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憲法1条の「天皇の地位は…国民の総意に基づく」の総意とは何か

現行憲法は天皇について「象徴天皇制」、正確に言えば「天皇が象徴でしかない象徴天皇制」「天皇に象徴以外の権能が与えられていない象徴天皇制」が採用されていますが、その天皇の地位については憲法第1条で以下のように「日本国民の総意に基づく」ものと規定されています。

【日本国憲法第1条】

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

では、その憲法1条で規定された「主権の存する日本国民の総意に基づく」とは何を意味するのでしょうか。

ここでは、現行憲法の第1条で規定された「天皇の地位は…主権の存する日本国民の総意に基づく」とは具体的に何を意味しているのかという点について考えてみることにいたしましょう。

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「主権の存する日本国民の総意に基づく」とは天皇制が可変的であることを確認したもの

このように、日本国憲法の第1条は天皇の地位について「主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定しているわけですが、結論から言うとこの部分は日本国憲法が採用した天皇制が普遍的・絶対的なもの不可変的なものではなく、可変的なものであることを規定したものと解釈されています。

つまり、現行憲法の天皇制は「日本国民の総意」があれば変更することができることを確認しているのが、この憲法1条の「主権の存する日本国民の総意に基づく」という部分ということになります。

日本国憲法では憲法第96条で憲法改正の手続きに規定していますから、その96条の規定に従って国民投票が行われ国民の総意が得られれば、憲法の規定を改正することが可能です(※ただし憲法の基本原理(憲法の三原則)に変更を及ぼす改正は制限されます→憲法の三原則(基本原理)はなぜ改正できないのか)。

具体的には、憲法96条の憲法改正手続で規定された国民投票において「過半数の賛成」があれば天皇制を廃止したり変更したりすることができるということになるわけですが、憲法96条は単に「過半数の賛成」としか規定されていませんので、天皇制の変更または(廃止)に「すべての国民の過半数の賛成」が必要となるのか、それとも「すべての有権者の過半数」で足りるのか、「国民投票に投票した有効投票数の過半数の賛成」で足りるのかという点は、国民投票法などの「法律」に委ねられることになります。

いずれにせよ、憲法96条の改正手続きをもって日本国民が天皇制を変更することを望むのであれば、天皇制すらも変更(または廃止)してしまうことができることを確認しているのが、この憲法第1条の「主権の存する日本国民の総意に基づく」という部分になるわけです。

「総意」は日本国民の「総て(すべて)の意思」という意味ではない

なお、1条に「日本国民の総意に基づく」となっていることから、「すべての国民が天皇制を望んでいる」とか「天皇制がある限りすべての国民が天皇制を支持しなければならない」と解釈してしまう人もいますが、そうではありません。

先ほども述べたように、憲法1条の「国民の総意」は手続き的には憲法96条の「国民の過半数の賛成」で決せられることになりますので、その「総意」は必ずしも「すべての国民の統一した意思」ではないからです。

そして、そもそも憲法は「思想及び良心の自由」を第19条で保障しており、天皇制を支持するかしないかは個人の自由意思に委ねられることになりますから、天皇制に反対する思想を持つことが認められるのは当然です。

【日本国憲法第19条】

思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

また、憲法は第21条で表現の自由を保障していますから、天皇制(または天皇や皇族)に否定的な表現行為をすることも当然に認められるということになります。

【日本国憲法第21条】

第1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
第2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

現行憲法の天皇制は、天皇が「神」であり「絶対的」な存在であった明治憲法の反省の下で採用されたもの

ではなぜ、現行憲法の日本国憲法では天皇の地位を「主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定して天皇制を可変的なものとしているのかというと、それは天皇を絶対的・普遍的なものとしていた明治憲法の下で日本が戦争の惨禍を拡大させてしまった反省があるからです。

明治憲法(大日本帝国憲法)では天皇の地位についてその第3条で「神聖なもの」「侵すべからざるもの」と規定されていましたから、明治憲法における天皇は絶対的・普遍的・不可変的な存在であり、憲法改正手続きをもって天皇制を変更することはできませんでした。

【大日本帝国憲法(抄)】

第1章 天皇
第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
(以下省略)

また、その第4条で天皇が元首としてだけではなく、統治権の総覧者たる地位があるとされていましたから、国を統治する権限(政治権力・主権)は天皇にあり、天皇は「象徴であり元首であり主権者でもある」地位にあったと言えます。

このように、統治権の総覧者(主権者)であった明治憲法における天皇の地位は絶対的・普遍的・不可変的なものとされていたわけですが、その天皇の「神格化」され「絶対的・普遍的」なものとされていた統治権の総覧者たる権能が当時の国家指導者や軍人に利用され、またそれに少なからぬ国民が同意してしまった結果(もちろん天皇もその同意を与えた一人だったわけですが…)、日本は軍国主義への道を歩み満州事変から日中、対米戦争へと戦火を拡大してしまいました。

そのような反省を基礎にして制定されたのが現行憲法の日本国憲法です。

新憲法(現行憲法)では、その明治憲法の過ちを繰り返さないようにすることが求められましたが、天皇を「神聖」なもの「不可侵」なものとしたままでは、いずれまたその天皇の地位が一部の政治勢力や国家指導者(もちろんそこにはその神格化された天皇自身も含まれます)、またそれに迎合する国民に悪用されて道を踏み外してしまう危険性があります。

だからこそ現行憲法の日本国憲法では、天皇を絶対的・普遍的なものではなく可変的なものとするために1条で「主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定したわけです。

昭和天皇は1946年(昭和21年)元旦に人間宣言を行うことによって、「国体の本義(”万世一系の天皇”を中心とする国体と君臣一体思想を教育するために1937年(昭和12年)3月30日に文部省思想局によって編纂・発行されたパンフレットのこと。天皇を現人神とする思想を浸透させる一方、西洋思想を基とする個人主義を排除する学校教育に使われました)」を中心に広く国民に教育されていた天皇の神格性を否定しましたから、それ以降の天皇の位置づけは「神(現人神)」ではなく我々国民と同様「人間」という位置づけにあります。

【天皇の人間宣言(昭和21年1月1日)※一部抜粋】

朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。

※出典:官報號外 昭和21年1月1日 詔書 [人間宣言](テキスト)|国会図書館 より引用

また、新憲法(現行憲法)では明治憲法で天皇に置かれていた「主権」が、国民主権主義を採用することによって国民にあることが定められましたから、天皇の地位さえも主権の存する国民の意思によって存在し得るものということになりました。

このように、天皇の神格化を否定して、天皇を絶対的・普遍的なものから、主権の存する国民の意思に基づいてのみ存在しうる可変的なものとするために規定されたのが憲法第1条の「主権の存する日本国民の総意に基づく」という部分になるのです。