日本国憲法は第十章に「最高法規」の章を設けたうえで、そこに第97条として憲法で保障される基本的人権が重い歴史を背負って確立されてきたこと、またその基本的人権が不可侵であることに注意を促す条文を置いています。
【日本国憲法(抄)】
第十章 最高法規
第97条
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
この第十章の「最高法規」の冒頭に置かれた第97条は、同様に基本的人権の不可侵性を規定した第11条と『重複するのでは?』との意見もありますが、基本的人権が重い歴史を背負って獲得されてきた事実と、その基本的人権が永久不可侵であることに注意を促すことによって、第96条に規定された硬性憲法の建前と、第98条に規定された憲法の形式的最高法規性の実質的な根拠を明らかにした規定と考えられています(※詳細は→自民党憲法改正案の問題点:第十一章|最高法規から人権体系を除外)。
【日本国憲法(抄)】
第三章 国民の権利及び義務
第10条(省略)
第11条
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
つまり、その文章自体は第三章の「国民の権利及び義務」に置かれた第11条と重複する部分がありますが、だからといって同じ内容の条文を重複させたわけではなくて、基本的人権の重い歴史と不可侵性を述べた第97条を「最高法規」の第十章に置くことによって、その基本的人権の重い歴史とその不可侵性そのものに憲法が最高法規であることの根拠を見出し、全ての権力に対する法の優越を認める「法の支配」の原理を明らかにするために重要な意味のある独立した条文であると考えられているわけです。
日本国憲法第十章「最高法規」の冒頭にあって、基本的人権が永久不可侵であることを宣言する九七条は、硬性憲法の建前(九六条)、およびそこから当然に派生する憲法の形式的最高法規性(九八条)の実質的な根拠を明らかにした規定である。
※出典:芦部信喜著「憲法」岩波書店12頁
実質的最高性の原則があって初めて、形式的最高性を確認した98条1項が導き出されるという、密接な憲法思想史的関連を考えると、それを明示する97条が「最高法規」の章の冒頭に存在することは、11条と異なる独自の重要な意味を有すると言わねばならない。そこには英米法の「法の支配」の原理の端的な表現を見出すことができる。「一見して脈絡を欠く条項の集合のごとく感ぜられる」最高法規の章も、「『法の支配』の表現としては統一した意味をもつのである」。
※出典:芦部信喜「憲法学Ⅰ 憲法総論」有斐閣57~58頁
したがって、憲法第97条の条文を「最高法規」の章から移動させたり、第97条の条文自体を「最高法規」の章から削除してしまうことは、基本的人権の重い歴史とその不可侵性そのものに憲法の最高法規性の実質的根拠があることを失わせ、国家権力による基本的人権の制限を許容することにつながるため自由主義、また民主主義の観点から考えれば問題があります。
基本的人権の不可侵性を述べた第97条が憲法の最高法規性の実質的根拠から外されてしまえば、たとえ第11条に「侵すことのできない永久の権利」と基本的人権の不可侵性を示す条文が置かれていたとしても、その条文は空文化してしまうことになり「(国家権力の統治行為を妨げない範囲で)侵すことのできない永久の権利」という意味合いに変えられてしまうのです。
憲法の「最高法規」の章に置かれた第97条は、国家権力が国の統治を国民の基本的人権よりも優先させて国家の為に国民の自由や権利を制限することを防ぐために、なくてはならない条文と言えるわけです。
- 【1】「憲法97条は11条と重複してるから削除すべき」との主張が根拠にする佐藤達夫の手記の内容
- 【2】憲法97条がGHQとの折衝と帝国議会を経て成立された経緯
- 【3】「憲法97条は11条と重複してるから削除すべき」論の検証
- 最後に
【1】「憲法97条は11条と重複してるから削除すべき」との主張が根拠にする佐藤達夫の手記の内容
ところで、このように極めて重要な条文と考えられている第97条に関しては、その存在に疑問符を投げかける国会議員やメディア関係者が後を絶ちません。
たとえば、自民党の和田政宗参議院議員や(株)アゴラ研究所代表取締役の池田信夫氏などが代表的で、自民党が公開している憲法改正草案のQ&Aにも同様の趣旨の記述が見られます。
彼らの主張は概ね、現行憲法の制定過程において草案のすり合わせのためにGHQと折衝にあたった佐藤達夫法制局第一部長(当時)の手記の記述を根拠に、「憲法第97条は本来削るべきであったものがGHQの要請で仕方なく残されもので第11条と重複するだけだから削除すべきだ」という趣旨のように見受けられます(※彼らが主張している内容はこの記事の末尾の【3】で紹介し、当サイト筆者の批評も載せていますのでそちらをご覧ください)。
現行憲法の制定過程では、ポツダム宣言の趣旨を十分に理解できなかった当時の日本政府(※正確には当時の幣原首相が内閣に組織させた憲法問題調査委員会(通称「松本委員会」))が天皇主権を存続させた保守的な憲法草案を作成してしまったことから、マッカーサーの指示でGHQ民生局が憲法草案の元になる原案(GHQ草案※人によっては”マッカーサー草案”と呼ぶ場合もあります)を作成することになり、そのGHQ草案が日本側に提示されて日本政府とGHQ民生局の間で折衝(草案のすり合わせ)が行われて憲法草案(内閣草案)が作成されていった経緯があります(※この点の詳細は『日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要』や『日本国憲法の制定にGHQやマッカーサーが関与したのはなぜなのか』のページで詳しく解説しています)。
そのGHQ民生局との折衝を主に担ったのが当時の法制局第一部長だった佐藤達夫なのですが、その佐藤達夫が後年(1959年)に書いた手記の中で、当時のいきさつを次のように回想して、現行憲法の第11条後段の文章は、当初は削ることがGHQとの間で合意されていたGHQ草案第10条の文章をGHQからの要望があったことで結果的に第十章「最高法規」の第97条として残すことになった際、GHQ草案第10条を第97条として残すとなると、そのGHQ草案第10条を若干修正して規定した第11条後段の文章が第97条の文章と「ダブる」ことになるため、本来は第97条としてGHQ草案の第10条を残す代わりに削除すべきだったのが誤って残されてしまったものだった、という趣旨の証言をしています。
以下、佐藤達夫の手記の該当部分を引用しようと思ったのですが、この記事執筆時点において同手記(佐藤氏の手記が載せられている本)が国会図書館でデジタル化のために閲覧制限が掛けられていましたので(郵送複写を依頼するのが面倒くさかったので)、あまり褒められたものではありませんが、衆議院の憲法審査会事務局が作成した資料が引用している部分を以下にそのまま孫引きします(※デジタル化が終了した時点で確認し直す予定ですが、衆議院憲法審査会事務局が作成した資料なので間違いはないと思います)。
いわゆるマッカーサー草案の第3章のはじめに、次の二つの条文があった。
※出典:佐藤達夫「時と経験の坩堝」〔1959 年〕『法律の悪魔』(学陽書房、1969 年)pp.126-130(※衆議院憲法審査会事務局「憲法に関する主な論点(第10章 最高法規、第11章 補則)に関する参考資料(衆憲資第85号)」5頁より孫引き)
「第9条 日本国ノ人民ハ何等ノ干渉ヲ受クルコト無クシテ一切ノ基本的人権ヲ享有 スル権利ヲ有ス
第10条 此ノ憲法ニ依リ日本国ノ人民ニ保障セラルル基本的人権ハ人類ノ自由タラントスル積年ノ闘争ノ結果ナリ時ト経験ノ坩堝ノ中ニ於テ(in the crucible of time and experience)永続性ニ対スル厳酷ナル試錬ニ克ク耐ヘタルモノニシテ永世不可侵トシテ現在及将来ノ人民ニ神聖ナル委託ヲ以テ賦与セラルルモノナリ」
(当時の外務省直訳による)
――というのである。
……「積年ノ闘争ノ結果」だとか「時ト経験ノ坩堝」だとか、とてもこれでは日本の法文の体をなさない。……あれこれと思案のあげく、……この二つの条文を一条にまとめて、
「第10条 国民ハ凡テノ基本的人権ノ享有ヲ妨ゲラルルコトナシ。
此ノ憲法ノ保障スル国民ノ基本的人権ハ其ノ貴重ナル由来ニ鑑ミ、永遠ニ亘ル不可侵ノ権利トシテ現在及将来ノ国民ニ賦与セラルベシ」
――とし……総司令部に持ちこんだのであったが……先方もわれわれの案に同意してくれて、ただ、「“其ノ貴重ナル由来ニ鑑ミ”というのは、これだけの文句では意味がわからないから削った方がいい。」といった。……
ところが、そのよろこびもつかの間、相手側の……しばらく中座していたのがもどってきて「……実は、あれはチーフ〔注:ホイットニー民政局長〕みずからのお筆先になる得意の文章であり、どうも削ることはぐあいが悪い。せめて尻尾の方の第10章あたりに復活することに同意してもらえないか。」といい出した。……そうまでいうなら、とこれに同意し、第10章のはじめに、いまの第97条に当たる「此ノ憲法ノ日本国民ニ保障スル基本的人権ハ人類ノ多年ニ亘ル自由獲得ノ努力ノ成果ニシテ、此等ノ権利ハ過去幾多ノ試錬ニ堪ヘ現在及将来ノ国民ニ対シ永遠ニ神聖不可侵ノモノトシテ賦与セラル」という条文を入れることにしたのであった。
これが、そもそもの原因なのだが、そうすると、これと、われわれの用意した第10条の第2項とはダブることになるので、この第2項は削ることにした。ところが、そのあと、総司令部側で……まとめた英文では、この第2項(現在の第11条後段)がそのまま残っていることを発見した。……この重複が気になって……よほど整理を申し入れようかと思ったが、……うっかりそれを持ちだして、ほかの大事な問題が犠牲になったり、新しい問題のきっかけを作ったりしては、かえって不利だし……とにかく無害だからということで、政府案としてはそのままにしてしまったというわけである。
だが、あとでいちばん気になったのは、それよりも、この条文を最高法規の章に入れたことである。どうせ、マ草案の第10条を復活するのなら、すなおに、マ草案のとおり、第3章のはじめの位置においた方がよかったのではないか、ということである。
……というわけなのだが、この第97条の説明としては、当時から、基本的人権の確立こそは、この憲法の核心をなすものであり、したがって、その貴重なゆえんを強調したこの条文は、まさに実質的な意味での最高法規性につながる、ということで一貫してきた。
……憲法が実施されてすでに12年、もはやこの条文は、それこそ“時と経験の坩堝”のなかで、第10章にりっぱに溶けこんでいるといってよさそうである。
