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自民党憲法改正案の問題点:第24条3項|家族生活への国家の介入

憲法の改正を頑なに推し進める自民党が公開している憲法改正草案の問題点を一条ずつチェックしていくこのシリーズ。

今回は、「家族、婚姻等に関する基本原則」を規定した自民党憲法改正草案第24条の第3項の問題点を考えていくことにいたしましょう。

なお、第24条の1項の問題点については『自民党憲法改正案の問題点:第24条1項|家族制度と忠孝の復活』のページで、2項の問題点については『自民党憲法改正案の問題点:第24条2項|婚姻で両性の合意を排除』のページで解説していますのでそちらを参照ください。

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「配偶者の選択」と「住居の選定」を取り除き「扶養」と「後見」を新たに追加した自民党憲法改正案第24条3項

現行憲法の第24条2項は「家族生活における個人の尊厳と両性の平等」を規定していますが、自民党改正案ではこの規定が第3項に移動しています。

もっとも、文章に若干の変更がなされていますので注意が必要です。では、具体的にどのような文言の変更がなされているのか双方の条文を確認してみましょう。

日本国憲法第24条2項

配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定しなければならない。

自民党憲法改正草案第24条3項

家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成

こうして2つの文章を並べてみると、現行憲法にある「配偶者の選択」と「住居の選定」が自民党案では削除され、代わりに自民党改正案では現行憲法にない「扶養」と「後見」が追加されている点が異なります。

なお、「その他の事項に関しては」の「その」とは第2項(現行憲法では第1項)に規定されている婚姻における両性の合意による成立と相互協力等を指していますので、「その婚姻合意と相互協力等以外の事項に関しては」法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定しなさいと述べたのがこの第3項になります(※第2項(現行憲法では第1項)については『自民党憲法改正案の問題点:第24条2項|婚姻で両性の合意を排除』のページで解説しています)。

では、こうした変更は具体的にどのような問題を生じさせ得るのでしょうか。検討してみましょう。

「配偶者の選択」と「住居の選定」を取り除き「扶養」と「後見」を新たに追加した自民党憲法改正案第24条3項の意図とその問題点

このように、自民党憲法改正案第24条の第3項は現行憲法の『家族生活における個人の尊厳と両性の平等』の規定から「配偶者の選択」と「住居の選定」を取り除き「扶養」と「後見」を新たに追加しています。

では、そこから具体的にどのような意図を読み取ることができ、またどのような問題を指摘できるのでしょうか。

(1)「配偶者の選択」を削除した意図とその問題点

この点、まず「配偶者の選択」を削除した意図を検討してみますが、おそらくこれは「家族」が子の婚姻を決定することを許容した自民党改正案第21条2項と整合性を持たせる趣旨でしょう。

自民党改正案の第24条2項については『自民党憲法改正案の問題点:第24条2項|婚姻で両性の合意を排除』のページで解説したとおりですが、そこでは婚姻について現行憲法で「両性の合意のみに基づいて」とされている部分から「のみ」の文言を削除し、両性の合意以外の意思で婚姻ができることを許容していますので、家族の尊重を規定した自民党憲法改正案第24条1項の規定(※自民党案第24条1項の詳細は→自民党憲法改正案の問題点:第24条1項|家族制度と忠孝の復活)と合わせて考えると、自民党は家族の長である世帯主(家父長)に、子の婚姻の決定権を与える意図があるものと推測できます。

つまり自民党は、明治憲法(大日本帝国憲法)下の家族制度(家制度)で許容されていたように、子の結婚相手を親(家父長・戸主)が決定できるような封建的な国家に日本を変えたいわけです。

しかし、第24条3項に「配偶者の選択」を残したままでは、文理的に配偶者の選択について「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して」法律を定めなければならないため、たとえ自民党が家父長(世帯主)に子の婚姻の決定権を与えるよう第24条1項と2項を改正しても、24条3項と整合性が取れなくなるので家父長(世帯主)が子の婚姻を決定する法律を作ってもその法律が違憲性を帯びてしまい不都合です。

