集団的自衛権が日本国憲法で違憲と解釈されている理由

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憲法9条は2項で陸海空軍その他の戦力を保持することを禁止していますから、現行憲法では武力(軍事力)を保有することが認められていません。

【日本国憲法第9条】

第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

そうすると、武力を用いて国を守る自衛隊という組織がなぜ存在しているのかという点に疑問が生じますが、それは歴代の政府が自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」であると説明してきたからです。

国連憲章の第51条にも規定されているように、世界ではすべての独立国家には当然に自国を守るための「固有の自衛権」が認められると考えられていますから、日本国憲法が「国家固有の自衛権」までも放棄したものではないという解釈は成り立ちます。

【国連憲章第51条】

この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

※出典:国連憲章テキスト | 国連広報センターを基に作成

このような解釈に従えば「戦力」の保持を禁止した憲法9条2項の下でも「固有の自衛権」を行使するために「自衛のための措置」として、その「戦力」に及ばない程度の「必要最小限度の実力」を保持することは認められると解釈することも理屈としては筋が通ります。

そのため歴代の政府は、自衛隊が憲法9条2項の「戦力」にはあたらず「自衛のための必要最小限度の実力」であると説明することで自衛隊に関する9条の違憲性を回避してきたわけです(※詳細は→『憲法9条2項で放棄された「戦力」とは具体的に何なのか』『自衛隊はなぜ「違憲」なのか?』)。

ところで、歴代の政府はこのように自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」と説明することで憲法9条2項で規定された「戦力の不保持」の規定の違憲性を回避してきたわけですが、この政府の理屈は国家として当然に認められる「固有の自衛権」のうち、「個別的自衛権」の概念から導かれたものです。

「自衛権」には先ほど挙げた国連憲章の第51条からもわかるように「個別的自衛権」と「集団的自衛権」の2つの概念がありますが、「個別的自衛権」は「急迫不正の侵害を受けたときに、自衛の行動をとる権利」などと説明され、自国に直接的な侵害があった場合の「自衛」を目的とする権利のことを言いますので、歴代の政府が自衛隊の根拠としてきた「固有の自衛権」なるものは「個別的自衛権」を根拠にしていることが分かります。つまり、歴代の政府は憲法9条の下でも「個別的自衛権」が認められるという解釈を根拠にして自衛隊を運用してきたわけです。

一方、もう一つの「集団的自衛権」については歴代の政府は憲法上認められないという立場を維持してきました。集団的自衛権とは「他国との取り決めで、他国への攻撃も自国への攻撃とみなして協同して防衛行動をとる権利」などと説明され、自国(日本)が直接侵害を受けていないにもかかわらず他国を「他衛」することを目的とした権利のことを言います。

具体的に説明するなら、たとえばアメリカ軍の艦艇が第三国の戦闘機から攻撃された場合に、近くを航行する自衛隊のイージス艦がその戦闘機から攻撃を受けていないにもかかわらず、アメリカ軍の艦艇を守るためにその第三国の戦闘機を撃墜するような行為が集団体自衛権にあたります。

ところが、現在の政権(安倍政権)は、2014年(平成26年)7月1日付けの閣議決定で従来の憲法解釈を変更し、この集団的自衛権の行使を容認してしまいました(※参考→平成26年7月1日 安倍内閣総理大臣記者会見 | 平成26年 | 総理の演説・記者会見など | 記者会見 | 首相官邸ホームページ)。

我が国としては、紛争が生じた場合にはこれを平和的に解決するために最大限の外交努力を尽くすとともに、これまでの憲法解釈に基づいて整備されてきた既存の国内法令による対応や当該憲法解釈の枠内で可能な法整備などあらゆる必要な対応を採ることは当然であるが、それでもなお我が国の存立を全うし、国民を守るために万全を期す必要がある。こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。

※出典:「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について(平成26年7月1日国家安全保障会議決定、閣議決定」3,(3)より引用

