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自民党憲法改正案の問題点:第24条1項|家族制度と忠孝の復活

⑤ 家族の相互扶助義務は自己責任を肯定し生存権保障が放棄される

5つ目の問題点として、家族による相互扶助の義務付けが自己責任論を強化し国民の生存権を脅かす点も挙げられます。

自民党憲法改正案第24条1項は「家族は、互いに助け合わなければならない」と規定していますから、家族の中で生存を脅かす何らかの問題が生じれば(例えば病気やケガ、失業や経済的困窮など)、まずその「家族」に所属する構成員が互いに助け合って生存を確保しなければなりません。

この点、自民党が公開しているQ&Aでも『党内議論では、「親子の扶養義務についても明文の規定を置くべきである。」との意見もありました』と説明されていますから、この改正案第24条1項が「家族の相互扶助」を「”法的”な義務」としての意味合いを内在させているのは明らかと言えます。

Q19 家族に関する規定は、どのように変えたのですか?

家族は、社会の極めて重要な存在ですが、昨今、家族の絆が薄くなってきていると言われています。こうしたことに鑑みて、24条1項に家族の規定を新設し、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」と規定しました。

党内議論では、「親子の扶養義務についても明文の規定を置くべきである。」との意見もありましたが、それは基本的に法律事項であることや、「家族は、互いに助け合わなければならない」という規定を置いたことから、採用しませんでした。

※出典:日本国憲法改正草案Q&A|自民党 16頁を基に作成

いわゆる「自助」と「共助」の”法的”な強制です。

この点について自民党はQ&Aの中で「一般論を訓示規定として定めたもので国が介入するものではない」などと説明していますが、国の最高法規である憲法に「互いに助け合わなければならない」と規定されている以上、それは「法的な義務」として拘束力を持つことになるのは明らかです。

Q20 現行24条について、「家族は、互いに助け合わなければならない」という一文が加えられていますが、そもそも家族の形に、国家が介入すること自体が危ういのではないですか?

(中略)この規定は、家族の在り方に関する一般論を訓示規定として定めたものであり、家族の形について国が介入しようとするものではありません。

※出典:日本国憲法改正草案Q&A|自民党 17頁を基に作成

菅首相がNHKのニュース番組や国会の所信表明演説で「自助・共助・公助」などと述べ(※参考→https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/statement/2020/1026shoshinhyomei.html)、国民にまず「自助」と「共助」を要求し、それでも助からない場合にようやく最後に国や自治体が「公助」で補うことを宣言したことは記憶に新しいですが、そうした「自助」や「共助」を「公助」に優先させる行政の措置を憲法で明確に適法化させるのが、この改正案第24条1項の「家族は、互いに助け合わなければならない」になるわけです。

しかし国は本来、国民の自由や財産を守るためにあるはずです。

先ほどのの部分でも述べたように、人は自分の自由(安全)と財産を守るために他者と社会契約を結んで共同体を形成し、その共同体に本来的に持つ権限(※統治権となる行政・立法・司法のいわゆる三権)を委譲して国家を形成するわけですから、社会契約によってその国家を創設する目的は、あくまでも個人の自由(安全)と財産を守るところにあります。

つまり人は、自分の自由(安全)と財産を”国家に守らせるため”に他者と社会契約を結ぶのです。

だからこそ現行憲法の第25条は、国民が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるようにするために、生存権を基本的人権として保障して、国家に対しそれを具現化するよう努力義務を課しているわけです。

日本国憲法第25条

第1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

そうであれば、「自助」や「共助」を「公助」に優先させるべきではありません。「自助」や「共助」を優先させるなら、自分の自由(安全)や財産を守らせるために社会契約を結んだ意味がなくなるからです。

社会契約は国家に国民を守らせるのために形成されるのに、自民党憲法改正案はその逆に、国民に「自助」や「共助」を「公助」に優先させる一方、国家の負担となる「公助」をそれに劣後させることで、国民に対して国家の利益を守らせようとようとしているわけです。これでは本末転倒でしょう。

このように、「自助」や「共助」を「公助」に優先させる自民党憲法改正案第24条1項は、国民から生存権という基本的人権を奪い取り、国家が国民を守るのとは逆に、国民に国家を守らせる構造にされている点で大きな問題があると言えるのです。

