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憲法9条に自衛隊を明記すると平和主義が平和主義でなくなる理由

現在の政権が憲法9条の改正に固執しているだけでなく、自民党を中心とした与党が衆参両議院で3分の2以上の議席を確保していることから考えて、遅かれ早かれ憲法9条の改正案が国会に提出されるのは間違いないでしょう。

【日本国憲法9条】

第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

その場合、具体的にどのような条文が9条の改正案として提出されるのかは今の段階では定かでありませんが、最低でも「自衛隊」を明記する改正案が出されるであろうことは容易に想像できると思います。

しかし、憲法9条に自衛隊が明記された場合、憲法の基本原理である「平和主義」が大きく変質してしまう危険性を指摘する意見も多く聞かれます。

では、仮に憲法9条に自衛隊が明記された場合、具体的に憲法の基本原理(基本原則)である「平和主義」がどのように変更されてしまうのでしょうか。

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憲法9条に自衛隊が明記されることで変更される平和主義の4つの命題

現行憲法における平和主義の原理は、憲法前文で宣言された平和主義の思想と、その平和主義思想を具現化する憲法9条の条文によって構成されていますが、その平和主義の内容として以下の①~④の4つの命題があげられます。

  • ① 自衛戦争も含めたすべての戦争が放棄されていること(前文・9条1項)
  • ② 戦争放棄を徹底するために戦備の保有が禁止されていること(9条2項)
  • ③ 戦争放棄の帰結として交戦権も放棄されていること(9条2項)
  • ④ 国の安全保障が外交努力や国際的な提言にゆだねられていること(前文)

では、憲法9条に自衛隊が明記されることによってこれら①~④の命題に具体的にどのような変化が生じうるのか検討してみます。

① 自衛戦争が許容される(前文・9条1項)

日本国憲法は憲法の前文で「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と述べることで「戦争放棄」の思想を明確に宣言し、その戦争放棄の思想を具現化させるために9条1項で「戦争」と武力による「威嚇」とその「行使」を放棄していますので憲法が「戦争を放棄」していることは明らかです。

この点、その放棄された戦争が「侵略戦争」に限定されるのか、それとも「自衛戦争も含めたすべての戦争」が放棄されているのかという点については解釈に争いがありますが、学説上の通説的見解では、「9条1項で放棄されたのは侵略戦争に限られるけれども2項で戦力の保有と交戦権が否定されているので結局は2項で自衛戦争も放棄されている」と解釈されており、歴代の政府もこの通説的な見解をとっていますので、現行憲法では「自衛戦争も禁止されている」というのが一般的な認識とされています (※詳細は→憲法9条の「戦争放棄」解釈における3つの学説の違いとは?) 。

この点、なぜ現行憲法で自衛隊の存在が認められているのかという点が問題となりますが、自衛隊の運用が認められているのは、歴代の政府が自衛隊の戦力を「軍事力」ではなく「必要最小限度の実力」と解釈しているからです。

自衛隊の戦力が「必要最小限度の実力」であれば、たとえ自衛隊が自衛のために武力を使用しても、その武力の行使は「必要最小限度の実力の行使」であって「軍事力の行使」にはあたらず「自衛のための必要最小限度の実力の行使」にはなっても「自衛のための戦争」にはならないので自衛権の行使としての自衛隊の武力の行使は憲法上合憲です。これが歴代の政府がとってきた理屈です(※詳細は→憲法9条が侵略戦争だけでなく自衛戦争をも放棄した理由)。

もちろん、自衛隊の装備は世界の常識からすれば軍隊に違いありませんので、この理屈は常識的に考えると「屁理屈」の域を出ないので裁判になれば明らかに「違憲」判決が出るはずなのですが、裁判所は意図的に自衛隊の違憲性の判断を避け続けていますし(長沼事件:札幌高裁昭和51年8月5日、最高裁昭和57年9月9日 :憲法判例百選Ⅱ有斐閣参照)、この政府の理屈も理屈としてはいちおう筋が通っているので今のところは憲法上「違憲という判決は出ていない」として自衛隊が運用されているのです(※詳細は→「侵略戦争しないから9条は改正してもよい」が間違っている理由)。