文中中盤の「あれ」はGHQ草案では第10条として規定されていた現行憲法第97条の基になる文章の原案のこと、「マ草案」とはGHQ民生局がマッカーサーからの指示(いわゆるマッカーサー三原則)に沿って作成し日本政府に提示したいわゆる「GHQ草案(マッカーサー草案)」のことを指します。
なお、この佐藤達夫の手記に書かれた経緯が本当に事実としてあったのか、という点に疑問も生じますが、佐藤達夫が当時(昭和21年3月)書き残したメモ(※「三月四、五両日司令部ニ於ケル顛末」|国会図書館 )にも同じような内容が記述されていますので、この佐藤達夫の手記の内容は実際に当時のGHQとの折衝の折に経験した事柄であったのだろうと思われます。
以下、当時のメモが国会図書館で公開されていますので該当部分を引用しておきます。
(当サイト筆者中略)
第三章 国民ノ権利義務
第十条 二項ハ交付案第十条ニ依ルモノナルモ何故カ斯ク○○ニセルヤトノ反問アリ。我ガ立法ハ○○ヲ旨トスルヲ以テカカル歴史的、芸術的ノ表現ハ其ノ例ナシト答フ。
「此ノ憲法ノ保障スル」を削ルベシトノ諭アリタルモ、原文ニモアリ、復活、「其ノ尚重ナル由来ハ分ラヌト云フ故削ルコトトシ、一応先方了承セルモ後ニ打合セタルモノノ如ク(ホイツトネー将軍ト)之ハ将軍の自ラノ筆ニ成ル得意ノモノ故何トカシタシ、セメテ後ノ章ニ入レテ呉レトノ懇望アリ承認ス。
(従テ最後案第十条ニ項ヲ存セルハ整理漏レナリ。英文ニモ其ノ儘存セリ。)(当サイト筆者中略)
第十章 最高法規
第九十条(要綱第九十三)
※出典:佐藤達夫「三月四、五両日司令部ニ於ケル顛末」|国会図書館 より引用(※注1:読みやすくするため旧字を常用漢字等に変更した部分があります)(※注2:「○○」の部分は原文資料の画像から読み取れなかった部分です。読み取れる方がいらっしゃれば当サイト管理人までご連絡くださると助かります)
要綱第九十四第一項前出通交付案第十条ヲ移ス
(以下、当サイト筆者省略)
ともあれ、憲法制定時のGHQとの折衝の中でこうした経緯があった(と思われる)ことから、この佐藤達夫の手記を根拠にして「第97条は11条と重複するから削除すべきだ」と声を荒げて削除しようとする人が現れてしまうわけですが、この佐藤達夫の手記を前提にするのであれば、端的に言ってそうした主張は成り立ちません。
なぜなら、この手記で佐藤達夫は
『 この第97条の説明としては、当時から、基本的人権の確立こそは、この憲法の核心をなすものであり、したがって、その貴重なゆえんを強調したこの条文は、まさに実質的な意味での最高法規性につながる、ということで一貫してきた 』
と述べているからです。
この手記を前提とするのであれば、第97条の草案を作成した当時の日本政府は、第97条に規定された基本的人権の重い歴史とその不可侵性こそが憲法の最高法規性の実質的根拠につながると帝国議会で『一貫して説明』してきたことになりますから、その説明を前提として帝国議会で議論され可決された現行憲法の第97条は、そこに記述された基本的人権の重い歴史とその不可侵性に憲法の最高法規性の実質的根拠を見出すために必要不可欠な条文として成立したものと理解しなければなりません。
現行憲法は、帝国議会の議論と議決を経て成立しているものだからです。
もちろん、佐藤達夫の手記は「当時から……一貫してきた」と述べていますので、現行憲法が制定された後の日本政府も同様に、第97条について基本的人権の重い歴史とその不可侵性を述べた条文を第十章の「最高法規」の章に置いたことでそれが憲法の最高法規性の実質的根拠になると「一貫して」解釈してきたと言えますから、制定当時の日本政府のその解釈は成立後も継続していることになります。
つまり、佐藤達夫の手記の記述を前提にすれば、憲法制定当時から日本政府は憲法の「最高法規」の章に置かれた『基本的人権の確立』と『その貴重なゆえん(基本的人権の歴史性)』について規定した第97条について『実質的な意味での最高法規性につながる』と説明してきたことになるので、第97条はこのページの冒頭で説明したように、基本的人権の重い歴史とその不可侵性そのものに憲法が最高法規であることの根拠を見出し、全ての権力に対する法の優越を認める「法の支配」の原理を明らかにするために重要な意味のある独立した条文として成立したとしか言えないわけです。
これは、歴史論(事実論)の組み立ての側面から考えても当然の帰結です。なぜなら、佐藤達夫の手記に記述された過去の事実を根拠にして「97条(草案の10条)は本来は削るはずだったものだ」「97条はGHQからの要望で残したものだ」「だから削除すべきだ」と組み立てる主張は憲法論ではなく歴史論もしくは事実論だからです。
歴史論(事実論)に立つのであれば、制定当時から日本政府が第97条に記述された人権の重い歴史とその不可侵性を憲法の最高法規性の実質的根拠とする説明で『一貫してきた』歴史や事実も無視することはできませんから、佐藤達夫の手記に記述された『当時の日本政府とGHQとのやり取りの歴史や事実』を採用しておきながら、同じ佐藤達夫の手記に記述された『制定当時の日本政府が帝国議会で第97条の実質的最高法規性に関する説明を一貫してきた歴史や事実』を採用しないという主張の組み立ては取ることができません。そうした議論の組み立てをしてしまえば、歴史論(事実論)に立ちながら、過去に起きた歴史や事実に基づいていないことになるからです。
佐藤達夫の手記に記述された『当時の日本政府とGHQとのやり取りの歴史や事実』を根拠にする一方で、同じ佐藤達夫の手記に記述された『制定当時の日本政府と制定後の日本政府が帝国議会やその後の国会で第97条の実質的最高法規性に関する説明を一貫してきた歴史や事実』を無視するのは、史料の恣意的な切り取りになってしまいますから、そうして切り取られた史実によって自分に都合の良い結論を導き出すことは、不要・不当な議論の混乱を招くだけであって歴史論(事実論)として成り立たないのです。
そうであれば、佐藤達夫氏の手記に記述された過去の事実に基づいて第97条を歴史論(事実論)として論じる限り、たとえ第97条がGHQからの要請で残すことになったものであり、またその文章に部分的に第11条と重複する箇所があったとしても、その結果的に残すことになった第97条の文章は当時からの日本政府における『基本的人権の確立』こそが『憲法の核心をなすもの』であり『まさに実質的な意味での最高法規性につながる』ということで『一貫してきた説明』によって憲法の最高法規性の実質的根拠となる重要な条文となったのであって、憲法の基本原理である「基本的人権の尊重」を具現化するためになくてはならない条文として成立したということになりますから、歴史論(事実論)としては、第97条は第11条と内容の異なる独立した別個の条文としか言えません。
第97条は第11条と外見上は重複しているように見えても、佐藤達夫の手記で述べられているように97条は『実質的な意味での最高法規性につながる』条文として成立されていることに鑑みれば本質的には重複していないので「第97条は11条と重複するから削除すべきだ」との結論は導かれないのです。
もっとも、こう述べても憲法制定当時の日本政府(松本委員会)とGHQ民生局の折衝の詳細や、帝国議会で具体的にどのような議論がなされたのかという点を知らない人も多いと思いますので、ここからは、GHQ草案が日本政府に提示されたあたりから時系列に沿って現行憲法第97条が成立するに至った経緯を振り返りながら、「第97条は第11条と重複するから削除すべきだ」との意見のどこが歴史論(事実論)として間違っているのか、検証していくことにいたしましょう。
【2】憲法97条がGHQとの折衝と帝国議会を経て成立された経緯
先ほど少し触れたように、現行憲法は、制定される過程において当初日本政府が独自の憲法草案を作成したものの(いわゆる松本委員会が作成した松本草案)、その松本案がポツダム宣言の趣旨を十分に理解できておらず天皇主権を存続させた保守的な内容だったため、マッカーサーの指示でGHQ民生局が憲法草案の元になる原案(GHQ草案)を作成することになり、これが日本側に提示されてGHQ民生局と日本政府の間で折衝が行われ、両者が合意した草案が帝国議会に提出されて議会で議論され可決される形で成立しています(※詳細は→日本国憲法の制定にGHQやマッカーサーが関与したのはなぜなのか)。
もちろん、現行憲法の第97条もそうした手続きを経て制定されているわけですが、憲法制定過程の詳細と議論の経過を知らない人もいると思われますので、この【2】の段落では、GHQ民生局との折衝と帝国議会において、それぞれ具体的にどのような議論が行われたのかという点をGHQとの折衝過程を「(1)」、帝国議会における議論の過程を「(2)」とそれぞれ分けて時系列で整理していくことにいたします。
(1)GHQ民生局との折衝で第97条に関しどのような議論が交わされたか
まず、GHQ民生局と日本政府の間でどのような議論が交わされたのかという点を確認していきましょう。
ア)GHQ民生局から提示されたGHQ草案における第10条
この点、当初GHQから日本側に提示されたGHQ草案には第10条として次のような条文が置かれていました。
もちろん、GHQが作成した草案は英語で書かれていますが(※英語の原文は国会図書館で公開されています→https://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/076a_e/076a_e001l.html)、それを日本語訳したものが次の条文になります。
【GHQ草案の日本語訳のうち第10条】
第10条
※出典:GHQ草案|国会図書館 を基に作成(※一部常用漢字に変更した箇所があります)
此ノ憲法ニ依リ日本国ノ人民ニ保障セラルル基本的人権ハ人類ノ自由タラントスル積年ノ闘争ノ結果ナリ時ト経験ノ坩堝ノ中ニ於テ永続性ニ対スル厳酷ナル試練ニ克ク耐ヘタルモノニシテ永世不可侵トシテ現在及将来ノ人民ニ神聖ナル委託ヲ以テ賦与セラルルモノナリ
イ)GHQ草案を受けて日本側が作成した3月2日案における第10条
しかし、「積年ノ闘争ノ結果」や「時ト経験ノ坩堝」など歴史性や詩的な内容を含む表現は日本の法文では使われないのが通常ですし、そもそも戦前の日本では国家権力によって強度に国民の人権が制限されてきたわけですから、新憲法(現行憲法)に規定しようとしている人権保障規定は第二次大戦の戦勝国から『与えてもらった』ものであって、日本国民が主体的・能動的に権力者との「積年ノ闘争ノ結果」によって獲得したものではありません。
そこで日本側は、前に挙げた佐藤達夫が手記で述べているように『とてもこれでは日本の法文の体をなさない』として、GHQ草案の第10条からその歴史的・詩的部分を除いて次のように変更した草案をGHQ民生局に提出しました。ちなみに、この時に日本政府がGHQに提出した草案がいわゆる「3月2日案」と呼ばれる草案となります。
