日本人の民間草案に明記されていた憲法9条の「戦争放棄」とは

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現行憲法の日本国憲法はその前文で「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し…」と述べることで先の戦争(日中戦争~太平洋戦争)の反省から二度と戦争を繰り返さないという平和主義に徹することを宣言したうえで、その平和主義の実現手段として憲法9条に「戦争放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」の3つを規定することで、国家権力に対して「戦争をするな」「戦力を持つな」「交戦権を行使するな」とすべての戦争行為に歯止めをかけています。

このような戦争放棄や軍備の撤廃が日本国憲法に盛り込まれた経緯に関しては、GHQ民生局に草案(GHQ草案)作成を命じたマッカーサーが指針として提示した「マッカーサー三原則」に戦争放棄に関する事項があったことから、「憲法9条の戦争放棄はマッカーサー(またはGHQ)から押し付けられたものだ」といわゆる「押しつけ憲法論」を声高に主張する人もいます。

しかし、このサイトの『憲法9条の戦争放棄と戦力不保持が日本人のオリジナルである理由』のページでも解説したように、憲法9条の根底に流れる平和思想は、GHQから草案の提示を受ける前の時点で、すでに日本政府が設置した憲法問題調査委員会(通称「松本委員会」)の議事録に「世界最初ノ平和国家非武装国家タラントスル国家方針」などという意見があったことが記録されていますし、幣原首相の自伝やホイットニーあるいはマッカーサーの回想録でも幣原首相がマッカーサーに戦争放棄の規定を盛り込むように伝達した事実が記録されていますから、マッカーサーやアメリカないし連合国から「押し付けられた」ものだったなどと短絡的に判断できるものではなく、当時の日本政府の中でもすでに憲法9条に通じる思想の議論自体は行われていたものだったということは明らかだったと言えるでしょう。

ところで、このように憲法前文や憲法9条に流れる戦争放棄の思想が当時のマッカーサーや日本政府(松本委員会)あるいは幣原首相などの中で議論されていた事実が実際にあったことが確認できるとしても、それは当時の指導者や権力者の間で議論されていたことことを示しているにとどまりますので、当時の民間人の間で戦争放棄や軍備の撤廃がどの様に認識されていたのかといった点については、これらの資料からうかがい知ることはできません。

では、当時の民間人の間では戦争放棄や軍備の撤廃などについて議論されていた事実はなかったのでしょうか。

ここでは、当時の民間人の間で議論されていた新憲法の草案の中に、現行憲法の前文や憲法9条の戦争放棄・軍備の撤廃の思想が議論されていた事実はなかったのか、という点について簡単に確認してみることにいたしましょう。

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日本人の民間グループの間で議論された数々の憲法草案

先の戦争終結後に当時の幣原首相が国務大臣の松本丞治に憲法問題調査委員会(通称「松本委員会」)を組織させ憲法学者や法律家を招聘して新憲法の草案(明治憲法の改正案)作成作業にあたらせたことは『日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要』のページでも詳しく解説しましたが、当時の日本ではそうした政府の内部以外でも、様々な民間グループの間で活発に新憲法(明治憲法の改正)の必要性が議論され、具体的な憲法草案も数多く作成されて発表されていたことが知られています。

そのすべてをあげることはできませんが、一般に知られているメジャーな民間グループの憲法草案としては、具体的には以下のものが挙げられます。

【戦争終結後に民間グループや個人で作成された憲法改正案】

・高野岩三郎「日本共和国憲法私案要綱」(1945年11月21日)
・清瀬一郎「憲法改正条項私見」(1945年”法律新報”12月号)
・布施辰治「憲法改正(私案)布施辰治起案」(1945年12月22日)
・稲田正次と憲法懇談会「憲法改正私案」(1945年12月24日)
・憲法研究会「憲法改正要綱(憲法草案要綱)」(1945年12月26日)
・大日本弁護士連合会「憲法改正案」(1946年1月21日)
・里見岸雄「大日本帝国憲法改正案私擬」(1946年1月28日)
・東京帝国大学「東京帝国大学憲法研究委員会報告書」(1946年春)

