SNSを利用する著名人や有名人やタレントなどの中に「匿名アカウントで人の意見を批判(非難)するな!」という主張を展開している人が少なからずいます。
多数のフォロワーを抱えている彼らは必然的に”アンチ”も多数抱えることになりますが、一般市民は本名よりも匿名でアカウントを開設し利用するのが普通ですので、必然的にそのアンチから寄せられる批判(非難)もどこの誰か分からない匿名アカウントからのものが多くなります。
そのため彼らは「匿名アカウントで人の意見を批判(非難)するな!」と主張して匿名アカウントを利用する一般ユーザーに「本名を公開しないなら文句を言うな!」「匿名アカウントを使う一般市民は口を閉じて黙って俺の意見を聞いておけ!」と説教するのです。
しかし、このような匿名アカウントを利用する一般市民の批判(非難)を制限しようとする主張には、憲法で保障された表現の自由(言論の自由)という基本的人権の観点から、あるいは民主主義や国民主権の実現という観点から考えれば、様々な問題があることは以下のページでも指摘してきたとおりです。
- 匿名アカウントで人を批判するのが全く悪くない5つの理由
- 他人を批判するには相応の覚悟と責任が必要…が間違っている理由
- 匿名アカウントでの批判は自分を安全圏に置く卑怯な行為なのか
- 本名を公開しないなら人を批判するな…が民主主義を破壊する理由
ところで、ここで疑問に思うのが、ではなぜそのように人権や民主主義の観点から問題が指摘されているにもかかわらず、「匿名で人を批判(非難)するな!」などと声高に主張する著名人や有名人やタレントなどがいるのか、という点です。
「匿名で人を批判(非難)するな!」という主張が人権や民主主義の観点から考えれば到底是認されるものではなく理屈として成立しないのは少し頭を働かせれば誰でもわかることですから、メディアで活躍している著名人や有名人やタレントがそれに気づかないはずがありません。
ではなぜ彼らはその主張として到底成り立たない「匿名で人を批判(非難)するな!」というマヌケな主張を大きな声で吹聴し続けているのでしょうか。検討してみます。
表現者の立場はマスメディアに属する著名人や有名人やタレントに独占されてきた
表現の自由(言論の自由)は憲法21条で基本的人権として保障されていますが、他人の意見を批判(非難)する言動もそれが表現行為の一部である以上、当然に表現の自由の保障が及びます。
【日本国憲法第21条】
第1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
第2項 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
しかし、一般市民にその憲法で保障された表現の自由における表現者としての立場が十分に保障されていたかと言うと決してそうではありません。
なぜなら、近代に入ってからの長い期間、表現行為における表現者としての立場は、大手メディアに代表されるマスメディアによって独占されて来たからです。
表現の自由が保障される国家では本来、その表現の場における表現者と表現の受け手(受領者)の立場は平等(公平)に与えられていなければなりません。表現者の立場が特定の権力者によって独占されてしまえば、受領者の立場に追いやられた個人はその権力者が垂れ流す情報に晒されて自由な意思決定ができなくなってしまうからです。
しかし現実には、近代に入ってからの長い期間、その表現者としての立場はマスメディアによって独占され、表現の場が与えられない一般市民は受領者としての立場に追いやられてきました。
つまり、近代に入ってからの長い期間、表現の自由における表現者の立場はマスメディアに、受領者の立場は国民にと、それぞれ固定化され続けてきたわけです。
では、著名人や有名人やタレントがマスメディアと国民のどちらに属するかというと、もちろん彼らはマスメディアの人間です。
彼らはマスメディアの放送するテレビ番組に出演し、マスメディアが出版する雑誌や書籍に文章を掲載してもらうことで莫大な経済的利益を得ているのですから、彼らは紛れもないマスメディアの一員です。
すなわち、表現の自由によって保障される表現者としての立場は長い期間、著名人や有名人やタレントによって独占されてきた、ということが言えるわけです。
インターネットの普及が受領者の立場に追いやられた一般市民に表現者の立場を与えた
もっとも、このようなマスメディアによる表現者としての立場の独占は、近年に入って終焉を迎えました。インターネットの普及によって、それまで受領者の立場に追いやられていた一般市民が表現者としての立場を確保できるようになったからです。
