(2)第98条2項の問題点…事後承認によって不当な宣言が濫発される
次に、第2項を検討しますが、この規定も大きな問題があります。事後承認で緊急事態を宣言できるようにされているからです。
改憲案第98条2項は、内閣総理大臣が緊急事態を宣言するに際して「事前又は事後に」国会の承認を得なければならないとしていますから、この規定では内閣総理大臣が国会の事前承認なしに緊急事態を宣言できるようになってしまいます。
【自民党憲法改正草案第98条2項】
緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成
しかし、事後承認で内閣総理大臣が緊急事態を宣言できるとしてしまうと、次の2点で問題です。
① 事前のチェック機能が働かない
先ほどから説明しているように、緊急事態宣言は国の権力を行政権に集中させるものですから、その強力な権力を内閣総理大臣に与える以上、その宣言が本当に必要な状態なのか、その宣言が正当な理由で発せられるものなのか、その宣言が濫用される危険はないのかなど、宣言が発せられる前に国会にチェックさせることは不可欠です。
事前に十分に精査させないと、不当な宣言が発せられることで国民の自由や権利が大きく制限されてしまうからです。
それにもかかわらず、自民党改正案はその事前のチェックがなくても、事後承認で足りるとしているのですから、これでは事前のチェック機能は全く働きません。
前述したように、ドイツではナチスに緊急事態宣言を濫用された反省から事前承認を要件としているのですから、仮に緊急事態宣言を設けるにしても、事前承認は絶対的に必要でしょう。
自民党憲法改正案の緊急事態条項は、事後承認で足りるとしている点で大きな危険があると言えます。
② 本来無効な緊急事態宣言が発令されてしまう
事後承認で足りるとしている自民党案の緊急事態条項は、仮に事後的に国会が承認を否決したとしても、本来無効な宣言がそれまでの期間において執行されてしまう点でも問題です。
自民党案の緊急事態条項は国会の事後承認でも足りるとしていますが、仮に宣言がなされた後に国会がその宣言を否決したとしても、その国会が承認を否決するまでは宣言によって国民の自由や権利は制限されてしまうからです。
たとえば、本来緊急事態宣言を発する必要性がないにもかかわらず、内閣総理大臣が宣言を濫用する意図のもとに、国会閉会中の7月1日に事前の国会の承認を得ることなく、台風被害があったことを理由に緊急事態宣言を発したとします。
この宣言は内閣総理大臣が濫用することが目的ですから、本来は無効な宣言です。しかし、自民党憲法改正案第98条2項は事後承認で足りるとしているので、こうした宣言も可能なのです。
もちろん、事後的に国会の承認を得なければその宣言は無効となりますから、濫用された緊急事態宣言を停止させるため国会は宣言の不承認を議決しようとするでしょう。しかし国会は閉会中のため臨時国会が召集されるまでは宣言を不承認にすることができません。
そのため国会は臨時国会の召集を決議して、宣言の翌日に内閣に対して臨時国会を召集するよう求めるでしょうが、自民党改正案では国会から臨時国会を召集求められれば20日以内に臨時国会を召集しなければならないとされていますので(※詳しくは→自民党憲法改正案の問題点:第53条|臨時国会の召集が遅れる)、その規定にしたがって7月21日に臨時国会が召集されて、国会が7月1日に出された緊急事態宣言を承認しない決議をすることもできるでしょう。
ですが、こうして国会がいったん出された緊急事態宣言を承認しなかったとしても、宣言が出された7月1日から21日までは、内閣総理大臣が立法・行政・司法権のいわゆる三権を掌握し次々に政令を濫発して(※この点は改正案99条のところで詳しく解説します)国民の自由や権利を制限することができますから、その20日間あまりの期間は内閣総理大臣がやりたい放題できることになってしまうでしょう。
このように、緊急事態宣言にかかる国会の承認を事後承認で足りるとしている自民党改正案は、結果的に無効な宣言を内閣総理大臣に認めることになり、その本来無効な宣言で国民の自由や権利を制限する権能を内閣総理大臣に認めることを意味します。
緊急事態宣言の事後承認を認めている自民党改正案は、内閣総理大臣による宣言の濫用を許容している点で大きな問題があると言えるのです。
(3)第98条3項の問題点…100日は長すぎるうえ無期限に延期される危険
