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自民党憲法改正案の問題点:第23条|保障されない学問の自由

憲法の改正に執拗に固執し続ける自民党が公開している憲法改正草案の問題点を一条ずつチェックしていくこのシリーズ。

今回は「学問の自由」について規定した自民党憲法改正草案の第23条について確認してみることにいたしましょう。

現行憲法の第23条と自民党改正案の違い

自民党憲法改正草案の第23条は学問の自由の規定を置いていますが、これは現行憲法でも23条に置かれていますので、現行憲法の第23条がそのまま移動した形になっています。

念のため双方の条文を確認してみましょう。

日本国憲法第23条

学問の自由は、これを保障する。

自民党憲法改正案第23条

学問の自由は、保障する。

※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成

このように、条文自体は現行憲法の「これを」の部分が削除されただけで、文章自体はほぼ変わりません。

では、文章自体が変わらないければ、その解釈も変わらないと考えてよいのでしょうか、検討してみましょう。

自民党改正案の下では「公益及び公の秩序」に反する学問の自由が制限される

この点、結論から言えば第23条の文章自体が変わらなくても「学問の自由」の保障に関する解釈は大きく変わります。

なぜなら、自民党憲法改正草案の第12条が、現行憲法で「公共の福祉」の要請がある場合にだけ基本的人権の制約を認めている部分を、「公益及び公の秩序」の要請で制限できるように変えているからです。

(1)自民党憲法改正草案第12条は「公益及び公の秩序」の要請で基本的人権を制限できるようにした

憲法で保障される基本的人権は民主主義の実現に不可欠なものですから国家権力が制限することは許されません。

しかし、個人の基本的人権を無制限に認めてしまうと他人の人権保障と両立できないケースもあるため社会的な関係では制約が必要となる場合もあり得ます。

そのため現行憲法は、第12条に「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」との規定を置くことで、個人の人権が「公共の福祉」の要請の下で制約され得ることを認めることにしているのです。

日本国憲法第12条

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

「公共の福祉」という文言は論証も複雑で学者でもない私がここで説明するのは困難ですが、弁護士の伊藤真氏の言葉を借りるなら「自分勝手はだめですよ、自分の事だけを考えていてはダメですよ」という意味合いになります(※伊藤真著「憲法問題」PHP新書87頁)。

つまり、現行憲法の第12条は、基本的人権は基本的には絶対的に保障されなければならないわけですけれども、その基本的人権を「自分勝手に」行使したり「自分の事だけを考えて」他人の人権を侵侵すようなケースでは、例外的に国家権力が介入してその人権を制限することを認めることを明示した規定と言えるわけです。

(2)「公益及び公の秩序」は「自民党の利益」と「自民党の秩序」と同義

このように、現行憲法の第12条は「公共の福祉」による人権の制約を認めていますから、個人の基本的人権として保障される権利も「公共の福祉」を損なうような場面では、例外的に制限を受けるケースもあり得ると言えます。

しかし自民党憲法改正草案の第12条は、この「公共の福祉」の部分を「公益及び公の秩序」の文言に変えてしまいました。

自民党憲法改正案第12条

(国民の責務)
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成

つまり、自民党憲法改正草案の下では、「公益及び公の秩序」の要請があれば国家権力が国民の基本的人権を制限しても憲法違反とはならなくなってしまうのです。

では、その自民党が言う「公益及び公の秩序」とは何を意味するのでしょうか。

この点、「公益」とは「国益」の言い換えであり、その「国」の運営をゆだねられているのは「政府」であってその「政府」を形成するのは多数議決を確保した「自民党」ですから、「公益」は「自民党の利益」と同義と言えます。

また、「公の秩序」は「現在の一般社会で形成される秩序」という意味になりますが、「現在の一般社会」を形成しているのは多数派(マジョリティー)であって、現在の多数派(マジョリティー)は自民党支持者ということになりますので、「公の秩序」も「自民党がつくる秩序」と同義と言えます。

すなわち、自民党憲法改正草案の第12条は「公益及び公の秩序」の要請があれば基本的人権を制限することを認めていますが、これは「自民党の利益」や「自民党の秩序」の要請があれば、国家権力が国民の基本的人権を制限することも認められると規定したのと同じことになるわけです(※以上の点の詳細は→自民党憲法改正案の問題点:第12条|人権保障に責務を強要)。