インターネットが生み出したSNSは一般市民がマスメディアと対等に表現できる場を与えてくれましたから、それまで受領者の立場に追いやられていた一般市民も表現者として自由に発言することができるようになりました。
しかし、この事実はそれまで表現者の立場を独占してきたマスメディアにとっては好ましくありません。マスメディアは表現者としての立場を独占することで世論を操作し莫大な経済的利益を上げることができたからです。
人が認知できる情報量には限度がありますので、ネット上に一般市民の意見が増えれば増えるだけマスメディアの発信する情報が認知される割合も減少してしまいますから、SNSを利用した一般市民がネット上で表現行為に関与すれば、その一般市民が発した表現の数だけマスメディアの表現は相対的に希薄化されてしまうことになるでしょう。
それはもちろん、そのマスメディアに所属する著名人や有名人やタレントなども同じです。
彼らはマスメディアが独占した表現者としての立場によって社会に影響力を行使し自分の意見を一般化させることで莫大な経済的利益を受けてきたのですから、表現者の立場におけるマスメディアの影響力が希薄化されることは避けなければなりません。
そのため彼らは、ネット上で自分たちの意見を批判(非難)する一般市民に対して「匿名で人を批判(非難)するな!」と言いたがるわけです。
「匿名で人を批判(非難)するな!」はネット社会で一般市民を再び受領者の立場に追いやるための手段
ですから、著名人や有名人やタレントなどが口角泡を飛ばして「匿名で人を批判(非難)するな!」と主張しているのは、ただ単にインターネットという表現の場から一般市民を排除することが目的になっているだけと言えます。
これまで表現者の立場を独占してきたマスメディアにとっては、インターネットの世界に一般市民がSNSを使って参入してくれば自分たちの意見が相対的に希薄化されて利益が減少してしまうので一般市民の言論が邪魔なのです。
どこの誰かも分からない赤の他人から自分の意見を批判(非難)されれば誰だって愉快ではありませんし、本名を名乗りもしない相手に反論するために貴重な時間を搾取されることが大きな負担になることは誰だって想像がつきますから、社会において大きな影響力を持っている著名人や有名人やタレントなどから「匿名で人を批判(非難)するな!」と言われれば、ほとんどの一般市民は「匿名で人を批判(非難)することは道徳(マナー)として悪いこと」だと認識してしまいます。
だからこそ彼らは一般市民をネット社会でも再び受領者の地位に追いやるために「匿名で人を批判(非難)するな!」という主張を拡散させて社会で一般化させようとしているわけです。
「匿名で人を批判(非難)するな!」は道徳(マナー)を利用したマスメディアの詭弁
このように、著名人や有名人やタレントが「匿名で人を批判(非難)するな!」と主張しているのは、これまで表現の自由における表現者の立場を独占してきたマスメディアがインターネットの世界でも再び一般市民を受領者の立場に追いやることが目的であることが分かります。
影響力のある著名人や有名人やタレントが「匿名で人を批判(非難)するな!」と声高に主張すれば、その道徳(マナー)観念を利用して一般市民をネット環境で黙らせることができるので「匿名で人を批判(非難)するな!」という意見をメディアで拡散させているのです。
「匿名で人を批判(非難)するな!」という意見は一見するともっともらしく聞こえてしまいますが、冷静に考えてみれば、一般市民の道徳観念を利用した卑しい詭弁であるのは明らかでしょう。
著名人や有名人やタレントなど社会に大きな影響力を持つマスメディアの一員は、その社会に与える影響力を持つこと自体が大きな権力となり得ますので、彼らは国家権力ではないものの、その意味で権力者と言えます。
そのある種の権力をもった権力者が「匿名で人を批判(非難)するな!」などという道徳(マナー)をもって一般市民の言論を抑圧することは認められるべきではありません。
『匿名アカウントで人を批判するのが全く悪くない5つの理由』のページでも指摘しましたが、道徳(マナー)は社会に影響力をもった権力者が一般市民に強制させるべきものではないのです。
道徳(マナー)は個人が個人の意思で選択し実行すべきものであって、それを権力者が市民に強制すれば80年前に起きた教育勅語の失敗を繰り返すだけでしょう。
ですから国民は、このような著名人や有名人やタレントなどの道徳(マナー)を弄した詭弁に騙されることなく、彼らの主張を注意深く監視し続けることが必要です。
それを忘れて彼らに言われるままに彼らの意見を批判(非難)することを恐れれば、権力者に迎合するマスメディアに容易に世論を操作され、先の戦争の悲劇を繰り返す危険があることはすべての国民が十分に認識しなければならないと言えるのです。