の制定が形式的には明治憲法の改正という体(てい)をもって進められたものであり明治憲法の改正には国民投票は要件とされていなかったことを考えれば、その制定過程に”形式的”な瑕疵はなかったといえます。
また、国民主権の観点から新憲法(現行憲法)の制定に国民投票が必要であったと考えたとしても、新憲法(現行憲法)が帝国議会の議員において半年以上の期間にわたって審議・修正され圧倒的多数の賛成で可決されているのに加え、当時の国民は国民投票を実施することができる状況にあった(むしろ極東委員会とマッカーサーから国民投票を行うよう強く求められていた)にも関わらずあえて国民投票を「しない」という選択をして新憲法(現行憲法)に承認の意思表示を行っているわけですから、新憲法(現行憲法)の制定過程には”実質的”な意味でも瑕疵はなかった、といえるでしょう。
にもかかわらず、憲法改正に賛成する方々は「現行憲法の制定過程において国民投票をしなかったのは手続き的な不備だ!」と主張しているわけですが、私に言わせればこのような意見は当時の国民、ひいては戦争で亡くなった方々への冒涜以外の何物でもありません。
先ほども述べたように、当時の国民は様々な悲しみを背負って懸命に生きていたはずであり、戦争のない世界、貧困のない世界、差別や自由の抑制のない世界を心の底から望んでいたことは容易に想像できます。当時の国民が総じて戦争という国家権力の愚かな暴走に疲れ果てていたことは想像に難くありません。
そのような当時の国民が、明治憲法とは比較にならないほど大きな主権と人権が与えられ、しかも軍隊を持たない戦争を放棄した新憲法(現行憲法)を歓迎したからこそあえて国民投票を望まず、粛々と新憲法(現行憲法)を受け入れたのですから、その当時の国民の選択した意思は最大限に尊重してしかるべきでしょう。
これはなにも、現在の日本国憲法を「今後一切改正するな」と言っているわけではありません。現在の国民が「憲法改正が必要だ」と望むのであれば、国民の間で議論して改正するかしないか決めればよいでしょう。
もちろん、仮に現在の国民が「憲法改正が必要だ」と判断した場合は憲法改正の手続きにのっとって国民投票を実施しなければならないのは当然です。
しかし、憲法改正を正当化するために、敗戦直後に新憲法(現行憲法)を受け入れ、国民投票をあえて「しない」という選択をすることよって国民の自由な意思表示としてその承認を表明した当時の国民の意思を否定し、当時の国民の意思に反して「手続き的に不備があった」と決めつけて国民投票を実施しようとする主張は、断じて容認できません。
そのような主張は、悲しみを押し殺して戦争のない国を作ろうと必死になって生きていた当時の国民の意思に背くものであり、その国民の悲しみの基となった戦没者を愚弄するものに他ならないからです。
憲法改正が必要と考えるのであれば、その必要性を誠実に、かつ理論的に国民に説明し、その是非を国政選挙と国民投票で決すればよいだけです。
そのような努力を怠り、ただ自身の憲法改正の必要性を正当化したいがためだけに、終戦直後の国民のほとんどが亡くなり反論できないことをいいことに、当時の国民がさも「国民投票をしたくてもできなかった」かのような事実と異なる印象操作を行って「国民投票をしなかったのは手続き上の不備だ」と断じる人たちは、その主張自体に終戦直後の国民の意思を否定する歴史修正主義に基づいた極めて危険な思想が包含されていることを認識すべきなのです。