(3)「公益及び公の秩序」を根拠に「学問の自由」が侵されてしまう

このように、自民党憲法改正草案の第12条は「公益及び公の秩序」の要請に基づいた基本的人権の制約を認めていますから、国民の基本的人権を保障することで「自民党の利益」や「自民党の秩序」が害される場合には、政府(国家権力)がその国民の基本的人権を制約することも、自民党憲法改正案の下では許されることになります。

そうなると当然、憲法第23条で保障される「学問の自由」も基本的人権の一つですから、仮に自民党憲法改正案が国民投票を通過すれば、政府(自民党)が「自民党の利益」や「自民党の秩序」が害されると判断した場合に、その「学問の自由」を制限することも憲法で認められることになってしまいます。

これはもちろん、「自民党の利益」や「自民党の秩序」に沿わない『学問の自由』が制限されるということであって、自民党の方針に沿わない学問の全てが許されなくなるということです。

自民党憲法改正案が国民投票を通過した後の日本では、政府に批判的な学問を志せば、自由な研究はできなくなりますから、政府の方針に合致する学問だけが奨励される一方、政府の方針と相反する学問は淘汰されることになるでしょう。

学問的見地から政府に批判することも妨げられるようになりますから、仮に学者が学問的見地から政府の方針に批判的な意見を持っていたとしても、政府に逆らえば排除されてしまうので、政府に迎合的な意見しか言わなくなっていくかもしれません。そうなればもう日本中の学者が御用学者だらけになってしまいます。

今、世界は新型コロナウイルスの感染拡大で危機に陥っていますが、仮に学者が学問的見地から政府の対応に明らかな間違を見つけても、それを政府やメディアに伝えれば政府から弾圧を受けてしまうので沈黙してしまうようになるわけです。

そうなれば、政府は科学的見地から導かれる真理に気づかないまま政治を行っていきますから、科学に基づかない政治によって国民は様々な危険にさらされることになるでしょう。そうして困るのはもちろん、真実を知らされることなく命を危険にさらされる我々国民です。

また、「公益及び公の秩序」の名の下に政府が学問の自由を制限することが認められるなら、政府が学問の領域に自由に介入することもできるようになりますので、学校教育にも政府(自民党)が積極的に介入するようになるでしょう。

つまり、政府(自民党)が「公益及び公の秩序」のために必要だと判断すれば、「公益及び公の秩序」すなわち「自民党の利益」や「自民党の秩序」に沿う教育を教育現場で義務付けても憲法違反にはならなくなるのです。

それはすなわち、先の戦時中や戦前のように国家指導者の思いのままに教育を一定の方向に誘導できるということですから、80年前にこの国がそうであったように、一定の思想の下に国民が教育されることで全体主義的な方向に統制されていく危険も生じてしまうでしょう。

憲法第23条の文章自体は変わらないが「学問の自由」の解釈は大きく変えられる

以上で説明したように、自民党憲法改正案第23条は現行憲法と文章自体はほぼ変わりませんが、憲法第12条が「公益及び公の秩序」の要請に基づいた人権制約を許容していることから、「学問の自由」の保障に関する解釈は大きく変えられることになります。

そして先ほど説明したように「公益及び公の秩序」は「自民党の利益」と「自民党の秩序」の言い換えに過ぎませんから、自民党憲法改正案第23条が国民投票を通過すれば、多数議席を獲得した自民党の思うがままに「学問の自由」は制限されてしまうのです。

それはすなわち、「学問の自由」の保障がなくなるということです。自民党憲法改正案第23条は「学問の自由は、保障する」と規定していますが、その実質は「学問の自由は、保障しない」と同義なのであって、政府(国家権力)の思うがままに「学問の自由」を制限することを許しているのが自民党憲法草案の第23条なのです。

こうした憲法条文の行き着く先は「学問の自由」が否定され、国家権力の思うがままの教育が行われる全体主義国家であって、80年前の失敗を繰り返すだけなのですから、その点の危険性を十分に考えて自民党改正案への賛否を判断することが求められていると言えます。