【日本政府がGHQ草案を受けて作成した3月2日案のうち第10条】
第10条
※出典:日本国憲法(昭和21年3月2日)|国会図書館 を基に作成
第1項 国民ハ凡テノ基本的人権ノ享有ヲ妨ゲラルルコトナシ。
第2項 此ノ憲法ノ保障スル国民ノ基本的人権ハ其ノ貴重ナル由来ニ鑑ミ、永遠ニ亙ル不可侵ノ権利トシテ現在及将来ノ国民ニ賦与セラルベシ。
こうして日本側からGHQに提出された3月2日案はGHQ民生局において翻訳されますが、GHQ草案との相違点が多岐にわたるため、昭和21年3月4日から5日にかけて、GHQ民生局と日本政府(松本委員会)の間で折衝が行われました。ちなみに、当初は松本委員会の委員長だった松本烝治(国務大臣)も出席していましたが、途中からは主に法制局第一部長の佐藤達夫が中心となって折衝を行ったそうです。
ウ)GHQとの折衝を経て日本側が作成した3月5日案における第10条と94条
そして、佐藤達夫の手記を前提にすれば、そのGHQ民生局との折衝の中で、GHQ側は当初GHQ草案の第10条に修正を加えることにいったんは同意していたと思われますが、10条の原案は民生局長のホイットニー発案の文章であったことから、後になってGHQ側から10条をできる限り元の文面で残すように要請されたため、日本側がそれに応じて残すことに同意し、第十章の「最高法規」の章に第94条(※3月5日案では94条として規定。のちにこれが97条となります)を新たに設けて、そこにGHQ草案の第10条をほぼ原案のままの文章で記述することになったということになります。
なお、GHQ側は単に第10条を『せめて尻尾の方の第10章あたりに復活することに同意してもらえないか』と要望しただけですから、GHQ側が必ずしもその文章を第十章の「最高法規」の章に配置するように強要したわけではないことに留意する必要があります。
GHQ側は『せめて尻尾の方の第10章あたりに』と述べていますので、第9章でも第11章でもホイットニーの文章がどこかに残されていれば、それでよいと考えていたわけです。佐藤達夫の手記は『どうせ、マ草案の第10条を復活するのなら、すなおに、マ草案のとおり、第3章のはじめの位置においた方がよかったのではないか』とも述べていますから、GHQ草案のとおり第10条にそのまま残す選択もあったわけです。
第10条の文章を第十章の「最高法規」の章に第94条として置くことにしたのは、あくまでも日本政府の判断だったのですから、その点は誤解しないようにしなければならないでしょう(※GHQ側は『「最高法規」の章にGHQ草案第10条の文章を置け』とは言っていないということ)。
もっとも、第94条を新たに設けてGHQ草案第10条の文章をそこに入れるのであれば、GHQ草案の第10条から歴史性や詩的な表現を除いて修正した3月2日案の第10条2項の文章は、新たに設ける第94条と文面に重複する部分が生じてしまうため不要となります。
そのため日本側では、第94条の文章と重複する第10条の2項の文章(現行憲法では第11条の後段の文章)を削除しようとしていたわけですが、GHQ民生局がまとめた英文の条項を佐藤達夫が確認すると第10条に日本側がGHQ草案10条2項から歴史的・詩的表現を除いて修正した10条2項がそのまま残っていました。
そこで佐藤達夫は、10条から2項の文章を削除するようにGHQに求めようとしたわけですが、そうすることで他の問題が犠牲になったり、他の条文で問題を指摘されてしまう可能性もあるし(※佐藤達夫はそう考えた)、10条2項に94条と重複する文章が残されたとしても、10条2項は『無害だから』ということで、GHQとの折衝を経て日本政府が作成した草案には、10条に2項をそのまま残して作成することにしたわけです。
もっとも、佐藤達夫は『うっかりそれを持ちだして、ほかの大事な問題が犠牲になったり、新しい問題のきっかけを作ったりしては、かえって不利だし』と手記で述べていますから、10条を削除しようと思えば削除できたという点は留意する必要があります(※日本側としては第10条を削除しようと思えば削除できたが、他の箇所でケチを付けられると面倒なので10条を残すことにしようと考えていたということ)。
こうして作成されたのが、のちに「3月5日案」と呼ばれる憲法草案です。
なお、以下に引用するのはこのGHQとの折衝を経て日本政府が作成したいわゆる「3月5日案」の第10条と94条ですが、3月2日案では修正されていたGHQ草案第10条の文章が第94条に復活して規定されている一方、3月2日案でそのGHQ草案第10条から歴史的・詩的表現を除いて修正した第10条2項もそのまま残されているのが分かります(※なお、のちにこの第10条の1項と2項がまとめられて現行憲法の第11条となります)。
【日本政府がGHQ民生局との折衝を経て作成した3月5日案のうち第10条と第94条】
第10条
第1項 国民ハ凡テノ基本的人権ノ享有ヲ妨ゲラルルコトナシ。
第2項 此ノ憲法ノ保障スル国民ノ基本的人権ハ、永遠ニ亙ル不可侵ノ権利トシテ現在及将来ノ国民ニ賦与セラルベシ。第94条
※出典:日本国憲法(昭和21年3月5日)|国会図書館 を基に作成
此ノ憲法ノ日本国民ニ保障スル基本的人権ハ人類ノ多年ニ亙ル自由獲得ノ努力ノ成果ニシテ、此等ノ権利ハ過去幾多ノ試練ニ堪ヘ現在及将来ノ国民ニ対シ永遠ニ神聖不可侵ノモノトシテ賦与セラル。
エ)3月6日に発表された憲法改正草案要綱における第10条と94条
そしてこの3月5日案を基にして、憲法改正草案要綱が作成されます。なお、この要綱は、「3月5日案の英文を基本として、その枠内で、日本文の表現を整えたもの(国会図書館)」だったと考えられているようです。
この憲法改正草案要綱では、第10条と第94条は次のように規定されていました。3月5日案では第1項と2項に分割されていた10条が1つの条文にまとめられており、94条も文言に若干の変更が加えられているのが分かります。
【3月6日に発表された憲法改正草案要綱のうち第10条と第94条】
第10条
国民ハ凡テノ基本的人権ノ享有ヲ妨ゲラルルコトナキモノトシ此ノ憲法ノ保障スル国民ノ基本的人権ハ永遠ニ亙ル不可侵ノ権利トシテ現在及将来ノ国民ニ賦与セラルベキコト第94条
※出典:憲法改正草案要綱(1946年3月6日)|国会図書館 を基に作成
此ノ憲法ノ日本国民ニ保障スル基本的人権ハ人類ノ多年ニ亙ル自由獲得ノ努力ノ成果ニシテ、此等ノ権利ハ過去幾多ノ試錬ニ堪へ現在及将来ノ国民ニ対シ永劫不磨ノモノトシテ賦与セラレタルモノトスルコト
ちなみに、この憲法改正草案要綱は昭和21年3月6日に発表されて新聞紙にも掲載されていますから、当時の国民もこの要綱の内容を認識しています。
また、この憲法改正草案要綱が発表されてから約一か月後の4月10日に戦後初の衆議院議員選挙の投票が行われ、その選挙で当選した議員がのちに帝国議会でこの憲法改正草案要綱を基にした帝国憲法改正案を圧倒的多数で可決していますので、現行憲法の第97条を含む現行憲法のすべては、主権者である国民の民意がその範囲で反映されたうえで成立しているものと言えます(※この点については→ 『日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要』や『国民投票を経ていない現行憲法は制定手続に不備があるといえるか』のページで詳しく論じています)。
オ)4月17日に発表された憲法改正草案における第10条と93条
4月10日に公表された憲法改正草案要綱は口語化されていませんでしたので、憲法改正草案要綱を基にして口語化された憲法改正草案が、GHQの了承と閣議の了解を経て作成され、昭和21年4月17日に国民に向けて公表されました。
なお、この4月17日に公表された憲法改正草案では、条文を一部整理した結果、憲法改正草案要綱で第94条として規定されていた条文が第93条(のちの第97条)として規定されています。
この口語化された憲法改正草案における第10条と93条の内容は次のとおりです。
【4月17日に公表された憲法改正草案のうち第10条と93条】
第10条
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。第93条
※出典:憲法改正草案(昭和21年4月17日)|国会図書館 を基に作成
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
カ)6月10日に帝国議会に提出された帝国憲法改正案における第10条と93条
前述の「エ」で述べたように、4月10日に衆議院議員選挙が行われていましたから、その結果を受けて新しい内閣(第一次吉田内閣)が6月10日に組織され、同日に内閣から前述の「オ」で紹介した憲法草案を基にした帝国憲法改正案が帝国議会に提出されました。
6月10日に帝国議会に提出された帝国憲法改正案における第10条(現行憲法の第11条になる条文)と93条(現行憲法の第97条になる条文)の内容は次のとおりです。
【6月10日帝国議会に提出された憲法改正草案のうち第10条と93条】
第10条
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。第93条
※出典:帝国憲法改正案(内閣案:昭和21年6月10日)|国会図書館 を基に作成
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
(2)帝国議会の衆議院で第97条に関しどのような議論が交わされたか
以上の(1)ような経緯を経て作成された帝国憲法改正案(内閣案)が帝国議会に提出されて衆議院と貴族院で議論されることになるわけですが、帝国議会の衆議院では委員会と本会議でそれぞれ議論が行われています。
以下その過程で具体的にどのような議論が行われていったのか、当時の議事録を引用する形で(主に政府側答弁部分を抜粋して)確認していくことにいたしましょう。
a)委員会における第10条と93条にかかる議論の内容
まず、衆議院の委員会で具体的にどのような議論が行われたのかという点を確認しますが、委員会で当時の日本政府(吉田内閣)は、憲法草案第10条(現行憲法の第11条となる原案)と憲法草案第93条(現行憲法の第97条となる原案)に関する出席議員からの質問に対して次のように答弁しています。
第10回委員会(昭和21年7月11日)金森徳次郎国務大臣の答弁
九十三条ノハ、今マデ申上ゲマシタヤウニ、結局国民ノ基本権ト云フモノハ尊イモノデアルゾ、ソレヲ侵スコトガ出来ナイ権利トシテ国民ニ此ノ憲法ハ認メルゾ、サウ云フ意味デアリマス、而モ勝手ニ処分シチヤイケナイ、是ハ大事ナ宝物トシテ扱ヘト云フコトデ、永久ノ権利トシテ信託サレタモノデアル、斯ウ云フ趣旨ニ出来テ居ル