※出典:資料と解説[第2章 近衛、政府の調査と民間案] | 日本国憲法の誕生|国会図書館を基に作成

これらの草案のうち、明治憲法で許容されていた法律や天皇大権による留保を否定して全面的な人権保障を明確化させるなど、先進的な思想を多く含む草案として注目を集めた憲法研究会の「憲法改正要綱(憲法草案要綱)」が有名ですが(ちなみに憲法研究会が作成した「憲法改正要綱」はGHQ草案にも大きな影響を与えたことで知られています。詳細は→GHQ草案は日本人が作った憲法草案の影響を受けている?)、その憲法研究会の「憲法改正要綱(憲法草案要綱)」には現行憲法の9条に通じるような平和国家・非武装国家を追求するような条文は見当たりません。

では、これらの民間グループの中で平和国家・非武装国家を追求するような憲法規定が一切議論されなかったかと言うとそうでもありません。

稲田正次を中心に組織された憲法懇談会が作成した「憲法改正私案」には当初、現行憲法の9条に通じるような平和国家・非武装国家を追求する条文が盛り込まれようとしていた事実が存在します。

憲法懇談会の作成した「憲法改正私案」に明記されるはずだった「日本国ハ軍備ヲ持タサル文化国家トス」の一文

戦争終結当時、東京文理科大学の助教授の職に就いていた憲法学者の稲田正次は、戦争終結前の早い段階から戦後に明治憲法の改正が不可欠になると考えていたため、昭和20年(1945年)の5月には「戦後において断行すべき政治組織の改革要綱」と表題したメモに明治憲法の改正すべき点を列記していました(古関彰一著「新憲法の誕生」中央公論社76~77頁)。

そして戦争終結後、稲田正次はその構想に基づいて政治家の尾崎行雄に憲法改正の必要性を訴える手紙を書きますが、尾崎から賛同する返事を得られなかったことから一人で憲法改正案の私案をまとめ、「憲法改正私案」として昭和20年(1945年)の12月24日に政府の憲法問題調査委員会(通称「松本委員会」)に提出しています(※古関氏 前掲書76~77頁)。

その提出後も稲田は弁護士の海野晋吉を誘ってその私案の遂行を重ね、その稲田と海野によって作成された私案の最終案が岩波書店の創業者である岩波茂雄と尾崎行雄に提示され、賛同した岩波と尾崎の署名が記されたものが憲法懇談会の私案として昭和21年(1946年)の3月4日に再び政府に提出されました(※古関氏 前掲書76~77頁)。

この時政府に提出された憲法懇談会の私案(草案)は全90条からなる条文化された「日本国憲法草案」とその「説明文」から構成されていましたが、その草案の「第一章 総則」を作成する際、海野晋吉が「第5条」に「日本国ハ軍備ヲ持タサル文化国家トス」の一文を挿入するように提案したことが、稲田正次が1979年に発表した論文(「戦後憲法私案起草の経過」『富士論叢』(富士短期大学学術研究会誌)19頁)の中で明らかにされています(※古関氏 前掲書77~78頁)。

この「日本国ハ軍備ヲ持タサル文化国家トス」との規定は、軍備を撤廃し平和国家・非武装国家を追求する規定に他なりませんから、当時の民間グループが作成した憲法草案(私案)の中にも、現行憲法の基本原理である平和主義や戦争放棄、戦力不保持などを規定した憲法9条に通じる条文の憲法への明文化は実際に議論され、それが草案に明記されようとしていた事実が実際に存在していたことが明らかにされているわけです。

もっとも、この海野の「戦争放棄」規定の憲法条文への挿入に関する提案は、当時の稲田が憲法前文に平和主義を強調することで足りると考えていたこともあって結局は政府に提出された憲法懇談会私案からは削除されてしまいましたので、この「戦争放棄」にかかる条文は民間グループの私案として世に出ることはありませんでした。