歴代の政府は国家として当然に認められる「固有の自衛権」のうち「個別的自衛権」は認められると考えて「自衛のための必要最小限度の実力」は憲法9条の下でも認められると解釈し自衛隊を正当化してきましたが、現在の政権はその”必要最小限度”に「集団的自衛権も含まれる」解釈し「自衛のための必要最小限度なら集団的自衛権を行使することも許されるんだ」という理屈で従来の憲法解釈を変更して集団的自衛権の容認に踏み切ったわけです。

しかし、このような集団的自衛権を容認する憲法解釈の変更については、従来の政府答弁と矛盾するため理論的に成り立たないといった意見だけでなく、論理破綻した憲法解釈の変更は憲法改正手続きを経ずに閣議決定で憲法を改正してしまうものであり立憲主義を破壊するなどという厳しい意見も聞かれます。

では、そもそもなぜ現行憲法では集団的自衛権が「違憲」と考えられているのでしょうか。政府が行った集団的自衛権を容認する憲法解釈の変更の違憲性を問うためには、現行憲法で集団的自衛権が認められていない根拠を理論的に理解しなければなりませんので、以下、簡単に検討してみることにいたしましょう。

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日本国憲法で集団的自衛権が違憲と考えられている理由

現行憲法でなぜ集団的自衛権が認められないのかという点を議論する前提として、そもそも「固有の自衛権」というものが何なのかという点を理解してもらわなければなりません。集団的自衛権は「固有の自衛権」の内容として導かれる権利と考えられていますので「固有の自衛権」の概念を理解できないと集団的自衛権も理解できないからです。

この点、「自衛権」は

外国からの急迫または現実の違法な侵害に対して、自国を防衛するために必要な一定の実力を行使する権利

などと説明されますが、このような「自衛権」は先ほど挙げた国連憲章の第51条を見てもわかるように、独立国であれば当然に保有される権利であると考えられています。

このような国家として当然に認められる「固有の自衛権」は、日本国憲法の下でも許容されうると一般に考えられていますが、 日本国憲法の下で「固有の自衛権」が認められるからといって当然に「防衛力」や「自衛力」の保持が認められるというわけではありません。

先ほど説明したように、日本国憲法では第9条で「戦争放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」の3つを規定していますので、現行憲法では 「防衛力」や「自衛力」 が放棄されていると解釈することもできるからです。

そのため、憲法学の学説では、現行憲法の9条の下で「防衛力」や「自衛力」の保持が認められるのかという点について解釈に争いがあるのです(※芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法(第6版)」岩波書店59~60頁参照)。

(1)憲法学の通説的な見解に立てば自衛隊は「違憲」ということになる

この点、憲法学の通説的な見解に立って考えた場合には、仮に日本国憲法の下で「防衛力」や「自衛力」があると考えた場合であったとしても現在の自衛隊は「違憲」ということにならざるを得ません。

なぜなら、通説的な見解では9条2項の”戦力”を「軍隊および有事の際にそれに転化しうる程度の実力部隊」と解釈し、そこで言う軍隊を「外敵の攻撃に対して実力をもってこれに対抗し、国土を防衛することを目的として設けられた、人的・物的手段の組織体」と、また警察力との違いにおいて「組織体の名称は何であれ、その人員、編成方法、装備、訓練、予算等の諸点から判断して、外敵の攻撃に対して国土を防衛するという目的にふさわしい内容を持った実力部隊」と解釈しているからです(※芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法(第六版)」岩波書店60~61頁参照)。

このような通説的な見解に立って考えた場合、今ある自衛隊は「外敵の攻撃から国土を守る」ための実力部隊に他なりませんから9条2項の”戦力”にあたると言わざるを得ませんので、通説的な見解で解釈する限り自衛隊は憲法上「違憲」ということになるわけです(※詳細は→『憲法9条2項で放棄された「戦力」とは具体的に何なのか』『自衛隊はなぜ「違憲」なのか?』)。

(2)歴代の政府は「個別的自衛権」を合憲として自衛隊を運用してきた

このように憲法学の通説的な見解に立って考える限り自衛隊は「違憲」であり「武力(実力)を行使する個別的自衛権」すら「違憲」ということになりますが、歴代の政府は国家として当然に認められる「固有の自衛権」から「防衛力」や「自衛力」が認められるとの解釈を採用し、「個別的自衛権」が認められるという立場に立って「武力による自衛権」を容認して、自衛隊を組織し運用してきました。