※出典:衆議院小委員会議事録 昭和21年7月11日(第10号)金森徳次郎国務大臣答弁|衆議院 より引用
第13回委員会(昭和21年7月15日)金森徳次郎国務大臣の答弁
此ノ憲法ニ一々列記シテナクテモ、苟クモ国民ノ基本的人権ト言ヒ得ルモノデアルナラバ、ソレハ享有ヲ国家ガ妨グルコトヲ得ナイト云フ趣旨ヲ以テ出来テ居リマス、第十条ノ初メノ方ニアリマス十数箇ノ文字ハソレヲ規定シテ居ルモノデアリマス
※出典:衆議院小委員会議事録 昭和21年7月15日(第13号)金森徳次郎国務大臣答弁|衆議院 より引用
第15回委員会(昭和21年7月17日)金森徳次郎国務大臣の答弁
大体憲法ガ予想シテ居リマスノハ、国家ガ個人ノ伸ビテ行ク自然ノ働キヲ権力ヲ以テ妨害スルト云フヤウナコトノナイヤウニスルノガ、普通ノ意味ノ保障ノ中味デアラウト思ヒマス、斯様ナモノハ是ガ宗教ノ面ニ現ハレ、思想ノ面ニ現ハレ、良心ノ面ニ現ハレ、或ハ身体ニ対スル侵害等トシテ現ハレ、或ハ人間ノ家庭生活ヲ平穏無事ニ営ンデ居ルノニ権力ヲ以テ中ニ侵入等ヲスルコトヲ防止スルヤウナ意味ノ形ニ於テ現ハレル、大体種々ナル角度カラ今回ノ憲法ハ人間ノ精神生活ノ充実ヲ図リマスコトハ確保セラレテ居ルト思ヒマス、併シ全部ガ確保サレテ居ルト云フコトハ言ヒ切レマセヌ、サウ云フノハ此ノ憲法ニ漏レマシテモ、此ノ憲法ノ第三章ノ最初ノ条文、即チ第十条ガ「カバー」シテ居ルト思フノデアリマスルシ、然ラザレバ個々ノ法律ヲ以テ充足スベキモノト考ヘマス
※出典:衆議院小委員会議事録 昭和21年7月17日(第15号)金森徳次郎国務大臣答弁|衆議院 より引用
これらはあくまでも委員会で行われた草案第93条(のちの97条)と第10条(のちの11条)の議論のうちの一部を抜粋したものに過ぎませんが、草案を議会に提出した政府側から「是ハ大事ナ宝物トシテ扱ヘト云フコト(第10回委員会)」「国家ガ……妨害スルト云フヤウナコトノナイヤウ(第15回委員会)」などの答弁があることを考えれば、当時の日本政府が93条や10条で保障しようとした人権規定を国家権力をも縛る最も重要な規範だと考えていたことが分かります。
b)本会議における第10条と93条にかかる議論の内容
次に、本会議でどのような議論が交わされたのか確認してみましょう。本会議の議事録からは、まず政府側として小委員会の委員長を務めた芦田均議員による次の答弁を紹介しておきます。
衆議院本会議(昭和21年8月24日)芦田均議員(小委員会委員長)の答弁
「第三章國民の權利及び義務」ニ付テ説明致シマス、此ノ章ニ規定スル内容ハ、基本的人権ノ擁護、社会的生存権ノ確認及ビ個人ノ尊厳ト両性ノ本質的平等ニ立脚スル家庭生活ノ調整、並ニ勤労大衆ノ為ニ労働権ト団結権トヲ保障スル等、広汎ナ領域ニ亙ルモノデアリマシテ、之ヲ現行憲法ノ規定ニ比ベマスト、著シク時代ノ要求ニ即応セントスル立法ノ意図ガ窺ヒ知ラレルノデアリマス、此ノ章ハ所謂人権宣言トモ称スベキ規定デアリマシテ、民主的憲法ノ骨子ヲ成スモノデアルコトハ言フマデモアリマセヌ、サレバコソ、草案第九十三条ニハ、此ノ憲法ノ保障スル基本的人権ハ、人類ノ多年ニ亙ル自由獲得ノ努力ノ成果デアツテ、是等ノ権利ハ、過去ノ幾多ノ試練ニ堪ヘ、現在及ビ将来ノ国民ニ対シ、侵スコトノ出来ナイ永久ノ権利トシテ信託サレタモノデアルト声明シテ居ルノデアリマス、(以下略)
※出典:衆議院本会議議事録 昭和21年8月24日(第35号)芦田均答弁|衆議院 より引用
この答弁で芦田均は、第三章「国民の権利及び義務」の章に配置した第10条を含む各種人権保障規定が『いわゆる人権宣言とも称すべき規定』であって『民主的憲法の骨子を成すもの』と述べていますから、草案を作成した当時の日本政府が、人権保障の確立こそが新憲法の眼目だったと考えていたことが分かります。
また、『さればこそ、草案第93条には』に続けて、基本的人権が人類の多年の努力によって獲得されてきたものだという歴史性と、その永久不可侵性を声明していると述べていますから、人権の歴史性と不可侵性に言及した第93条を第十章の「最高法規」の章に置いた趣旨が、憲法の根幹をなす人権保障を確立させるところにあったことが分かります。
つまり当時の政府が、重い歴史を背負って確立されてきた基本的人権を保障するところにこそ憲法の最高法規性の実質的根拠があると考えて、それを具現化させるためにあえて人権の重い歴史とその不可侵性を述べた第93条を第十章の「最高法規」の章に置いた草案を作成したこと、またその人権保障こそ憲法の最高法規性の実質的根拠であるとの説明を帝国議会で行って議会の承認を得ようとしていたことが、この答弁から明らかになるわけです。
衆議院本会議(昭和21年8月24日)北れい吉議員の質疑
次に、政府側ではありませんが、草案第93条(現行憲法の第97条)で述べられた人権の重い歴史とその不可侵性に関する文章について当時の議員たちがどのように考えていたか良くわかる質疑部分がありましたので、北れい吉議員の質疑部分を紹介しておきます。
次ニ最高法規ノ問題デアリマス(「簡単簡単」ト呼ブ者アリ)簡単ニ今度述ベマスガ、最高法規ノ九十三条ハ実ハ一寸日本ニピント来ナイ、「この憲法が日本國民に保障する基本的人權は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの權利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び將來の國民に對し、侵すことのできない永久の權利として信託されたものである。」、何カ他国ノコトヲ聞イテ居ルヤウナ感ジガシテ、オ互ヒニハピント来ナイ、我々ハ戦時中官僚軍閥ノ極端ナル統制下ニ窒息セントスルヤウナ状態デ、今日ノ自由ハ我々自ラノ多年ノ努力ニ依ツテ獲得シタモノヂヤナイ、是ハ戦敗ノ結果与ヘラレタモノデ、何トナク外ノ国ノコトヲ聞クヤウデアリマスガ、是ハ人類共通ノ遺産トシテ我々ハ之ヲ設ケテモ差支ヘナイ、聊カ恥ヂ入ル次第、我々ノ貢献ハ最モ少イガ、我々ニ教訓ヲ与ヘル意味ニ於テ我々ハ之ヲ承認スルコトニ致シマシタ
※出典:衆議院本会議議事録 昭和21年8月24日(第35号)北れい吉議員質疑|衆議院 より引用
更ニ(当サイト筆者中略)ト考ヘテ、是モ満腔ノ賛意ヲ表スル次第デアリマス(拍手)
これを見ると、質疑に立った北れい吉議員が、草案第93条(現行の第97条)に記述された人権の重い歴史とその不可侵性を述べる文章について、人類における自由と人権の獲得は外国の国民の努力の成果であって、戦前の日本は自由と人権を厳しく制限していた国だから日本国民の貢献は少ないので「ピンとこない」とその文章に違和感を持ちつつも、日本国民の「貢献は最も少ない」が戦前・戦中に国民の自由と人権を制限してきた日本にとってはよい「教訓を与える」ものだし、「人類共通の遺産」でもあるから、その第93条を設けても「差し支えない」と考えていたことがわかります。
また、発言最後に「(拍手)」と議場から多数の拍手があったことを考えると、当時の衆議院の議員たちの多くが、北れい吉議員と同じように、第十章の「最高法規」の章に置かれた第93条の文面を肯定的に評価していたこともうかがえます。
つまり、草案第93条の人権の重い歴史とその不可侵性を述べた文章は、権利章典(1689年)やヴァージニア権利宣言(1776年)、フランス人権宣言(1789年)を生み出した英米仏や、人権に社会権を加えたソ独などの国と異なり、国家権力によって著しく国民の自由と人権を制限してきただけの日本が憲法の条文として設けるにはいささか恥ずかしい感じがするわけですが、そうした人権の重い歴史性と不可侵性は「人類共通の遺産」であって人権を強度に制限してきた日本の間違いを教訓として後世に伝える意味でも重要であるので、当時の衆議院の多くの議員たちが第93条の文章を「最高法規」の第十章に置くことを歓迎していたことが分かるわけです。
(3)帝国議会の議事録から明らかとなる憲法の最高法規性の実質的根拠としての憲法第97条
以上のような議論を経て若干の修正が加えられながら衆議院や貴族院で圧倒的多数の賛成で可決されて現行憲法の第97条が成立していくわけですが、こうした議論を振り返って明らかになるのは、憲法第97条に記述された人権の重い歴史とその不可侵性に注意を促す文章を第十章の「最高法規」の章に置くことで憲法の最高法規性の実質的根拠を見出した、当時の日本政府と帝国議会、そして当時の国民の意識です。
佐藤達夫の手記を前提にすれば、そもそも第97条の基になるGHQ草案第10条の文章を憲法草案の中に残したのはGHQ民生局の要望があったからであって、当時の日本政府や国民が意図したものではありませんでした。
第97条の成立は、あくまでも偶然性を伴うことで誕生したということが言えますから、当時の日本政府が当初から憲法第97条(草案では94条又は93条)が憲法の最高法規性の実質的根拠になるという明確な意思をもって、「最高法規」の第十章に置いたとは言えないでしょう。
しかし、そのGHQ草案第10条を基にした文章をあえて第93条(現行憲法の第97条)として第十章の「最高法規」の章に配置することで、そこで述べられた人権の重い歴史とその不可侵性に憲法の最高法規性の実質的根拠を見出し、その人権の重い歴史とその不可侵性こそを日本国憲法の骨格にしようと考えたのは紛れもない当時の日本政府であって、その憲法改正草案要綱の公表を受けたうえで衆議院議員選挙に投票し、衆議院を組織して票を投じた議員に第93条の草案を可決させた当時の日本国民に他なりません。
つまり、当時の日本政府と国民は、人権の重い歴史とその不可侵性を述べた第97条を日本国憲法の「最高法規」とした第十章に配置し、それが憲法の最高法規性の実質的根拠となることに同意したうえで、日本国憲法を成立させているのです。
だからこそ佐藤達夫は手記の中で
『 この第97条の説明としては、当時から、基本的人権の確立こそは、この憲法の核心をなすものであり、したがって、その貴重なゆえんを強調したこの条文は、まさに実質的な意味での最高法規性につながる、ということで一貫してきた 』
と述べたわけです。
このように当時の議論を振り返れば、この記事の【1】の部分で述べたように、憲法の第97条がたとえその文章に部分的に第11条と重複する箇所があったとしても、憲法の最高法規性の実質的根拠となる重要な条文であって、憲法の基本原理である「基本的人権の尊重」を具現化するためになくてはならない条文であることが理解できるでしょう。
佐藤達夫が手記の中で述べたように、当時の日本政府が第97条に規定された基本的人権の重い歴史とその不可侵性を憲法の最高法規性の実質的根拠であるとの『説明』を帝国議会で『一貫してきた』ことは議事録からも明らかです。