そのため自民党は、第24条3項からも「配偶者の選択」の文言を削除してしまうことで、改正案第24条1項と2項と整合性を持たせたいのだと思われます。

しかし、『自民党憲法改正案の問題点:第24条2項|婚姻で両性の合意を排除』のページで述べたように、親が子の婚姻を決定することは、そもそもその本人の自由意思を侵し幸福追求権を侵害することに他ならず人権侵害そのものですから、そうした「配偶者の選択」について本人の意思を尊重しない規定を憲法に盛り込むべきではありません。

自民党改正案第24条3項のように、「法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定しなければならない」と規定された条文から「配偶者の選択」を削除してしまうと、国は「配偶者の選択」について当人の尊厳や平等を無視して親(家父長・世帯主)が勝手に子の婚姻を決定できるような法律を制定できてしまいますから、それは「配偶者の選択」について自由を奪われてしまう子にとっては幸福追求権の侵害以外の何物でもないのです。

ですから、「法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定しなければならない」と規定された条文から「配偶者の選択」を削除してしまう自民党憲法改正案第24条3項は、国民が「配偶者の選択」の自由を実質的に奪われてしまう点で大きな問題があると言えるのです。

(2)「住居の選定」を削除した意図とその問題点

次に、自民党憲法改正案第24条3項が現行憲法から「住居の選定」を削除した部分を検討しますが、これはおそらく、自民党改正案が”第9条の3”や第18条等で国防のための徴用を容認し、第22条1項でも国民の居住移転の自由を「公益及び公の秩序」の要請から制限できるようにしていることと整合性を持たせるためでしょう。

自民党憲法改正案が国防のための徴用や徴兵を予定していることは次のページなどでも解説してきたとおりですが、国民に国防のための徴用や徴兵を義務付ける場合には国民の「住居の選定」を制限して国が国民の「住居」を国防のために必要な地域に自由に「選定」できるようにしなければなりません。

しかし、憲法第24条第3項(現行憲法では第2項)で「住居の選定」について「法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定しなければならない」と規定したままにしておけば、国は国民の尊厳を守って「住居の選定」にかかる法律を制定しなければなりませんので、国防のための徴用や徴兵をできるようにした上記の改正案第9条の3や18条、22条の規定を具現化させることができません。

そのため自民党は、国が自由に国民の「住居の選定」を決定できる法律を制定できるようにするために、この第24条3項で「住居の選定」の部分を削除したのでしょう。

ですがそれは、上記の改正案第9条の3や18条、22条の規定のページでも解説したように、国民を国防のための徴用や徴兵に駆り立てて国民の自由や権利を奪うことになるので、大きな問題を惹起させます。

ですから、この「住居の選定」を削除した部分についても、許容されるべきではないと言えるのです。

(3)「扶養」を追加した意図とその問題点

続いて、自民党改正案第24条3項が現行憲法の第24条2項には記載のなかった「扶養」を追加している点について検討しますが、これはおそらく、自民党改正案が第24条1項で「家族」を尊重する規定を新設したことから、そこで国民に義務付けられる「家族の尊重」の一つとして「扶養」する義務を国民に課すための規定であると考えられます。

先ほども少しふれましたが『自民党憲法改正案の問題点:第24条1項|家族制度と忠孝の復活』のページで述べたように、自民党改正案の第24条1項は国民に「家族」を尊重する義務を課していますので、そこから当然に家族を「扶養する義務」も派生的に導かれることになります。

そのため自民党は、国民に自分の家族を扶養させることを義務付ける法律を制定するために、あらかじめ第24条3項に「扶養」を追加したのでしょう。

この点、改正案の第24条3項は「法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定しなければならない」と規定されていますから、そこに「扶養」を追加することは、国民に家族を扶養させる法律を制定する際に国民の尊厳を守って立法されることを国側に義務付けることになりますので、国民の観点から見れば有益であるようにも思えます。

しかし、そもそも家族の「扶養」を義務付ける法律をつくるということは、国民に家族の扶養を法的に課すということであって「公助」を削るということです。

菅首相が「自助・共助・公助」と述べて国民に自己責任を強いたのは記憶に新しいですが、つまり自民党は、「自助」や「共助」を「公助」に優先させて国民の扶養に関する国の負担を軽減させるためにこうして国民に家族の扶養を義務付ける法律を制定できるようにしようとしているわけです。