⑥「家族への公助」を国に義務付けた世界人権宣言を捻じ曲げて「家族の自助・共助」に転嫁している

自民党憲法改正案第24条1項の6つ目の問題点として、「家族の相互扶助義務」を規定したことを正当化するために世界人権宣言の趣旨を捻じ曲げて説明している点が挙げられます。

自民党は改正案第24条1項が「家族の相互扶助義務」を規定した理由をQ&Aの中で次のように説明しています。

人権保障における家族の重要性は、国際的にも広く受け入れられている観点であり、世界人権宣言16条3項は「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位であり、社会及び国による保護を受ける権利を有する」と規定されています。草案の24条1項前段はこれを参考にしたものです。

※出典:日本国憲法改正草案Q&A|自民党 17頁を基に作成

なお、世界人権宣言第16条3項の原文は以下のとおりです。

The family is the natural and fundamental group unit of society and is entitled to protection by society and the State.

※出典:https://www.mofa.go.jp/policy/human/univers_dec.html より引用

ちなみにこれの自動翻訳はこちら

家族は社会の自然で根源的な集団単位であり、社会と国家によって保護される権利がある。

※:出典:https://www.deepl.com/home で世界人権宣言第16条3項を自動翻訳

しかし、世界人権宣言第16条3項は「entitled to protection by society and the State.(社会と国家によって保護される権利がある)」と規定されているように、社会や国に所属する家族が保護される権利を認めたものであって、その目的はあくまでもその社会や国に所属する家族を社会や国に保護させるところにあります。

しかし自民党改正案第24条1項は国家ではなく「国民に」家族を助ける義務を課すものですから、その方向性が全く真逆にされています。

つまり、自民党は「国は家族を保護しなさいよ」と国に対して保護を義務付けた世界人権宣言の趣旨を捻じ曲げて、その逆に「国民は家族を保護しなさいよ」と国民に対して保護を義務付けた改正案第24条1項を正当化しているわけです。

これは到底許されるものではありません。世界人権宣言が「家族の相互扶助義務」など何も述べていないにも関わらず、あたかもそれを述べているかのように世界人権宣言を引用して、「国に家族を守らせる義務」を課した世界人権宣言とは真逆の発想で「国民に家族を守らせる義務」を課した自分たちの憲法草案を正当化させるなど言語道断です。

このように、読み手を錯誤に陥らせる文章で自分たちの改正案を正当化させようとする自民党の危うさに、全ての国民が気付く必要があるでしょう。

⑦ 「忠孝」の道徳教育が許容されて国民の統制に使われる危険性

また、「家族」が「尊重される」と規定する自民党改正案第24条1項は戦前から敗戦にかけて広く行われた「忠孝」の道徳に基づく教育が許容されてしまう点でも問題です。

なぜなら、先ほどの「(3)」や「(4)」でも説明したように、明治憲法(大日本帝国憲法)下における「家」や「家父長制」を要素とした『家族制度』は、「忠孝」の道徳教育とセットで国民に普遍化されていった経緯があるからです。

「家族を尊重」するという概念は「親(現行法の下では世帯主)を尊重する」という概念と同義ですから、それは「親」を敬いその恩に報いさせる意識を根付かせるための道徳観念である「忠孝」と密接に関連する概念です。

そうすると、憲法で「家族は…尊重される」と規定してしまえば、「忠孝を尊重させる」ことも法的に許容されることになってしまいますから、国が国民に「忠孝」を道徳として教育しても、それは憲法違反とは言えなくなってしまいます。

現行憲法では先ほど説明したように憲法第14条で「思想良心の自由」が保障されているので国が国民に「忠孝」の道徳教育を強要すれば人権侵害として違法性(違憲性)の問題を問うことができますが、自民党改正案第24条1項の下では「家族の尊重」が明記されているので、国からそれを具現化させるために密接不可分な「忠孝」の道徳教育を強制されても、国民はそれに対して違法性(違憲性)を問うことができなくなってしまうのです。

しかし「忠孝」の道徳を基にした教育は、先の戦争において結果的には国民に対して「国家」に命をささげることに最大の価値を認めることになり、最終的には国家指導者に玉砕や特攻など国民の命を軽視した作戦までを正当化させる思想にまで昇華させてしまいました。

