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自民党憲法改正案の問題点:第25条|保障されない生存権

憲法改正に頑なに固執し続ける自民党が公開している憲法改正草案の問題点を一条ずつチェックしていくこのシリーズ。

今回は、生存権について規定した自民党憲法改正草案の第25条の問題点について考えてみることにいたしましょう。

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自民党憲法改正草案の第25条と現行憲法の第25条は何が違うか

自民党が公開している憲法改正草案の第25条は生存権の規定ですが、これは現行憲法にも同様の規定が置かれていますので、現行憲法の第25条がそのまま移動した形になっています。

この点、条文に若干の変更がなされていますので念のため双方の条文を確認してみましょう。

日本国憲法第25条

第1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

自民党憲法改正草案第25条

第1項 全て国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
第2項 国は、国民生活のあらゆる側面において、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成

このように、条文の文章自体は「すべての生活部面について」が「国民生活のあらゆる側面において」に置き換えられた程度で変わりがないように見えます。

では、この生存権の解釈は現行憲法と変わりがないのでしょうか。検討してみましょう。

自民党憲法改正草案で「生存権」は”保障されない”

この点、結論から言えば、憲法第25条の生存権の規定の解釈は大きく変更されることになります。

なぜなら、自民党憲法改正草案の第12条が「公益及び公の秩序」の要請に基づく基本的人権の制約を認めているからです。

(1)現行憲法は「公共の福祉」の要請がある場合にだけ基本的人権の制約を認めている

憲法で保障される基本的人権は「人が生まれながらにして持つ権利」であって普遍的・絶対的なものですから国家権力が制限することは許されません。

しかし、個人の基本的人権を無制限に認めてしまうと他人の人権保障と両立できないケースもあるため社会的な関係では制約が必要となる場合もあり得ます。

そのため現行憲法は、第12条に「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と規定して、個人の人権が「公共の福祉」の要請の下で制約され得ることを認めることにしているのです。

日本国憲法第12条

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

「公共の福祉」の意味をここで完結に説明するのは困難ですが、弁護士の伊藤真氏の言葉を借りるなら「自分勝手はだめですよ、自分の事だけを考えていてはダメですよ」という意味合いになります(※伊藤真著「憲法問題」PHP新書87頁)。

つまり、基本的人権は絶対的に保障されることが求められるわけですが、その基本的人権を「自分勝手に」行使したり「自分の事だけを考えて」他人の人権を侵すようなケースでは、例外的に国家権力が介入し、その権利行使を制限することを認めているのがこの現行憲法第12条の「公共の福祉」の規定となるわけです。

(2)自民党憲法改正案第12条は「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に変えた

ところが、自民党憲法改正案の第12条はこの「公共の福祉」の部分を「公益及び公の秩序」に変えてしまいました。

自民党憲法改正案第12条

(国民の責務)
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成

つまり、自民党憲法改正案が国民投票を通過すれば、「公益及び公の秩序」の要請があれば国民の基本的人権を国家権力が制約することも法的に認められることになってしまうのです。

しかし、「公益及び公の秩序」の要請を基にした人権制約が認められるとしてしまうと、政府が自由に国民の基本的人権を制約できることになるため大変危険です。

なぜなら、「公益」は「国益」の言い換え、「公の秩序」は「多数派の秩序」の言い換えだからです。

「国益」とは「国の利益」、「国」とはその運営をゆだねられている「政府」のことであって「政府」を形成するのは政権与党、現状では自民党ということになりますから、「国益に反する権利行使は制限され得る」という文章は「自民党の不利益になる権利行使は制限され得る」という意味になってしまいます。

また、「公の秩序」とは「現在の一般社会で形成される秩序」という意味になりますが、その「現在の一般社会で形成される秩序」は現在に生きる多数の一般市民によって形成され、その現在の多数派は自民党ということになりますから「公の秩序に反する権利行使は制限され得る」という文章は「自民党の秩序に反する権利行使は制限され得る」という意味になってしまいます。

つまり「公益及び公の秩序」という言葉は「自民党の利益」と「自民党の秩序」と同義なのです(※この点の詳細は→自民党憲法改正案の問題点:第12条|人権保障に責務を強要)。