自民党憲法改正案第3項は、内閣総理大臣が発した緊急事態宣言の解除や継続に関する規定です。
【自民党憲法改正草案第98条3項】
内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成
この規定に関しては次の2つの問題を指摘できます。
① 100日という期間が長すぎる
この規定でまず疑問に思うのは、100日間というその期間の長さです。
たとえば2020年から翌21年にかけては新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言が出されましたが、その期間は1回目が48日間(2020年4月7日~5月25日)、2回目が72日間(2021年1月8日~3月21日)、3回目が56日間(2021年4月25日~6月20日)、4回目が80日間(2021年7月12日~9月30日)しかありません。
もちろん、新型コロナウイルスの緊急事態宣言と自民党改正案の緊急事態条項における緊急事態宣言とでは性質も私権制限の範囲も大きく異なるので両者をパラレルに論じることはできませんが、私権制限の緩やかな新型コロナウイルスの緊急事態宣言でさえ50~80日前後で解除されているのですから、それより強度な私権制限を伴う緊急事態条項における緊急事態宣言は、仮に設けるのであれば、より短く設定すべきではないでしょうか。
期間を短く設定しておいて、延長が必要な場合は国会の議決が必要だとか、あるいはその上限を厳格に決めてそれを超過する延長を禁ずるなど、歯止めを掛けておくべきでしょう。
自民党改正案の緊急事態条項は、闇雲に期間を長く設定している点で大きな不安を感じてしまいます。
② 100日単位で無期限に延長できてしまう
改正案第98条3項で指摘できるもう一つの問題は、100日単位で無期限に緊急事態宣言の期間を延長できるとしている点です。
改正案第99条の3項には、国会の「事前の承認」さえ得られれば「百日を超えるごと」に宣言を継続することを認めていますから、国会が事前承認さえすれば、内閣総理大臣は何年でも何十年でも緊急事態宣言を延長することができてしまいます。
つまり、国会で多数議席を確保した政党が指名した内閣総理大臣がいったん緊急事態を宣言すれば、その国会で多数議席を確保した政党が事前承認をすることで、無期限に何十年でも緊急事態宣言を延長することが(論理的には)できてしまうのです。
そうなると、国政は緊急事態宣言が発せられた際に国会で多数議席を確保した政党によって永久に支配されてしまいますから、もはや民主主義は成り立ちません。
自民党憲法改正草案第98条3項は、緊急事態宣言の無期限の延長を容認している点で大きな問題があると言えるのです。
(4)第98条4項の問題点…国会のチェック機能が形骸化してしまう
自民党憲法改正案第98条4項については次の2点で問題があります。
① 緊急事態宣言に係る承認決議で衆議院を優越させるとチェック機能が半減する
改正案第98条4項は、「第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する」としています。
【自民党憲法改正草案第98条4項】
第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同行中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。
【自民党憲法改正草案第60条2項】
予算案について、参議院で衆議院と異なった議決をした場合において、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算案を受取った後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。
※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成
この点、改正案第60条2項は衆議院と参議院の決議が分かれた際に衆議院の議決を優先させる規定ですから、自民党憲法改正草案の緊急事態宣言においても、その承認決議に際して衆議院の議決を優先させる趣旨でこのような準用規定を置いているわけです。
しかし、いったん出された緊急事態宣言が参議院においてその承認が否決されるという状態はよほどのことです。その宣言に何らかの瑕疵があったか、濫用があったか、あるいは何か不当な目的があった可能性が極めて高いでしょう。