そうして周辺諸国の諸国民にまで犠牲を強いて国土を焦土と変えたのが先の戦争です。

「忠孝」の教育と密接不可分な「家」や「家父長制」を要素として含む「家族の尊重」を憲法に規定することは、こうした先の戦争の過ちを繰り返す危険性がある点でも大きな問題があると言えるのです。

⑧ 憲法は国家権力の権力行使に歯止めを掛けるためのもの

以上の点と重複する部分もありますが、自民党憲法改正案第24条1項が国民に対して「互いに助け合わなければならない」と義務を課した点も問題です。

なぜなら、憲法は「国家権力の権力行使に歯止めを掛けるためのもの」であって、「国民に義務を課すためのもの」ではないからです。

先ほども少しふれましたが、人は複数が集まって共同体(社会)を形成し、その共同体を形成する際に自分が本来的に持っている権限を共同体に移譲します。その権限を委譲する際に互いに交わす契約がいわゆる「社会契約」であってそれによって形成されるのが国民国家という国家概念です。

こうして形成される国民国家は国民から移譲を受けた権限を利用して立法府を組織し自由に法律を作ることができますが、国家がひとたび暴走すればその制定する法律の支配力によって国民の自由や権利を自由に制限できるため、国民は社会契約を結ぶ際にあらかじめ「歯どめ」を掛けておこうとします。その手段が「憲法」です。

国民が社会契約を結ぶ際に「この範囲でしか権限を委譲しませんよ」「この範囲を超えて法律を作っちゃダメですよ」という決まりを憲法と言う法典に記録し、その記録(規定)された範囲で自分が本来的に持っている権限を国家に委譲するわけです。

こうした思想が根底にあるからこそ憲法は「国家権力の権力行使に歯止めを掛けるためのもの」と言えるのですが、そうであれば、その「国家権力に」歯どめを掛けた憲法に「助け合わなければならない」などと「国民に」対して義務を課す規定を盛り込むことは許されません。

憲法は「国家権力に」対してその権力行使に「歯止めを掛ける」ためのものなのに、その逆に「国民に」対して自由や権利を制限し「義務を課す」ことになるからです。

そうであるにもかかわらず、自民党は憲法改正案の第24条1項で国民に対して「互いに助け合わなければならない」と義務を課しているのですから、自民党はそもそも憲法が何を目的として存在するものなのかも理解していないのです。

自民党は「憲法が何か」という点すら全く理解していないのですから、そもそもそうした憲法の事など何もわかっていない政党が”憲法改正草案”などとあたかもそれが憲法であるかのように欺罔して国民を錯誤に陥らせようとしていること自体、そもそも問題なのです。

そうして国民を騙し錯誤に陥らせて国民を守るために制定された憲法を破壊しようとしている政党の危険性に少しでも多くの国民が気付くことが望まれます。

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「家族の相互扶助」を義務付ける第24条1項は『家族制度』によって国民を統制した明治憲法(大日本帝国憲法)に戻すもの

以上で説明したように、自民党憲法改正案の第24条1項が「家族」を「尊重される」規定した点は、本来国民がその思想と良心に基づいて国民自身の判断で自由に決定すべき内心にまで国家が介入する点だけでなく、明治憲法(大日本帝国憲法)で許容された様々な差別を惹起させる点でも大きな問題があると言えます。

また同改正案が、「家族は、互いに助け合わなければならない」と相互に扶助する義務を規定した点についても、国民に自己責任を強要し国民に本来保障されてしかるべき生存権を破壊する点で基本的人権の侵害という問題を惹起させていますからその点でも危険でしょう。

さらに、そうして「家族」の尊重について国の最高法規である憲法に明記することは、その「家族」が日本において歴史的には「家」や「家父長制」とも不可分で「忠孝」の道徳とも密接に関連するものであることを考えれば、戦前の「忠孝」道徳を国民に普遍化させることを許容する点でも問題があると言わざるを得ません。

こうした点を考えれば、自民党憲法改正案第24条1項は「家族」を規定することで、その「家族」から派生される様々な道徳や制度を利用して、日本を明治憲法(大日本帝国憲法)の下で具現化されたような一部の国家指導者が思いのままに国民を抑圧できる国家に変えようとしているように思えます。

明治憲法(大日本帝国憲法)という法の下で「家族」を尊重することを強制した過去の日本がどのような結末を迎えたか、「家族」について規定する自民党憲法改正草案の第24条1項についてはその点を十分に考える必要があるでしょう。