先ほど説明したように、一般的に自衛権は「個別的自衛権」と「集団的自衛権」の2つの概念に分けられますが、そのうち「個別的自衛権」は

急迫不正の侵害を受けたときに、自衛の行動をとる権利

と説明されていますので(※高橋和之著「立憲主義と日本国憲法」放送大学教材308頁参照)、国家として当然に認められる「国家固有の自衛権」の内容として「急迫不正の侵害を受けたときに、自衛の行動をとる権利(個別的自衛権)」が認められると解釈すれば、「戦力」の保持を禁止した憲法9条の下でも「自衛のための必要最小限度の実力」を保持する権利は認められるという理屈も成り立つからです。

そのため歴代の政府は、憲法9条の下でも「固有の自衛権」は放棄されていないという立場に立って9条を解釈し、自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」であって「憲法9条の”戦力”ではない」と説明することで自衛隊を合憲と位置付け、憲法上の違憲性を回避してきたわけです(※詳細は→『憲法9条2項で放棄された「戦力」とは具体的に何なのか』『自衛隊はなぜ「違憲」なのか?』)。

(3)集団的自衛権を合憲と解釈すれば「自衛のための必要最小限度の実力」という自衛隊合憲性のロジックが破綻してしまう

このように、歴代の政府は国家として当然に認められる「固有の自衛権」から導かれる「個別的自衛権」については憲法9条の下でも放棄されていないという解釈に立って、「個別的自衛権」を行使するための「必要最小限度の実力」は「憲法9条2項の”戦力”にはあたらないから自衛隊は合憲だ」という理屈で自衛隊の違憲性を回避して自衛隊を組織し運用してきましたが、その「固有の自衛権」のうち「集団的自衛権」の行使については容認してきませんでした。

「集団的自衛権」は

他国との取り決めで、他国への攻撃も自国への攻撃とみなして協同して防衛行動をとる権利

などと説明されますが(※高橋和之著「立憲主義と日本国憲法」放送大学教材308頁参照)、平たく言えば、自国が直接侵害を受けていない場合に他国を「他衛」することを目的とした権利のことを言います。

具体的には、先ほど述べたように、アメリカ軍の艦艇が第三国の戦闘機から攻撃された場合に、日本の領土や自衛隊が何ら攻撃されていないにもかかわらず、近くを航行する自衛隊のイージス艦が、アメリカ軍の艦艇を守るためにその第三国の戦闘機を撃墜するような行為がそれです。

このような集団的自衛権の行使については、歴代の政府は国会などでも繰り返し否定してきました(※たとえば1981年(昭和56年)5月25日参議院本会議における鈴木善幸首相答弁や同年8月18日における大村襄治防衛庁長官答弁など)。

…(中略)…なお、わが国は、わが国周辺海域における自衛権の行使に当たっては、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、すでに述べたとおり、集団的自衛権の行使が憲法上許されないことは言うまでもございません。

※出典:国会会議録検索システム|昭和56年5月25日参議院本会議議事録(鈴木善幸内閣総理大臣答弁部分)より引用

…(中略)…わが国は、従来からしばしば申し上げておりますとおり、憲法上集団的自衛権を行使することはできませんので、極東の平和と安定につきましても、政治、経済、社会、文化の各分野における積極的平和外交の展開に重点が置かれることとなるものと考えておるわけであります。

※出典:国会会議録検索システム|昭和56年8月18日内閣委員会議事録(大村襄治防衛庁長官答弁部分)より引用

つまり、歴代の政府は、「固有の自衛権」の内容として憲法9条2項の下でも許容されるのはあくまでも「個別的自衛権」を行使するための「自衛のための必要最小限度の実力」であって、その「必要最小限度」の範囲を超える集団的自衛権の行使は憲法9条の下で許されないという立場に立って、憲法9条を解釈し自衛隊を正当化して運用してきたわけです。