そして、その『一貫してきた』説明のうえで第97条が帝国議会で議論され可決されたのであれば、歴史論(事実論)に立脚する限り、第97条はそこに記述された基本的人権の重い歴史とその不可侵性に憲法の最高法規性の実質的根拠を見出す極めて大切な条文として成立したと考えるほかありません。
だからこそ、佐藤達夫の手記を前提としながら、歴史論(事実論)として「97条は11条と重複しているから削除すべきだ」との帰結は導くことができないということになるのです。
【3】「憲法97条は11条と重複してるから削除すべき」論の検証
以上を踏まえたうえで、ここからは「憲法第97条は11条と重複しているから削除すべきだ」との趣旨の主張の妥当性を検証していきます。
この記事の冒頭でも紹介したように、インターネット上で「憲法第97条は11条と重複しているから削除すべきだ」との趣旨の論を展開しているインフルエンサーとしては(株)アゴラ研究所なる会社の代表取締役で学術博士(※Twitterプロフィールより)の池田信夫氏と自民党の和田政宗参議院議員が、また政党による同趣旨の主張としては自民党が作成している憲法改正草案のQ&Aが目につきますので、この3者の主張について、それぞれその妥当性を検証してみましょう。
(1)池田信夫氏の主張における事実誤認と認識の誤り
まず、池田信夫氏の主張を検証しますが、池田信夫氏は自身のツイッターアカウントで次のような投稿をしています。
池田信夫氏(株式会社アゴラ研究所 代表取締役所長 学術博士(※Twitterプロフィールより))の2016年9月30日付ツイート。
くだらない神学論争はやめてほしい。97条はGHQがダブって入れた規定で、内容は11条と同じ。民進党は党内事情で9条を問題にできないから、それ以外のあらゆる条文を問題にする。審議時間の浪費だ。
※出典:https://twitter.com/ikedanob/status/781757629555093504 (※朝日新聞社の2016年9月30日付「人権規定の削除「非常に問題」 細野氏追及、予算委紛糾」とのニュース記事を同日に添付引用してツイートしたもの)より引用
池田信夫氏はこのツイートで「97条はGHQがダブって入れた規定で、内容は11条と同じ」と述べていますから、池田信夫氏が前述した佐藤達夫の手記の内容を前提として「憲法第97条は11条と重複しているから削除すべきだ」との趣旨の主張をしていることが伺われます。
しかし、「97条はGHQがダブって入れた規定で、内容は11条と同じ」との主張は、次の3つの点で事実誤認あるいは認識の誤りがあります。
①「97条はGHQが(ダブって)入れた規定」ではなく当時の日本政府が入れた規定
池田信夫氏は上記ツイートで「97条はGHQが(ダブって)入れた規定」と述べています(※「ダブって」の部分は②で言及します)。
しかし、前述の【1】に挙げた佐藤達夫の手記にもあるように、GHQ草案で第10条として規定されていた文章を第97条として第十章の「最高法規」の章に置いたのは日本政府ですから、「97条を(第十章の「最高法規」の章に)入れた」のはGHQではなく当時の日本政府(松本委員会)です。
確かに、当時の日本政府がGHQから現行憲法の第97条の基になったGHQ草案第10条の文章を残すようにと要望を受けたのは事実ですが、GHQ民生局はGHQ草案第10条の文章がホイットニー民生局長発案の文章なので『10条の文章を残してくれ』と要望しただけで、それを『第十章の「最高法規」の章に第97条として配置してくれ』とは一言も頼んでいないのです。
この点、佐藤達夫の手記によれば、GHQ側がGHQ草案の第10条を『せめて尻尾の方の第10章あたりに復活することに同意してもらえないか』と要望した事実が伺えますから、GHQ側がGHQ草案の第10条を第十章に置くように求めたようにも見えます。
しかし、この点は【2】の(1)の「ウ」の部分でも述べましたが、佐藤達夫の手記にGHQ側が『せめて尻尾の方の第10章あたりに』と述べていた記述があることを考えれば、GHQ側は第9章でも第11章でも、あるいは元の位置の第3章であっても、ホイットニーの文章がどこかに残されていればよいと考えていたはずで、必ずしも第十章の「最高法規」の章に置くことを求めていたわけではないでしょう。
また、佐藤達夫の手記は『どうせ、マ草案の第10条を復活するのなら、すなおに、マ草案のとおり、第3章のはじめの位置においた方がよかったのではないか』とも述べていますから、そもそも当時の日本政府は、GHQ草案の第10条を第97条ではなく第11条として第三章の「国民の権利及び義務」の章にそのまま残す選択があったことを認識していたわけです。
それにもかかわらず当時の日本政府は、GHQ草案第10条の文章をあえて第三章ではなく第十章の「最高法規」の章に第97条として置くことにしたのですから、GHQ草案の第10条を第十章の「最高法規」の章に第97条として配置したのは紛れもなく当時の日本政府だったと言うほかありません。
佐藤達夫の手記を前提にすれば、歴史的事実としては「97条はGHQが(ダブって)入れた規定」ではなく、「97条は日本政府が入れた規定」となりますので、その点で池田信夫氏のツイートのうち「97条はGHQが(ダブって)入れた規定」と述べた部分は明らかな事実誤認があると言えます。
②「ダブって」しまったのは97条ではなく11条
池田信夫氏は「97条はGHQがダブって入れた規定」と述べていますので、池田信夫氏は現行憲法の「”第97条が”第11条とダブっている」と認識しているのだろうと思われます。
しかし、 前述の【1】に挙げた佐藤達夫の手記にもあるように、結果的に「ダブって」しまったのは97条ではなく11条(正確には11条の後段)です。
時系列を整理すると、
- GHQ民生局が人権の重い歴史とその不可侵性に注意を促す条文をGHQ草案の第10条として作成した。
- 日本政府は歴史的・詩的な表現は日本の法文として相応しくないと考えたので、GHQ草案の第10条から歴史的表現と詩的表現を削除して修正した第10条を3月2日案として作成した。
- GHQ民生局は、日本側から提出を受けた3月2日案の第10条を確認して、GHQ草案の第10条から歴史的・詩的表現の部分が削除された修正部分に同意した。
- しかしGHQ草案の第10条は民生局長のホイットニーが発案した文章だったためそれを削るのは「ぐあいが悪い」から、GHQ側はやっぱりGHQ草案第10条はできるだけ原案のまま残してくれと日本政府に頼んだ。
- 日本政府はGHQからの要望に応じて、3月2日案で修正した歴史的・詩的表現を含むGHQ草案の第10条をほぼGHQ草案のままの形で復活させて第94条に挿入して3月5日案を作成した。
- そのため、第94条にGHQ草案第10条を原案のまま復活させるのであれば、そのGHQ草案第10条を修正して作った第10条2項の文章が第94条と「ダブる」ことになるので第10条2項を削除するつもりだったが、GHQ側が作成した英文の文章にはGHQ草案第10条から歴史的・詩的表現を除いて修正した3月2日案の第10条2項がそのまま残っていた。この時、10条2項の削除を求めることもできたが、それを求めて他の条文にケチを付けられると面倒なので3月5日案でもそのまま3月2日案の第10条2項を残した。
- 結果的に、GHQ草案の第10条を基にした第94条(現行憲法の第97条)と、本来削るはずだったGHQ草案の第10条を修正した第10条(現行憲法の第11条後段)という、どちらもGHQ草案の第10条を基にする2つの文章が残ることになった。
ということになりますから、3月2日案でGHQ草案の第10条に修正を加えて第10条2項とした一方、3月5日案ではGHQからの要望で第94条にGHQ草案の第10条の文章を置くことになったにもかかわらず、不要になった3月2日案の第10条2項を削ることなく3月5日案の第10条2項にもそのまま残してしまったので、結果的に3月5日案の第94条の文章の一部と第10条2項の文章が重複することになったというのが当時の経緯です。
つまり、重複することになったのは第94条ではなく、削るはずだったのが残ってしまった第10条2項の方なので、「97条が(11条と)ダブった」わけではなく、「11条が(97条と)ダブった」というのが当時の歴史的事実としては正しいわけです。
そもそも、当時の日本政府はGHQからの要望に応じて3月5日案に第94条を作った一方、3月2日案の10条2項を削除しようとしていたわけですから、当時の佐藤達夫(日本政府)が「ダブった」と考えていたのが第94条ではなく第10条2項であったのは佐藤達夫の手記からも明らかでしょう。
ちなみに、平成25年(2013年)5月16日に衆議院で開かれた憲法審査会でも、答弁に立った衆議院法制局法制企画調整部長の橘幸信氏が、佐藤達夫の手記を引用しながら『これを第十章の冒頭に規定することにしたのだが、その際、逆に、第十一条後段を削りそびれて、こちらも残ってしまった』と、削るべきだった(ダブってしまった)条文は11条後段だったというのが佐藤達夫氏の手記の趣旨だったとの説明を行っています。
総司令部、GHQ側は、実は、あれはチーフであるホイットニー民政局長のお筆先になる得意の文章であるので、削るのはぐあいが悪い、何とか尻尾の方、第十章あたりでいいから残してくれないかということで、これを第十章の冒頭に規定することにしたのだが、その際、逆に、第十一条後段を削りそびれて、こちらも残ってしまったというのでございます。
※出典:衆議院憲法審査会議事録(平成25年5月16日)橘幸信衆議院法制局法制企画調整部長答弁|衆議院 より引用
以上から、池田信夫氏が、佐藤達夫の手記を前提にすれば事実関係としては「11条(の後段)が97条とダブってしまった」のが正しいにもかかわらず、その逆に「97条が11条とダブってしまった」と認識して「97条はGHQがダブって入れた規定」と述べている部分は、明らかな事実誤認と言えます。
③ 憲法97条の内容は「11条と同じ」ではない
池田信夫氏は「97条はGHQがダブって入れた規定で、内容は11条と同じ」と述べていますから、現行憲法の第97条と第11条の「内容」が「同じ」だと認識していることになります。
しかし、【2】の(3)でも述べたように、GHQ草案の第10条を第97条として第十章の「最高法規」の章に配置することで、そこで述べられた人権の重い歴史とその不可侵性に憲法の最高法規性の実質的根拠を見出し、憲法の人権保障規定を日本国憲法の骨格としようと考えたのは紛れもない当時の日本政府であって、その憲法改正草案要綱の公表を受けたうえで衆議院議員選挙に投票し、衆議院を組織して票を投じた議員に第93条の草案を可決させた当時の日本国民に他なりません。