ただし、自衛隊の戦力は憲法が本来予定したものではなく、歴代の政府が憲法の平和主義の原則と9条を捻じ曲げて解釈して容認されているものであることは事実ですので、憲法が本来的に予定していない自衛のための戦力が存在してしまっている、言い換えれば本来存在しないはずの戦力が存在してしまっているというのが今の自衛隊の現状であり自衛隊が根本的に抱える問題と言えるでしょう。

ところで、このように日本国憲法が採用した「平和主義」の原理における「戦争放棄」は侵略戦争だけでなく「自衛戦争をも放棄」しているところに大きな特徴があると言えるのですが、仮に自衛隊が憲法に明記された場合、この「自衛戦争も含めたすべての戦争を放棄」した「戦争放棄」の解釈は大きく変更されます。

なぜなら、自衛隊が憲法に明記されれば「自衛のための戦力の保有とその行使」が憲法上で認められたことになり、たとえ通説的な見解に立ったとしても憲法9条の1項と2項について「自衛戦争も含めたすべての戦争を放棄している」という解釈をとることができなくなってしまうからです。

先ほど述べたように、通説的見解(政府見解)で自衛戦争が禁止されているのは「9条1項で放棄されたのは侵略戦争に限られるけれども2項で戦力の保有と交戦権が否定されているので結局は2項で自衛戦争も放棄されている」という理屈で9条が解釈されるからですが、自衛隊が憲法に明記されると、その「2項で戦力の保有と交戦権が否定されている」という理屈が使えなくなってしまいます。

自衛隊が憲法に明記されれば、「自衛のための戦力の保有とその行使」を国民が容認したということになるからです。

憲法に自衛隊が明記されれば、9条2項で禁止されていた戦力の保有と交戦権の行使が「憲法に明記された自衛のための範囲内で」認められる(国民が容認した)ことになりますが、先ほど説明したように学説上の通説的見解(政府見解)では9条1項で放棄されたのは「侵略戦争だけ」に過ぎませんので「憲法に明記された自衛隊が行う自衛のため」の戦力行使の範囲内で9条1項で「自衛戦争」の行使を認めなければならないことになります。

そのため、憲法に自衛隊が明記されれば、憲法で「自衛戦争」をすることが許容されるように変更されてしまうことになると言えるのです。

② 自衛戦争の範囲内での陸海空軍その他の戦力の保持が認められる(9条2項)

また、現行憲法では「自衛戦争も放棄する戦争放棄」の理念を実現させるために9条2項で「陸海空軍その他の戦力の保持」が禁止されていますが、これも憲法に自衛隊を明記することで大きく変わります。

憲法に自衛隊が明記されれば、9条2項で「戦力不保持」が規定されていてもその新しく憲法に明記された自衛隊の装備として認められた範囲の陸海空軍その他の保持が国民によって認められたことになるからです。

ここで注意すべきは憲法に自衛隊が明記されれば「自衛戦争のための陸海空軍その他の戦力の保持」が認められることになるという点です。

自衛のための戦力なら何でも保有が認められることになりますので、政府が「自衛のために空母が必要」と解釈すれば空母の保有も認められますし、政府が「自衛のための核兵器も必要」と解釈すれば、核兵器の保有も当然、憲法上認められることになります。

つまり、9条2項の「戦力不保持」の規定は、あってないのと同じで形骸化してしまうことになるわけです。

なお、この点については『憲法9条を改正して自衛隊を明記するだけで核武装できる理由』のページで詳しく解説しています。

③ 自衛戦争の範囲内で交戦権が容認される(9条2項)

憲法9条2項の「交戦権の否認」も同じです。

現行憲法では国の交戦権は完全に否定されていますが、憲法に自衛隊が明記されれば、「憲法に自衛隊が明記された範囲内」で交戦権が認められることになり、「自衛戦争の限度」で国の交戦権も認められることになるからです。

交戦権が「自衛戦争の限度で認められる」ということは、「自衛」のためであれば先制攻撃もできるということを意味します。

今の自衛隊は、あくまでも「自衛」のためという大義名分のもとで運用されていますので、実際に他国から攻撃されない限り反撃できないという”たてまえ”の下で運用されていますから、現行憲法ではさすがに政府も「自衛のための先制攻撃」までは容認していません。