ア)「他衛」のための集団的自衛権の行使は「自衛のための必要最小限度の実力」という自衛隊の合憲性の解釈と相いれない

ではなぜ、歴代の政府が憲法9条の下でこの集団的自衛権の行使を認めてこなかったかというと、それはこの集団的自衛権が「他衛」を目的としたものだからです。

先ほど説明したように、歴代の政府が自衛隊を合憲としてきた根拠は、国家として当然に認められる「固有の自衛権」の内容として「急迫不正の侵害を受けたときに自衛の行動をとる権利」は憲法9条の下でも放棄されていないというところにあり、「陸海空軍その他の戦力」の保持を禁止した憲法9条2項の下であっても、その9条2項の”戦力”に及ばない「自衛のための必要最小限度の実力」の保持なら許されるのだ、という点にあるわけですから、政府が「自衛隊は憲法9条2項の”戦力”にあたらない」という理屈の根拠は、あくまでも自国を守るためという「自衛」のための「自衛権」ということになります。

しかし、今説明したように集団的自衛権は「他衛」を目的としたものですから、仮に政府が集団的自衛権の行使を憲法9条の下でも認められると解釈してしまうと、今まで自衛隊の合憲性の根拠としてきた「自衛隊は”自衛”のための必要最小限度の実力であって9条2項の”戦力”にはあたらない」というロジックが破綻してしまい、自衛隊自体の違憲性を政府自ら認めることになってしまいます。

そのため歴代の政府は集団的自衛権の行使については憲法9条の下で認められないと解釈してこれまで日米安保条約や自衛隊を運用してきたわけです。

イ)「急迫不正の侵害」がないのに「必要最小限度の実力」を集団的自衛権として行使することはできない

また、歴代の政府が集団的自衛権を否定してきたのは、自衛隊による自衛権の行使が「急迫不正の侵害」が発生した場合にのみ可能であると説明してきたことも理由として挙げられます。

先ほど説明したように、憲法学の通説的な見解に立って考える限り自衛隊は「違憲」という結論が導かれてしまうことになるため、歴代の政府は自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」と説明することで通説的な見解からの違憲性の指摘を回避してきましたが、その「自衛のための必要最小限度」の自衛権を発動させるためには3つの要件(いわゆる「自衛権発動の三要件」)が必要になると説明してきました。すなわち

【自衛権発動の三要件】

  1. 我が国に対する急迫不正の侵害(武力攻撃)が発生したこと
  2. これを排除するために他に適当な手段がないこと
  3. 実力行使の程度が必要限度にとどまるべきこと

の3つの要件をすべて満たす場合でない限り、自衛隊の自衛権の行使は認められないという立場に立って自衛隊が「自衛のための必要最小限度の実力であること」についての憲法適合性を説明し、運用してきたわけです。

これはもちろん、そのように説明しないと自衛隊の自衛権の行使が「自衛のための必要最小限度の実力」と言えなくなってしまうからです。

先ほど説明したように、通説的な見解に立って考える限り自衛隊はそもそも「違憲」なのですから、自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」と説明して運用するのであれば、その自衛権の行使は「必要最小限度」という限定された範囲内でなければなりません。

そのため歴代の政府は、自衛隊の自衛権の範囲を抑制的に定義して、上記のような三要件を設定して「その範囲に限って限定的に」認められるべきものであることを説明してきたわけです。

このような「自衛権発動の三要件」を基礎にして考えた場合、集団的自衛権の行使は当然に認められません。なぜなら、集団的自衛権の行使は自国に「急迫不正の侵害」、つまり自国に直接的に武力攻撃が発生していないにもかかわらず他国(安保条約であればアメリカ)のために自衛隊の実力を行使するものに他ならないからです。

集団的自衛権の概念には、自国に「急迫不正の侵害」がなくても他国を守るために自国が自衛権を発動することを包含しますので、集団的自衛権の行使については、歴代の政府が自衛隊の自衛権行使の要件として説明してきた「自衛権発動の三要件」の第一要件である「急迫不正の侵害(自国に対する武力攻撃の事実)」という要件を満たしません。