つまり、当時の日本政府と国民は、人権の重い歴史とその不可侵性を述べた第97条を日本国憲法の「最高法規」とした第十章に配置し、それが憲法の最高法規性の実質的根拠となることに同意したうえで、日本国憲法を成立させているのです。
そうであれば、第十章の「最高法規」の章に置かれた第97条は、その文章に重複する部分が含まれていたとしても、第三章の「国民の権利及び義務」の章に置かれた第11条とは内容の異なる別個の条文であって、憲法の最高法規性の実質的根拠となる重要な条文と言えます。
第97条は、憲法の基本原理である「基本的人権の尊重」を具現化するためになくてはならない条文であって、「内容は11条と同じ」ではないのです。
以上を踏まえれば、当時の日本政府とGHQ民生局との間における折衝や、帝国議会で議論された内容を顧みることなく、ただその文章の一部に重複する部分があることだけをもって、憲法第97条について「内容は11条と同じ」と述べた池田信夫氏の上記ツイートは、明らかな事実誤認があると言えます。
事実誤認を前提にした事実論は成り立たない
以上で説明したように、池田信夫氏のツイートは多数の事実誤認を前提としていますから、その主張自体破綻しています。池田信夫氏のツイートは憲法論ではなく憲法の制定過程に生じた事実を根拠にした歴史論(事実論)なので、その根拠にした歴史(事実)の事実関係において事実誤認を生じさせている以上、その主張は成り立ちません。
ですから、池田信夫氏のこのツイートによる「97条はGHQがダブって入れた規定で、内容は11条と同じ」との主張は、根拠がないと言えます。
(2)和田政宗参議院議員の主張における事実誤認と認知の歪み
次に、自民党の和田政宗参議院議員のブログの記事を紹介しておきます。
和田政宗議員は、自信のブログの中で次のような記事を公開しています。
和田政宗氏(参議院議員:自由民主党)2017年5月5日付のブログ。
(当サイト筆者中略)
※出典:和田政宗議員のブログ(2017年5月5日付)https://ameblo.jp/wada-masamune/entry-12271713543.html より引用
何故これほど重複しているかですが、実はGHQ草案では97条の条文が本来の11条でしたが、日本側は「表現が憲法の文章としてなじまない」と削除しようとしたところ、GHQ側から「ホイットニー民生局長の手書きの文章であり削らないでくれ、後の章にでも入れてくれ」と要請され、日本は飲まざるを得なかったのです。
これは、GHQと条文についての交渉にあたった佐藤達夫法制局第一部長の手記に明確に記されています。
このような言わば恥ずかしい重複がある憲法を、こうした部分についても改正すらせず後生大事に守るのでしょうか。
この97条を自民党の憲法草案では11条と重複しているため削除していますが、民進党の議員は「97条の削除は基本的人権をないがしろにするものだ」などと批判しています。
これは全くの勉強不足で、歴史を勉強し直してくれと言いたい。
不勉強の議論を国会で繰り返しても中身がないし、深まりません。
「(当サイト筆者中略)」の部分は、現行憲法の第11条と第97条の条文を記載して、具体的にどの部分が重複しているか述べている部分ですが、全ての文章を引用してしまうと、著作権上で差し支えが出てしまうため省略しています(※原文を確認したい場合はリンクから和田政宗議員のブログに移動してください)。
ちなみに和田政宗参議院議員は、このブログ記事を添付したうえで記事と同様の趣旨の次のようなツイートも行っています。
3日は福井県護国神社での勉強会に参加。憲法11条と97条の重複について。GHQ草案は97条が本来の11条だった。日本側が添削したところ、GHQが「ホイットニー局長の手書き文章なので、削らないで後の章に入れて」と。日本はやむなく飲んだ
出典:https://twitter.com/wadamasamune/status/860150435193044992(和田政宗議員が上記ブログ記事を添付して記事公開と同日の2017年5月5日に投稿したツイート)より引用
この和田政宗議員のブログおよびツイートからは、次の3つの事実誤認あるいは認知の歪みを確認できます。
① 佐藤達夫の手記からは「日本は飲まざるを得なかった」とまでは言えない
まず、和田政宗議員は、佐藤達夫の手記を引用したうえで、GHQから草案の提示を受けた当時の日本政府が第97条の原案であったGHQ草案第10条の文章を残すよう求められたことについてブログでは『日本は飲まざるを得なかった』と、ツイッターでは『日本はやむなく飲んだ』と述べていますが、こうした強制性は佐藤達夫の手記からは読み取れません。
確かに、佐藤達夫の手記には当時の佐藤達夫(日本政府側)がGHQ民生局から第97条の基になったGHQ草案の第10条について、ホイットニー民生局長の発案だったことを理由に『どうも削ることはぐあいが悪い。せめて尻尾の方の第10章あたりに復活することに同意してもらえないか』と求められた事実がありますから、GHQ側から強い要望があったことは推認できます。
また、当時の日本政府は松本委員会が作成したいわゆる松本草案を提出した際、GHQ側から突き返された経緯もありますから、もしかしたら当時の日本政府がGHQ側からの要求に過敏に反応した可能性もあるかもしれません。
しかし、佐藤達夫の手記には『「……同意してもらえないか。」といい出した』『……そうまでいうなら……』と記述されていますから、この部分を素直に読むなら、当時の日本政府がGHQからの求めに対して「そうまで言うなら、第10条を残してあげようか」程度の渋々応じた状況が推測できるだけで、GHQの要望を『飲まざるを得なかった』とか『やむなく飲んだ』というような避けることのできないレベルまで強度な求めを受けていた情景を伺うことはできないでしょう。
もちろん、当時の状況では、もしかしたら日本側でGHQからの要求を拒否することは難しかったかもしれませんが、少なくともこの佐藤達夫の手記の記述からは『飲まざるを得なかった』とか『やむなく飲んだ』とまで言えるような拒否できないレベルの強度な要求があった事実は伺えませんので、この手記の記述を引用しながら『飲まざるを得なかった』とか『やむなく飲んだ』とまで言うのなら、それは佐藤達夫の手記の記述を逸脱した事実の飛躍、記述された事実の拡張した引用となるでしょう。
【1】の部分で述べましたが、佐藤達夫の手記を根拠に主張を組み立てるのは憲法論ではなく歴史論(事実論)になります。そうであれば、その手記に記述された事実を歪曲したり、主観的な評価を加えたり、そこに記述されていない他の要素を勝手に付け足して引用してはなりません。歪曲したり、記述された事実に主観的な評価を加えたり、そこに他の要素を勝手に付け足してしまえば、その主張が根拠にする歴史(事実)自体がその引用する文献に記述された実際の歴史や事実を捻じ曲げたことになり、その歴史論(事実論)自体が実際に起きた歴史や事実に基づいていないことになるからです。
ある文献の記述を引用し、そこに記述された歴史的事実に基づいて歴史論(事実論)に立つのであれば、その文献に記述された客観的事実に基づいて論じなければならないのであって、その記述された事実に主観的な評価を加えて論じてはならないのです。
佐藤達夫の手記に『飲まざるを得なかった』とか『やむなく飲んだ』というようなGHQ側からの強度な要求が記されていないにもかかわらず、その手記の記述に根拠を求めながら、あたかも当時の日本政府がGHQ民生局からの要望を絶対に拒否できなかったかのごとく、『飲まざるを得なかった』あるいは『やむなく飲んだ』状況があったかのような主観的な評価を加えて、あるいはそうしたGHQの強度な要求があったかのような推測を付け足して、手記に記述された内容を越える表現を用いている和田政宗議員のブログの記事は、その歴史論(事実論)を語るうえで引用した文献に記述された過去の歴史(事実)に基づいていないということになりますから、佐藤達夫の手記を根拠にした歴史論(事実論)として完全に破綻しています。
以上から、この和田政宗議員のブログの『飲まざるを得なかった』、またツイートの『やむなく飲んだ』の部分については、佐藤達夫の手記の内容についての事実誤認があり、主張として成り立っていないと言えます。
② 「11条が97条と重複した」のであって「97条が11条と重複している」わけではない
次に、和田政宗議員のブログにある
『このような言わば恥ずかしい重複がある憲法を、こうした部分についても改正すらせず後生大事に守るのでしょうか。この97条を自民党の憲法草案では11条と重複しているため削除していますが…』
との部分を検証しますが、 これも前述の池田信夫氏のところの「②」の部分で述べたように事実誤認が含まれています。
なぜなら、GHQからの求めに応じて第97条(3月5日案では第94条)を残すことになって重複することになったのは、第97条ではなく第11条後段(3月5日案では第10条2項)の方だからです。
(※なお、和田政宗議員はツイッターでも『憲法11条と97条の重複について。GHQ草案は97条が本来の11条だった』と、このブログの文面と似たようなツイートをしていますが、『GHQ草案は97条が本来の11条だった』の部分は日本語として意味不明なのでツイートの方はここでは触れないことにします)
これも繰り返しになりますが、 前述の【1】に挙げた佐藤達夫の手記にもあるように、3月2日案でGHQ草案の第10条に修正を加えて第10条2項とした一方、3月5日案ではGHQからの要望で第94条にGHQ草案の第10条の文章を原案のまま復活させて置くことになったにもかかわらず、不要になった3月2日案の第10条2項を削ることなく3月5日案の第10条2項にもそのまま残してしまったので、3月5日案の第94条の文章の一部と第10条2項の文章が重複することになったというのが当時の経緯です。
つまり、重複することになったのは第94条(現行憲法の第97条)ではなく、削るはずだったのが残ってしまった第10条2項(現行憲法の第11条後段)なのですから、結果的に「11条が(97条と)ダブった」のが事実であって「97条が(11条と)ダブった」わけではないのです。
そもそも、当時の日本政府はGHQからの要望に応じて3月5日案に第94条を設けた一方、3月2日案の10条2項を削除しようとしていたわけですから、当時の佐藤達夫(日本政府)が「ダブった」と考えていたのが第94条ではなく第10条2項の方であったのは佐藤達夫の手記からも明らかです。