しかし、当時の民間グループが作成した草案の中に、現行憲法の第9条に通じる戦争放棄思想の条文化が議論されていた事実は事実として存在していたことは明らかなのですから、憲法9条に流れる「戦争放棄」や「軍備の撤廃」という思想自体は、何も当時のマッカーサーやGHQだけが持っていた特異な思想なのではなく、当時の日本国内のリベラルな知識人の間ではすでに認知されていて、国民の間にも広く一般化されようとしていた思想であったということは間違いないでしょう。

なお、以上の海野晋吉の戦争放棄の条文化の提案が稲田正次になされた経緯については古関彰一氏の「新憲法の誕生(中央公論社)」で詳しく解説されていますので、以下に引用しておきます。

ところで、この「第一章 総則」を書く際に海野がつぎの一条を入れるよう提案したという。
第五条 日本国ハ軍備ヲ持タサル文化国家トス
これは結局同案から削除されることになるが、稲田はその経緯をこう回想している。
「さて第五条は日本国は軍備を持たざる文化国家とすと軍縮平和主義を強調した海野氏独自の提案であったが、私と海野氏との協議の際、私が本条を削って、その代わりに前文で平和主義を強調してはどうかと意見を述べたのに対して海野氏は自分の立場を固執せずあっさり同調してしまわれた。今日考えると、海野氏の軍備を持たず云々の提案は維持すべきであって、これを削ってしまったのは誠に惜しまれる次第である(「戦後憲法私案起草の経過」『富士論叢』(富士短期大学学術研究会誌)19頁)。
マッカーサーの「押しつけ」と言われて久しい現憲法の「戦争の放棄」も案としては、日本側の民間草案の中に不十分な規定ではあれ、存在していたのである。

※出典:古関彰一著「新憲法の誕生」中央公論社78頁より引用

憲法9条の「戦争放棄」「戦力不保持」は当時の世界では決して唐突なものではなかった

以上で指摘してきたように、現行憲法の前文で明示された平和主義の基本原理や憲法9条で明記された「戦争放棄」や「戦力不保持」の理念は、何もマッカーサーやGHQの草案だけに見られるものなのではなく、当時の民間グループが作成した憲法草案(私案)の中にも明記されていたものであって、決して当時の世界では特別な思想ではなかったことが明らかにされています。

当時の日本政府はGHQ民生局が作成したGHQ草案をたたき台にして現行憲法である日本国憲法の憲法草案(明治憲法の改正案)を作成し、そのGHQ草案に「戦争放棄」や「戦力不保持」の規定があったことから現行憲法の9条を「押し付けだ!」と非難する人がいるわけですが、そのGHQ草案に明記されていた「戦争放棄」や「戦力不保持」の理念自体は、当時の世界では唐突なものではなく、広く一般化されようとしていた思想だったと言えるわけです。

GHQ民生局でGHQ草案の作成に携わったケーディスは、後に「当時、みんな戦争放棄とか平和主義について同じようなことを考えていましたし、この考えがだれによって、また何処から始まったのか特定することは難しい(竹前栄治著『日本占領ーGHQ高官の証言』中央公論社60頁、古関彰一著「新憲法の誕生」中央公論社132頁)」と述べていますが、このように当時一般化されようとしていた平和主義の理念を「誰が発案したか」という点で論じることは、歴史学的な価値があるとしても憲法論的な意義があるとは思えません。

憲法9条の「戦争放棄」や「戦力不保持」の規定は、マッカーサーやGHQの押付けなのか、幣原首相の発案による日本人独自の発案なのかという点で論じられることは多いですが、それが「誰の発案か」という点よりも、当時の世界ではそれが「既に広く一般化されようとしていた思想」であって、現にそれが日本国民の自由な意思の表明として日本国憲法の条文として制定され、今日まで脈々と受け継がれてきたことは事実なのですから、「押し付け」などと短絡的に思考停止に陥るのではなく、その「戦争放棄」や「戦力不保持」をどのように世界平和の実現につなげてゆくのかといった建設的な議論することが、今の我々に求められているのではないかと思います。