つまり、政府が憲法解釈を変更して集団的自衛権を容認してしまえば、これまで政府が自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」と説明し、その「必要最小限度」の範囲を「自衛権発動の三要件」を満たす場合に限定して抑制的に運用することで自衛隊の違憲性を回避してきたロジックが破綻してしまい、自衛隊の合憲性を説明してきた理屈の辻褄が合わなくなってしまうわけです。

だからこそ、現行憲法では集団的自衛権は認められないと解釈されるわけです。

ウ)「必要最小限度の範囲」は「数量的な概念」ではない

この点、歴代の政府が自衛隊の自衛権の行使を「必要最小限度の範囲にとどまるべき」と説明してきたことから、その「範囲」は「数量的な概念」なので必要最小限度の範囲内であれば集団的自衛権の行使も可能なのではないか、という考え方をとる人もごく稀にいます。

つまり、憲法9条が「自衛のための必要最小限度の実力」の範囲内で自衛権の行使を認めるのなら、その「必要最小限度」の範囲に集団的自衛権も含まれると考えて「チョットだけなら集団的自衛権を行使してもいいじゃん」という理屈です。

たとえば、2004年(平成16年)の1月26日に行われた衆議院の予算委員会でも、当時の安倍晋三衆議院議員(※当時の総理大臣は小泉さんです)が「必要最小限度の範囲にとどまるべき」という場合の「範囲にとどまるべき」という概念は「数的な概念」だから「必要最小限度の範囲であれば集団的自衛権の行使もできるのではないか?」という趣旨の質疑を行っていますので、「憲法9条が自衛のための必要最小限度の範囲で個別的自衛権を容認してるんだから集団的自衛権だってチョットだけなら行使したって別にいいじゃん」と考えていた人は少なからず存在します。

…(中略)…「わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものである」、こういうふうにありますが、「範囲にとどまるべき」というのは、これは数量的な概念を示しているわけでありまして、絶対にだめだ、こう言っているわけではないわけであります。とすると、論理的には、この範囲の中に入る集団的自衛権の行使というものが考えられるかどうか。その点について、法制局にお伺いをしたいというふうに思います。

※出典:国会会議録検索システム|平成16年1月26日衆議院予算委員会議事録(安倍晋三議員質疑部分)より引用

しかし、この安倍晋三議員の「(数量的に)チョットだけなら集団的自衛権を行使しても別にいいじゃん理論」に基づく質疑に対して、政府側の特別補佐人として出席した当時の秋山収内閣法制局長官は以下に挙げるように、自衛隊の自衛権行使が認められる「必要最小限度」の範囲は「数量的な概念ではない」と回答し、また「急迫不正の侵害(日本に対する武力攻撃が発生したこと)」がない状態の自衛権の行使は「自衛権発動の三要件」の第一要件を満たさないものとして許されないという答弁をしています。

…(中略)…憲法解釈において政府が示している、必要最小限度を超えるか超えないかというのは、いわば数量的な概念なので、それを超えるものであっても、我が国の防衛のために必要な場合にはそれを行使することというのも解釈の余地があり得るのではないかという御質問でございますが、憲法九条は、戦争、武力の行使などを放棄し、戦力の不保持及び交戦権の否認を定めていますが、政府は、同条は我が国が主権国として持つ自国防衛の権利までも否定する趣旨のものではなく、自衛のための必要最小限度の実力を保有し行使することは認めていると考えておるわけでございます。
 その上で、憲法九条のもとで許される自衛のための必要最小限度の実力の行使につきまして、いわゆる三要件を申しております。我が国に対する武力攻撃が発生したこと、この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと、それから、実力行使の程度が必要限度にとどまるべきことというふうに申し上げているわけでございます。
 お尋ねの集団的自衛権と申しますのは、先ほど述べましたように、我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらず外国のために実力を行使するものでありまして、ただいま申し上げました自衛権行使の第一要件、すなわち、我が国に対する武力攻撃が発生したことを満たしていないものでございます。
 したがいまして、従来、集団的自衛権について、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものという説明をしている局面がございますが、それはこの第一要件を満たしていないという趣旨で申し上げているものでございまして、お尋ねのような意味で、数量的な概念として申し上げているものではございません。