しかし、自衛隊が憲法に明記されれば、その”タガ”は外されてしまいます。憲法に自衛隊が明記されれば、自衛権の行使を国民が容認したことになりますので、「自衛のため」という大義名分があればあらゆる攻撃が認められるからです。

たとえば、どこかの国が日本にミサイルを撃ち込む可能性があると政府が判断したとしても、現行憲法では「Jアラート」を鳴らしまくって国民の危機感を無駄に煽るぐらいしかできませんが、憲法に自衛隊が明記されれば、政府が「○○国がミサイルを撃ち込みそうだ」と発表するだけでその「○○国」に対して空爆することも可能になりますし、日本がもし核武装すればその「○○国」が実際にミサイルを撃ち込んでこなくても、核ミサイルをぶち込んで先制攻撃することもできるということになります。

④ 国の安全保障は軍事力による抑止力と実行力にゆだねられる

以上は憲法9条で規定された「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権の否認」の3つの命題に関する変更点ですが、以上の外にも日本国憲法の平和主義が要請している安全保障の手段にも変更が生じることになります。

現行憲法では、憲法前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と述べられていますから、国の安全保障は諸外国と信頼関係を築くことで国際社会と協調し外交交渉や紛争解決の提言を行うことで国家間の紛争解決を図ろうとする国際協調主義に立脚して確保されることが要請されています。

しかし、憲法に自衛隊が明記されれば、国の安全保障は自衛隊という武力(軍事力)によって確保されることになりますから、その憲法前文で宣言された外交交渉や国際的な提言によって国際紛争の解決を図る国際協調主義の理念は相対的にその役割が低下してしまうでしょう。

もちろん、自衛隊を憲法に明記したからと言って直ちに「自衛戦争をしまくる」ということはないでしょうが、これまでよりも外交交渉や国際的な提言によって解決を図る努力の優先順位は相対的に下げられることになりますので、「自衛のため」と称した武力行使の機会は格段に増えることになるのは避けられません。

憲法9条に自衛隊を明記すると平和主義が平和主義でなくなる理由

このように、憲法の平和主義からは以下の4つの命題が導かれますが、

  • ① 自衛戦争も含めたすべての戦争が放棄されていること(前文・9条1項)
  • ② 戦争放棄を徹底するために戦備の保有が禁止されていること(9条2項)
  • ③ 戦争放棄の帰結として交戦権も放棄されていること(9条2項)
  • ④ 国の安全保障が外交努力や国際的な提言にゆだねられていること(前文)

憲法に自衛隊が明記されれば、以上の①~④の命題が、以下のような命題に変更されることになります。

  • ①´ 自衛戦争の行使が許容される。(前文・9条1項)
  • ②´ 自衛のための戦力保持が認められる。空母や核の保有も可能になる(9条2項)
  • ③´ 自衛のための交戦権が容認される。先制攻撃も可能になる。(9条2項)
  • ④´ 国の安全保障は外交努力よりも軍事力による抑止力や実行力が優先される。

つまり、憲法に自衛隊が明記されれば、憲法の平和主義から派生される代表的な4つの命題がすべて大きく変更されることになるのは避けられないのです。

では、そうして変更された憲法の平和主義の原理は、従前の平和主義と同じと言えるでしょうか。

現行憲法の平和主義は『日本国憲法の平和主義は他国の平和主義とどこが違うのか』のページでも解説したように、侵略戦争だけでなく自衛戦争をも放棄し、その自衛戦争の放棄を徹底させるために陸海空軍その他の戦力の保持を一切認めず、国家としての交戦権も認めないところに大きな特徴がありました。

また、憲法前文で宣言されたように、国際協調主義の理念に基礎をおいて、国際社会と信頼関係を築くことで紛争解決の努力を行い、自国の利益だけではなく世界から紛争や貧困をなくすことで世界の平和を実現し、その世界の平和のうえで日本の安全保障を確保しようと考えているのが現行憲法の平和主義の特徴的な思想と言えました。

しかし、憲法に自衛隊が明記されることによってそれらの命題はすべて変更されてしまうのですから、そうなればその思想は世界で紛争をまき散らすアメリカやロシアやイスラエルなどと同じように、自衛戦争の大義名分があればいくらでも軍事力を行使することができる「平和主義」と変わらないでしょう。

もちろん、それを「平和主義」と呼べる人もいるでしょうが、私にはただの軍国主義にしか見えません。