しかも先ほどの池田信夫氏の「②」の部分でも紹介したように、平成25年(2013年)5月16日に衆議院で開かれた憲法審査会でも、答弁に立った衆議院法制局法制企画調整部長の橘幸信氏が『これを第十章の冒頭に規定することにしたのだが、その際、逆に、第十一条後段を削りそびれて、こちらも残ってしまった』と、削るべきだった(ダブってしまった)条文は11条だったとの趣旨で佐藤達夫の手記を紹介しています(衆議院憲法審査会議事録(平成25年5月16日)橘幸信衆議院法制局法制企画調整部長答弁|衆議院)。
和田政宗氏は国会議員であるのに、憲法審査会の資料や議事録を読んでいないのでしょうか。
以上から、佐藤達夫の手記を前提にすれば、結果的に残されることになった第11条後段の文章が第97条の文章と重複することになったのが事実であるにもかかわらず、『97条……は11条と重複している』などと、佐藤達夫の手記で語られた事実とは真逆の趣旨で述べている和田政宗議員のブログの記事のその部分は、明らかな事実誤認を含むものと言えます。
③ 和田政宗議員こそ「全くの勉強不足で、歴史を勉強し直して」欲しい
和田政宗議員のブログの最後の部分には
『民進党の議員は「97条の削除は基本的人権をないがしろにするものだ」などと批判しています。これは全くの勉強不足で、歴史を勉強し直してくれと言いたい。不勉強の議論を国会で繰り返しても中身がないし、深まりません。』
と述べた部分がありますので、この部分を検証しますが、端的に言って『全くの勉強不足で、歴史を勉強し直してくれと言いたい』のは和田政宗議員の方です。
なぜなら、和田政宗議員のこのブログの記事は、佐藤達夫の手記を引用しているにもかかわらず、佐藤達夫の手記に記述されている事実を全く理解できていないからです。
先ほども述べましたが、佐藤達夫の手記は憲法制定当時の日本政府とGHQ民生局との折衝を軸に第97条の成立過程で起った事実関係を振り返って記されたものなので、佐藤達夫の手記を根拠に「97条は11条と重複だから削除すべきだ」と組み立てる主張は憲法論ではなく歴史論あるいは事実諭と呼べるものです。
そうであれば、その佐藤達夫の手記に記述された事実を捻じ曲げたり、手記に記述された事実を越えて過大にあるいは過少に評価して引用することは許されません。佐藤達夫の手記を根拠にするにもかかわらず、その佐藤達夫の手記に記述された事実関係を捻じ曲げたり、その記述を越えて主観的な評価を付け足して引用してしまうなら、その根拠にした歴史(事実)自体を捻じ曲げて、その根拠にする文献に記述された歴史(事実)に基づかないことになるので歴史論(事実論)として破綻してしまうからです。
佐藤達夫の手記を引用するのであれば、その記述に記録された事実だけをその記述された範囲に限ってそのまま引用すべきなのです。
ところが和田政宗議員は、前述したように佐藤達夫の手記が第97条を残すことについて「飲まざるを得なかった」とGHQ側の要求に主観的な評価を付け足したり、佐藤達夫の手記を前提とすれば「11条が97条と重複することになった」のが事実であったにも関わらず、その逆に「97条が11条と重複することになった」と改変して引用してしまっています。
もちろん、和田政宗議員が故意に佐藤達夫の手記の記述を捻じ曲げたとまでは言いませんが、仮に故意ではなくて過失でそうしたと言うのなら、それは和田政宗議員が佐藤達夫の手記を正確に読み解くことができなかったか、あるいは実際には佐藤達夫の手記を読んでいないか、はたまた衆議院の憲法審査会の資料も議事録も憲法制定当時の議事録もロクに読んでいないのか、そうでなければどこかの無知な誰かに教えてもらったかネット上に落ちている誰かの主張を拾ってパクったぐらいしか考えられませんから、いずれにしても「勉強不足」であって「歴史を勉強し直す」必要があると言えるのではないでしょうか。
しかも、和田政宗氏は国会議員なのですから、憲法審査会の資料や帝国議会も含めた過去の議事録に目を通していない(あるいは目を通してるけど理解できない)のは致命的です。
和田政宗議員は、佐藤達夫の手記を引用して歴史論(事実論)を展開しておきながら、その手記に記述された事実を正確に理解できていないということになりますので、端的に言って『全くの勉強不足で、歴史を勉強し直してくれと言いたい』のは和田政宗議員の方、ということになるのです。
事実誤認を前提にした事実論は成り立たない
以上で説明したように、和田政宗議員のブログの記事についても佐藤達夫の手記の内容に関して多数の事実誤認、もしくは佐藤達夫の手記に記述された事実を逸脱した認知の歪みを前提としていますから、その主張自体破綻しています。
和田政宗議員のブログの記事も憲法論ではなく佐藤達夫の手記の記述を根拠にした歴史論(事実論)なので、その根拠にする手記に記述された事実関係において事実誤認を生じさせていたり、その記述されている事実を越えて展開される主張は、実際にあった歴史(事実)に基づかないことになるので歴史論(事実論)として成り立たないのです。
和田政宗議員の言うように、その歴史論(事実論)として成り立たない『不勉強の議論を国会で繰り返しても中身がないし、深まりません』。
以上から、和田政宗議員のこのブログ記事における「97条は11条と重複しているから削除すべきだ」との趣旨の主張についても、根拠がないと言えます。
(3)自民党の「憲法改正草案Q&A」における事実誤認と認識の誤り
最後に、自民党が憲法改正草案と並行して公開している「Q&A」にも、憲法97条が11条と重複しているとしてその削除を肯定する趣旨の記述がありますので、その部分も検証しておきます。
自民党が作成し公開している憲法改正草案では、現行憲法で第十章の「最高法規」の章に置かれている第97条の条文が最高法規の章(自民党改正案では第十一章)から丸ごと削除されていますが(※この点の詳細は→自民党憲法改正案の問題点:第十一章|最高法規から人権体系を除外)、その削除した理由について、自民党は改正草案と並行して公開している「憲法改正草案Q&A」の中で、次のように説明しています。
「自民党憲法改正草案Q&A」(※なお、引用文中の第11条を改めた部分や天賦人権説については『自民党憲法改正案の問題点:第11条|臣民の権利思想の復活』の記事で詳しく解説しています)
Q44 憲法改正草案では、現行憲法11条を改め、97条を削除していますが、天賦人権思想を否定しているのですか?
我が党の憲法改正草案では、基本的人権の本質について定める現行憲法97条を削除しましたが、これは、現行憲法11条と内容的に重複している(※)と考えたために削除したものであり、「人権が生まれながらにして当然に有するものである」ことを否定したものではありません。
※出典:憲法改正草案Q&A|自由民主党 37頁を基に作成
※ 現行憲法の制定過程を見ると、11条後段と97条の重複については、97条のもととなった総司令部案10条がGHQホイットニー民政局長の直々の起草によることから、政府案起草者がその削除に躊躇したのが原因であることが明らかになっている。
この点、この自民党が作成しているQ&Aの記述は、次の点で事実誤認があり、また佐藤達夫の手記の誤った引用があります。
① 97条は「11条と内容的に重複している」わけではない
まず、このQ&Aの『現行憲法97条を削除しましたが、これは、現行憲法11条と内容的に重複している(※)と考えたために削除したもの』と述べられた部分を検証します。
この点、この文章の「(※)」の注釈部分には、憲法制定当時の日本政府がGHQから第97条の基になったGHQ草案の第10条の文章を残すように要請された過去の事実が述べられたうえで、その事実が『明らかになっています』と記述されていますので、このQ&Aの記述は、その『明らかになって』いる過去の事実が記述されている佐藤達夫の手記を根拠にして、第97条が「11条と内容的に重複している」と述べていることが分かります。
このQ&Aは佐藤達夫の手記の記述を引用したと直接には述べていませんが、GHQ側から草案の第10条の文章を残すように要請されたという事実が『明らかになってい』る資料は佐藤達夫の手記なので、Q&Aのこの部分が佐藤達夫氏の手記を根拠していることは明らかだからです。
つまりこのQ&Aは、佐藤達夫の手記に記述された事実を根拠にして、第97条が『11条と内容的に重複している』と述べているわけです。
しかしこれは、池田信夫氏の「③」の部分や【2】の(3)の箇所でも述べたように、明らかな事実誤認です。前述したように、佐藤達夫の手記を前提として過去の事実を踏まえれば、第97条は『11条と内容的に重複』していないからです。
何度も繰り返しになりますが、佐藤達夫の手記を前提にすれば、当時の日本政府は第97条をあえて第十章の「最高法規」の章に置くことで、そこで述べられた人権の重い歴史とその不可侵性に憲法の最高法規の実質的根拠を見出し、そしてその説明を帝国議会で『一貫してきた』ことで現行憲法の第97条を成立させています。これは佐藤達夫の手記に記述されていますから、佐藤達夫の手記を根拠にする限り歴史的事実として受け入れなければなりません。
また、当時の日本国民が、その日本政府の『一貫してきた』説明によって作成された憲法改正草案要綱の憲法改正草案要綱の公表を受けたうえで衆議院議員選挙に投票し、その選挙で当選させた議員によって帝国議会で第93条の草案を可決させたことも、当時の議事録や当時の資料から明らかとなっています。この部分は前述の【2】の部分で明らかとしましたから、これも歴史的事実として受け入れなければなりません。
そうであれば、佐藤達夫の手記の記述を前提とする限り、歴史的事実としては、第十章の「最高法規」の章に置かれた第97条は、その文章に第11条と重複する文章が含まれているとしても、憲法の最高法規性の実質的根拠となる重要な条文として成立したことになりますから、第三章の「国民の権利及び義務」の章に置かれた第11条とは内容的に異なる別個の条文として成立したと理解しなければなりません。
当時の歴史的事実としては、第97条は、第十章の「最高法規」の章に置かれることで憲法の最高法規性の実質的根拠となるという政府の『一貫してきた』説明に基づいて成立したということになり、第三章の「国民の権利及び義務」の章に置かれた第11条とは内容の異なる別個の条文として成立したことになるからです。
つまり、佐藤達夫の手記に記述された事実や過去の歴史的事実を踏まえれば、現行憲法の第97条はその文章に重複する部分があることで「外見的に」は重複しているように見えても、第11条とは本質的(実質的)な面では『内容的に』重複していないのです。
ところで、ではなぜ、この自民党のQ&Aが佐藤達夫の手記の記述を根拠にしながらこうした事実誤認を起してしまっているかという点に疑問が生じるわけですが、それはこのQ&Aの記述が、佐藤達夫の手記に記述された事実を根拠にしながら、その同じ手記の記述にある『……一貫してきた』の部分を無視してしまっているからです。