ですが、国は本来、国民の自由や財産を守るためにあるはずです。

自民党憲法改正案の問題点:第24条1項|家族制度と忠孝の復活』のページでも述べたように、人は自分の自由(安全)と財産を守るために他者と社会契約を結んで共同体を形成し、その共同体に本来的に持つ権限(※統治権となる行政・立法・司法のいわゆる三権)を委譲して国家を形成するわけですから、社会契約によってその国家を創設する目的は、あくまでも個人の自由(安全)と財産を守るところにあります。

つまり人は、自分の自由(安全)と財産を”国家に守らせるため”に他者と社会契約を結ぶのです。

だからこそ現行憲法の第25条は、国民が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるようにするために、生存権を基本的人権として保障して、国家に対しそれを具現化するよう努力義務を課しているわけです。

日本国憲法第25条

第1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

そうであるにもかかわらず、自民党は改正案第24条1項で「家族」を尊重することを国民に義務付け、その第3項で国民に「扶養」を義務付ける法律を制定できるようにあえて「扶養」の文言を追加しているのです。

しかしそうして「自助」や「共助」を「公助」に優先させて、国民の利益よりも国の利益を守ることを優先するのであれば、そもそも国民が社会契約を結んで国家を形成した意味が失われてしまうでしょう。

社会契約は国家に国民を守らせるのために形成されるのに、自民党憲法改正案はその逆に、国民に「自助」や「共助」を「公助」に優先させる一方、国家の負担となる「公助」をそれに劣後させることで、国民に対して国家の利益を守らせようとしているわけです。これでは社会契約の視点から考えれば本末転倒なのです。

ですから、このように自民党が「自助」や「共助」を「公助」に優先させて家族の「扶養」に関して国民に自己責任を強要している点についても大きな問題があると言えるのです。

(4)「後見」を追加した意図とその問題点

最後に、自民党改正案の第24条3項が「後見」を追加している部分について検討しますが、これも(3)と同じことが言えます。

後見はおそらく、成年後見とか未成年後見など責任能力や判断能力に支障がある人を補助するための「後見」を指しているものと考えられますが、先ほど説明したように自民党改正案は第24条1項で「家族」を尊重することを国民に義務付けていますので、そうした判断能力や責任能力に支障が生じた人を家族に「後見」させることを目的として、自分の家族を「後見」することを国民に義務付ける法律を制定できるようにするためにあえて第3項に「後見」を追加したのでしょう。

しかし先ほどの(3)でも述べたように、それは国民に自助や共助を強制することにつながり、国家の責務を放棄するのと同じです。

もちろん、家族に判断能力や責任能力に支障がある場合は家族が後見することも考えてしかるべきですが、それを自助や共助として国民に義務付けるのでは国を組織した意味がなくなってしまうでしょう。

先ほども述べましたが、本来国は国民の自由(安全)や財産を守るために存在するものであって、国民に責任能力や判断能力に支障があれば、それは「公助」として積極的に国が支援すべきものなのです。

そうした国の責任を放棄して、「自助」や「共助」を「公助」に優先させる自民党の姿勢は、国民の自由や命よりも、「国家」という共同体の存在を優先させている点で大きな問題があると言えます。

そうして国民の自由や権利や命より「国家」を優先させた結果が先の戦争の敗戦です。自民党はそれをすでに忘れてしまったのかもしれません。

自民党憲法改正案第24条3項は十分な議論が必要なもの

以上で説明したように、自民党憲法改正案第24条3項は現行憲法の同条2項から「配偶者の選択」と「住居の選定」を取り除き「扶養」と「後見」を新たに追加していますが、それ自体が問題というよりも、同条第1項や2項と合わせて考えれば国民の自由な選択権を奪い取り、国民に自助や共助を強制する点で大きな問題があると思えます。

こうした規定の改正に安易に同意すれば、将来世代の国民に意図しない負担と犠牲を強いることになりかねませんから、十分に考えて改正の賛否を判断することが必要でしょう。