そうなると、仮に自民党憲法改正案の第12条が国民投票を通過すれば、「自民党の利益」や「自民党の秩序」を乱すような基本的人権の行使があれば、政府(自民党)がその思惑次第で国民の人権を制限することも認められることになりますから、生存権も基本的人権の一つである以上、政府(自民党)がその生存権の行使が「自民党の利益」や「自民党の秩序」に反すると判断すれば、「公益及び公の秩序」を根拠としていくらでも制約できることになってしまうでしょう。

具体的な例を挙げるとすれば、たとえば今の日本では新型コロナウイルスの感染拡大にともないたびたび緊急事態宣言が出されていますが、現行憲法では仮に国民の生命や健康を守るという「公共の福祉」の要請として国民に対する企業の営業自粛や市民の外出制限が許容されるとしても、そうして自粛の要請は国民の営業の自由や居住移転の自由(憲法22条)を制限することにつながり、それに伴う経済的損失は国民の生存権(憲法25条)や財産権(憲法29条)を制限することになりますので、その自粛要請によって国民(市民)に生じる経済的損失を補填するための十分な休業補償金や所得補償金(一律給付金等)の支給は絶対的に行わなければなりません。

国や自治体が十分な休業補償金や一律給付金を支給せずに国民に営業自粛や外出制限を課すことは、憲法12条の「公共の福祉」の要請を超えることになるので許されないわけです。

しかし、自民党憲法改正草案の第12条では「公益及び公の秩序」の要請があれば国民の基本的人権を制限することを認めていますから、政府や自治体がそうした営業自粛や外出制限のみならず、より強力な営業禁止や外出禁止を十分な休業補償や所得補償を支給しないまま国民に命じたとしても、その制限を「公益」や「公の秩序」のために必要だと政府や自治体が判断する限り、それは合憲とされてしまうのです。

そうなればもちろん、国民は国や自治体から経済的保障を一切受けられないまま、唯々諾々と政府や自治体の営業自粛や外出自粛、より強力な営業禁止や外出禁止に従わなければならなくなってしまいますので、それはもう戦時中と同じです。

すなわち、自民党憲法改正案の第25条は、文章自体は現行憲法の第25条と変わらず「国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と生存権を保障してはいますが、実際には「国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有しない」と規定しているのと同じなのです。

国民の命よりも「国家」を優先させるのが自民党の憲法改正草案

このように、自民党憲法改正案の第25条は文章自体は生存権を保障しているように読めますが、改正案の第12条が「公益及び公の秩序」の要請による人権制約を認めていることから考えれば生存権を「保障していない」ことは明らかと言えます。

ではなぜ、自民党が国民の生存権を政府(自民党)の思惑次第で自由に制限できるようにして実質的に保障しないでよいような規定を設けているかというと、それは自民党憲法改正草案自体が「国民」の生命財産よりも「国家」の利益の最大化を優先させているからです。

自民党憲法改正案が「自助」や「共助」を「公助」に優先させ国家の利益を国民に守らせようとしていることは改正案の第24条を解説した『自民党憲法改正案の問題点:第24条1項|家族制度と忠孝の復活』のページでも説明しましたし、自民党憲法改正案が国民に徴用や徴兵を予定していることも以下のページで解説してきたとおりです。

また、自民党憲法改正案の前文は、現行憲法では「日本国民は」から始まるところを「日本国は」から始めただけでなく、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」だとか「我々は…国を成長させる」だとか「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するために、ここに、憲法を制定する」などと述べていて、『国民に国を守らせること』に憲法上の最大の価値を置いています。

つまり自民党憲法改正案は『国民に国を守らせるため』の最高法規として作成されているわけです。

自民党にとって国民は、国を守らせるための道具に過ぎません。だからこそ自民党憲法改正案では国民の基本的人権は「公益及び公の秩序」の下で制約が認められていて、先ほど説明したように生存権も保障されないわけです。

このように国民の命よりも「国家」の存続に重きを置いたのが自民党憲法改正案の本質です。

そうした改正案に賛成することが、我々だけでなく将来世代の国民にも何を及ぼすか、冷静に考える必要があるでしょう。