※出典:国会会議録検索システム|平成16年1月26日衆議院予算委員会議事録(秋山収内閣法制局長官答弁部分)より引用

つまり、自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」と説明することで憲法学における通説的な見解から「違憲」と解釈される自衛隊を「合憲」と位置付けて運用してきた歴代の政府の見解に立てば、「急迫不正の侵害(日本に対する武力攻撃が発生したこと)」の要件は「数量的な概念ではない」ので、その「急迫不正の侵害」がないにもかかわらず「必要最小限度」の範囲内で「チョットだけなら集団的自衛権を行使してもいい」などというトンチンカンな理屈は成り立たないと歴代の政府は説明してきたわけです。

歴代の政府が説明してきた「自衛のための必要最小限度の実力」という自衛権の概念は「急迫不正の侵害」等の「自衛権発動の三要件」を満たした場合にだけ限定的に行使できるものであるという理屈に矛盾して「急迫不正の侵害がない」のに集団的自衛権を容認してしまえば、その歴代の政府がとってきた「自衛のための必要最小限度の実力」という自衛隊の合憲性の理屈自体が破綻することになり、歴代の政府が「自衛隊は憲法9条2項の”戦力”にあたらない」と説明してきたロジック自体が成り立たなくなってしまうので自衛隊の合憲性すら説明できなくなってしまいます。

ですから歴代の政府は、憲法9条の下で「個別的自衛権」は認められると解釈しても、「急迫不正の侵害」がない状態で自衛権を行使してしまう「集団的自衛権」の行使だけは一切容認してこなかったわけです。

エ)「砂川判決が集団的自衛権を合憲と判断した」は明らかなウソ

なお、政府は2014年(平成26年)7月1日の閣議決定で従来の憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認する際、旧日米安保条約の憲法適合性が争われた砂川判決で言及された「固有の自衛権」に「集団的自衛権が含まれている」との見解を出した「五・一五報告書」を根拠にして「砂川判決が集団的自衛権を合憲と判断した」という解釈に立って集団的自衛権の憲法適合性を説明していますが、砂川判決が集団的自衛権を合憲と判断した事実はありません(※詳細は→砂川判決が集団的自衛権を合憲と判示した…が嘘と言える理由)。

集団的自衛権を容認する憲法解釈の変更は「違憲」

以上で説明したように、現行憲法の憲法9条の下において国家として当然に認められる「自衛権」があると考えたとしても、その「固有の自衛権」に集団的自衛権が含まれないのは明らかです。

また、集団的自衛権の行使を容認すれば歴代の政府が自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」と説明することで自衛隊の違憲性を回避してきた理屈と矛盾することになり、歴代の政府が「急迫不正の侵害」が発生した場合においてのみ自衛権の発動が許されると説明してきたロジック自体が成り立たなくなってしまいますから、憲法の改正を行わずに集団的自衛権を容認することは不可能と言えます。

自衛隊の正当性の根拠を「自衛のための必要最小限度の実力」という理屈に求めてきた従来の政府の解釈に立てば、その自衛のための実力の行使を「他衛」のために認めることは論理的に不可能なのですから、従来の政府答弁とも矛盾する憲法解釈の変更が認められるというのであれば、憲法改正手続きを経ることなく政府が閣議決定で憲法を変更できることになり、立憲主義自体が破壊されてしまうでしょう。

このページの冒頭で述べたように、既に政府は2014年(平成26年)7月1日付けの閣議決定で従来の憲法解釈を変更し、この集団的自衛権の行使を容認してしまいましたが(※参考→平成26年7月1日 安倍内閣総理大臣記者会見 | 平成26年 | 総理の演説・記者会見など | 記者会見 | 首相官邸ホームページ)、この愚行によって既に日本は立憲主義国家ではなくなってしまったことに、すべての国民が気付かなければならないのです。