【1】の部分で引用したように、佐藤達夫の手記は、
『……というわけなのだが、この第97条の説明としては、当時から、基本的人権の確立こそは、この憲法の核心をなすものであり、したがって、その貴重なゆえんを強調したこの条文は、まさに実質的な意味での最高法規性につながる、ということで一貫してきた。』
と述べていますから、これは佐藤達夫の手記の記述を根拠にして歴史論(事実論)として論じる限り、無視してはならない部分です。
なぜなら、佐藤達夫はこの文章に続けて
『……憲法が実施されてすでに12年、もはやこの条文は、それこそ“時と経験の坩堝”のなかで、第10章にりっぱに溶けこんでいるといってよさそうである。』
と述べているからです。
佐藤達夫は、単に第97条が憲法第十章に『溶け込んでいる』と言っているのではなくて、第97条を第十章の「最高法規」の章に置くことで、そこに記述された人権の重い歴史とその不可侵性が憲法の最高法規性の実質的根拠につながるという説明を『当時から』日本政府が『一貫してきた』事実を前提として、第97条が第十章に『りっぱに溶け込んでいる』と述べているのですから、その説明を政府が『一貫してきた』という事実は、第97条が憲法の最高法規性の実質的根拠であることを歴史論(事実論)として論じるうえで除くことができない事実と言えます。
仮に佐藤達夫の手記の記述から、その『一貫してきた』事実だけが除かれるなら、第97条が第11条と内容的に異なる条文であることが明らかとなる事実も抜け落ちてしまうことになりますので、結果的に佐藤達夫の手記の記述は、GHQが当時の日本政府に対してGHQ草案の第10条を残すよう求めて、それに応じた日本政府が第97条を残した事実だけが残ってしまうことになってしまうでしょう。
そうなってしまえば、第97条も第11条も、どちらも元はGHQ草案の第10条を原案としているのですから、文章に外形的な重複部分がある以上、その内容までも重複しているかのように見えてしまいます。
そのため、自民党のQ&Aのように、佐藤達夫の手記の記述から『一貫してきた』説明の部分を無視して単にGHQの要請で97条が残った事実だけを抽出してしまうと、第97条が『11条と内容的に重複している』などと事実誤認を引き起こしてしまうのです。
もちろん、自民党のQ&Aが佐藤達夫の手記の記述から『…一貫してきた』の部分を故意に無視したのか、それとも誤って読み飛ばしたのか、それはわかりません。
ですが、仮に故意にその部分を無視したというのであれば、憲法から人権の重い歴史とその不可侵性に憲法の最高法規性の実質的根拠を見出す第97条という国民の人権保障に最も重要な条文を削除するために、佐藤達夫の手記の記述に記述された事実を捻じ曲げて、第97条を削除した改憲草案を正当化したということになりますから、それは断じて許されない行為です。過去の歴史を修正して国民を欺き、人権保障にとって極めて重要な条文を憲法から除こうと目論むなど、民主主義国家の政党としてあってはならないことでしょう。
一方、仮に自民党のQ&Aが誤ってその部分を無視したとしても、それは憲法第97条の由来もその重要性も全く理解しないまま削除しようとしたということになりますから、それは人権保障の重要性を理解していないということなのでそれもあってはならない行為です。人権保障にとって極めて重要な第97条の由来をロクに知らない政党が改正案を作成するなど言語道断でしょう。
いずれにしても、このQ&Aの記述は、自民党が憲法改正草案を起草する能力を持たないことを証明していると言えるかもしれません。
ともあれ、自民党のQ&Aのこの部分の記述は、佐藤達夫の手記に記述された事実を引用して『(第97条は)11条と内容的に重複している』と述べてその削除を正当化していますが、佐藤達夫の手記に記述された事実を前提にすれば、第97条は第11条と『内容的に重複』しておらず、そこで述べられた人権の重い歴史とその不可侵性に憲法の最高法規性の実質的根拠を見出す極めて重要な規定となりますから、Q&Aが『(第97条は)11条と内容的に重複している』と述べた部分には明らかな事実誤認があります。
この自民党のQ&Aは、その重要な歴史的事実について事実誤認を生じさせていることに気づかないまま(あるいは故意に事実誤認を生じさせて)、事実誤認に基づいた歴史論(事実論)を展開している点で有害無益と言えるでしょう。
② 結果的に文章が重複してしまったのは97条ではなく11条
次に、この自民党のQ&Aの『基本的人権の本質について定める現行憲法97条を削除しましたが、これは、現行憲法11条と内容的に重複していると考えたために削除したもの』と述べた部分を検証します。
この点、Q&Aのこの部分は第97条を削除した理由について『11条と内容的に重複していると考えたため』と説明していますから、自民党が「第97条が」11条と内容的に重複することになった、と考えていることが分かります(※なお、97条と11条の内容が異なることは①で説明した通りです)。
つまり自民党は、「11条が97条と重複した」のではなくて、「97条が11条と重複した(だから重複した第97条は削除するのだ)」と言っているわけです。
しかし、これも前述の池田信夫氏のところの「②」の部分や、和田政宗議員のところの「②」で述べたように事実誤認です。GHQからの求めに応じてGHQ草案第10条の文章を残すことになって重複することになったのは、第97条ではなく第11条後段の方だからです。
何度も繰り返しになりますが、 前述の【1】で引用した佐藤達夫の手記にもあるように、3月2日案でGHQ草案の第10条に修正を加えて第10条2項とした一方、3月5日案ではGHQからの要望で第94条にGHQ草案の第10条の文章を原案のまま復活させて置くことになったにもかかわらず、不要になった3月2日案の第10条2項を削ることなく3月5日案の第10条2項にもそのまま残してしまったので、3月5日案の第94条の文章の一部と第10条2項の文章が重複することになったというのが当時の経緯です。
つまり、文章が重複することになったのは第94条(現行憲法の第97条)ではなく、削るはずだったのが残ってしまった第10条2項(現行憲法の第11条後段)の方なので、「97条が11条と重複した」わけではなく「11条が97条と重複した」というのが歴史的事実としては正しいわけです。
そしてそもそも、当時の日本政府はGHQからの要望に応じて3月5日案にGHQ草案第10条の文章を第94条として残す際、3月2日案の10条2項を削除しようとしていたわけですから、当時の佐藤達夫(日本政府)が「重複した(ダブった)」と考えていたのが第97条ではなく第11条後段の方であったのは佐藤達夫の手記からも明らかでしょう。
以上のように、自民党のQ&Aのこの部分は、佐藤達夫の手記に記述された事実を根拠に引きながら、その記述された事実を前提とすれば「11条が97条と重複することになった」のが事実として正しいにもかかわらず、その逆に「97条が11条と重複することになった」と事実誤認を生じさせたうえで、『(97条が11条と)重複していると考えたために削除した』と、97条の削除を正当化している点で、過去の事実が捻じ曲げられてしまっています。
佐藤達夫の手記の記述を根拠にしながら、その記述された事実を捻じ曲げて、事実誤認に基づいた歴史論(事実論)を展開している点で、この自民党のQ&Aの記述は有害無益と言えるのです。
事実誤認を前提にした事実論は成り立たない
以上で説明したように、自民党憲法改正草案のQ&Aについても多数の事実誤認を前提としていることが伺われますので、その主張自体破綻しています。自民党のQ&Aが「97条は11条と内容的に重複しているから削除した」と第97条を削除した憲法改正草案を正当化する論は、池田信夫氏や和田政宗議員と同様に、佐藤達夫の手記に記述された事実を根拠に論じるものであり、それは憲法論ではなく歴史論(事実論)となりますから、その手記に記述された事実関係において事実誤認を生じさせている以上、その主張は成り立たないのです。
したがって、この自民党のQ&Aにおける『(97条は)11条と内容的に重複していると考えたために削除した』との部分が事実誤認に基づくものである以上、第97条の削除を正当化したその主張は理由がないと言えます。
最後に
以上で説明してきたように、一部の国会議員や政党やメディア関係者の中には、佐藤達夫の手記を引用して「憲法第97条は11条と重複しているから削除すべきだ」と主張する論者がいますが、佐藤達夫の手記を根拠にする限り、歴史論(事実論)としてそうした主張は成り立ちません。
仮に佐藤達夫がそうした引用を知ったなら『俺の手記を捻じ曲げて引用すんじゃねえ!」と激怒するのではないでしょうか。もしかしたら、墓石の下で憤っているかもしれません。
もちろん、制定当時の日本政府は当初から明確な意識をもって第十章の「最高法規」の章に第97条を置いたわけではなく、帝国議会における議論の過程で「一貫して」説明してきた結果として憲法第97条が憲法の最高法規性の実質的根拠として成立することになったのですから、それは偶然の産物であったとも言えますので、憲法論として「97条は11条と重複する」という理屈も、その是非は別として成り立ちえるでしょう。
たしかに、制憲者が明確な憲法論に基づいて、九十七条を「最高法規」の章に置いたわけではなく、むしろ偶然の経緯で定められた沿革を考えると、一一条が存在する以上、九十七条は無用だという議論も理由がないではない。しかし、実質的最高法規性の原則があって初めて、形式的最高法規性を確認した九十八条一項が導き出されるという、密接な憲法思想史的関連を考えると、それを明示する九十七条が「最高法規」の章に存在することは、一一条とは異なる独自の重要な意味を有すると言わなければならない。
※出典:芦部信喜「憲法学Ⅰ憲法総論」有斐閣57頁 より引用
しかし、佐藤達夫の手記を根拠にして「憲法97条は11条と重複するから削除すべきだ」と組み立てる主張は憲法論ではなく歴史論(事実論)なのですから、その手記の記述を根拠にして引用するのであれば、その記述された内容の範囲で論じるべきであって、その記述された範囲を越えたり、その記述された事実を捻じ曲げたりすることは許されないはずです。
歴史論(事実論)に立ちながら、自分が引用する文献に記述された事実を捻じ曲げて主張を組み立てる行為は、歴史修正主義につながります。そうした歴史修正主義者の詭弁に騙されないためにも、佐藤達夫の手記を根拠に「97条は11条と重複するから削除すべきだ」と主張する論者には十分に注意する必要があります。