そうであるにもかかわらず、衆議院の決議だけさえあれば、宣言は国会が承認したことになってしまうのです。
ですがそれでは、参議院のチェック機能は全く働かないのと同じです。
衆議院で多数議席を確保した政党が政権与党として内閣総理大臣に宣言を出させれば、もはや誰も違法な宣言を解除できなくなってしまうでしょう。参議院で多数議席を確保しなくても、衆議院で過半数さえ確保できれば、思うがままに緊急事態を宣言できてしまうというのは大きな問題です。
先ほどから述べているように、緊急事態条項における緊急事態宣言は、立法・行政・司法権のいわゆる三権を内閣総理大臣に集約し強力な権力を与えるものとなりますから、それに対する国会の承認決議は十分なチェック機能が果たされるものでなければならないはずです。
自民党案のように承認決議で衆議院の議決を優先させてしまえば、たとえ参議院が宣言の承認を否決したとしても、衆議院の議決だけで承認されてしまうことになるのですから、内閣総理大臣の不当な宣言を防止するためには、緊急事態宣言の承認決議に関しては衆議院の優越を介在させるべきではありません。
自民党憲法改正草案の緊急事態宣言は、衆議院のチェック機能だけで緊急事態を宣言できる構造にしている点で、極めて危険性が高いと言わざるを得ないでしょう。
② 国会の「承認」としてしまうと本来無効であるはずの宣言が有効に成立してしまう
なお、改正案第98条4項だけでなく98条2項も3項も、緊急事態宣言に係る国会の議決について「国会の承認を得なければならない」と「承認」という文言を使っていますが、「議決」の文言を使っていない点についてはいささか疑義があります。
なぜなら、国会の「議決」ではなく「承認」という文言にしてしまうと、国会決議が宣言の効力要件なのかという点で解釈に争いが生じてしまうからです。
たとえば、「国会の承認」という言葉は、現行憲法では条約の承認に関する憲法第61条でも使われていますが、学説上この61条の「国会の承認」は「国内法的かつ国際法的に、条約が有効に成立するための要件」であると解されていて(※芦部信喜著「憲法」303~304頁)、その意味では「条約締結は内閣との協働行為」だと解釈されている一方、政府が条約を締結した後に国会が承認をしなかった場合(事後に国会が条約の承認を否決した場合)のその条約の効力については有効説・無効説など学説上解釈に争いがあります。
この解釈の争いは、政府の締結した条約の実質的決定権が政府にあるのか国会にあるのかという点の問題ともなるわけですが、条約の実質的決定権が国会にあると考えて、事後に国会が承認を否決すれば政府が締結した条約が無効になる考える無効説と、条約の実質的決定権が政府にあると考えて、たとえ国会が条約を承認しなかったとしても条約自体が無効になるわけではなく、政府に国会の承認を得るべく努力する努力義務(政治責任)が生じると考える有効説などで解釈が分かれるわけです。
この論点はこの記事のテーマから脱線するのでこれ以上深く言及はしませんが、政府の締結した条約に「国会の承認」が必要と規定されている現行憲法61条では、このようにその実質的決定権が政府にあるのか国会にあるのかで解釈で結論が異なってしまうのです。
そうなると、自民党憲法改正草案第98条も、内閣総理大臣が出す(あるいは出した)緊急事態の宣言について「国会の承認」を得なければならないとしていますから、この規定が国民投票を通過すれば、仮に宣言が出された後に国会がその宣言の承認を否決した場合、その宣言の効力について有効説と無効説で争いが生じてしまうような気がします。
たとえば、宣言の実質的決定権が内閣総理大臣にあるという解釈を政府が採るのなら、たとえ国会の事後承認が得られなかった場合であっても、宣言は無効とはならず、内閣総理大臣には国会の承認を得るための努力義務が生じるに過ぎないという解釈も成り立ってしまうのです。
しかしそれは、内閣総理大臣が事実上、国会で事後承認を得られようが得られまいが有効に緊急事態宣言を発することができるということですから、事後承認の国会決議は全く形骸化してしまい、宣言の濫用が可能になってしまうでしょう。
そうした懸念を考えれば、緊急事態条項における国会の関与を「国会の承認」と規定している自民党改正案第98条は、条文自体が欠陥を含むような気がするのです。