憲法改正に執拗に固執し続ける自民党が公開している憲法改正草案の問題点を一条ずつチェックしていくこのシリーズ。
今回は、居住・移転の自由、職業選択の自由を規定した自民党憲法改正案「第22条1項」の問題点を考えてみることにいたしましょう。
なお、外国移住の自由や国籍離脱の自由を規定した自民党憲法改正案22条2項の問題点については『自民党憲法改正案の問題点:第22条2項|在日外国人を鳥籠の鳥に』のページで詳しく解説しています。
「公共の福祉に反しない限り」を取り除いた自民党憲法改正草案の第22条1項
現行憲法の第22条1項は居住・移転の自由と職業選択の自由を規定していますが、この規定は自民党憲法改正案の第22条1項にも同様に置かれています。
もっとも、その条文の文章が大きく削られていますので解釈に大きな変更が及ぶのは避けられません。
では、具体的にどのように条文が変更されたのでしょうか。双方の条文を確認してみましょう。
【日本国憲法第22条1項】
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
【自民党憲法改正案第22条1項】
何人も、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
※出典:自由民主党日本国憲法改正草案(平成24年4月27日決定)|自由民主党 を基に作成
このように、自民党憲法改正草案は現行憲法の規定から「公共の福祉に反しない限り」の部分を削除している点が特徴です。
では、この「公共の福祉に反しない限り」を削除したことによって具体的にどのような問題を生じさせるのでしょうか。
(1)新自由主義が強化され貧富の格差が拡大し常態化する
自民党憲法改正案の第22条1項が「公共の福祉に反しない限り」を削除したことで生じる問題としてまず指摘できるのが、新自由主義的思想に基づく社会が強化されてしまう点です。
ア)自由経済は弱者保護のために公権力による規制が必要となる
ところで、経済活動が歴史的には封建的な社会秩序の下で厳格に管理されてきたことは周知の事実だと思います。
たとえば、江戸時代の日本でも民衆の移動は藩の中で制限され、職業も厳格な身分制の下で固定化されていましたから、封建制度の下で一般市民に居住・移転や職業選択における自由が与えられていなかったことは明らかだったと言えるでしょう。
もっとも、近代国家では、そうした封建的な経済構造から自由主義的経済構造への転換を図り自由経済を確立させる必要性が求められましたから、必然的に市民に経済活動における私的自治を認める必要が生じました。
そのため、自由主義をとる日本国憲法においても居住・移転の自由や職業選択の自由を経済的自由権という基本的人権の一つとして保障することにしたわけです。
しかし、経済活動は相互関連性がありますから、そのすべてを自由経済の私的自治に委ねてしまうと、経済的強者は肥大化する一方で、経済的弱者は搾取され生活と生存が脅かされてしまいます。
そうした懸念があることから、経済的弱者を保護するために私的自治を制限し、あわせて経済の安定的な発展を実現し社会国家的理念を具現化させる必要が生じることになり、公権力が自由主義社会に一定の範囲で介入することも認めるべきであると考えられるようになりました。
そのため、日本国憲法は自由経済秩序の下では本来自由であるべき居住・移転や職業選択に関して、すべて私的自治に委ねるのではなく、それに「公共の福祉に反しない限り」と留保を付けることで、経済的弱者を保護するとともに、公権力が一定の範囲で政策的な介入をすることができるようにしたわけです。
イ)「職業選択の自由」に「公共の福祉」に基づく公権力の制限が必要になる理由
この「公共の福祉に反しない限り」という部分で自由経済に制限を掛けたものの中で、「職業選択の自由」に制限を掛けたケースの具体的例の一つが、労働法の解雇制限です。
先ほど説明したように現行憲法の第22条1項は「職業選択の自由」を保障していますが、この「職業選択の自由」は「自己の従事する職業を選択する自由」を意味するだけでなく「自己の選択した職業を遂行する自由」も意味するものと理解されていて、この後者の自由は「営業の自由」と呼ばれます。
そのためこの「営業の自由」も基本的人権の一つとして国民に保障されるわけですが、この「営業の自由」は国民個人だけでなく、労働者を雇い入れる使用者(企業等)にも保障されますので、そこから企業に「採用の自由」や「契約自由の原則」も導かれるものと理解されています。
つまり、企業に認められる「採用自由の原則」や「契約自由の原則」は憲法の第22条1項の「職業選択の自由(営業の自由)」の要請ともなるので、最大限の保障が求められることになるわけです。
そうであれば、企業がどのような労働者を雇い入れ、どのような労働者との契約を解除し解雇するかも「営業の自由」からの要請として本来的には自由でなければなりませんから、自由主義的な経済秩序を徹底させる場合には、企業に対して制限のない解雇の自由を保障すべき必要が生じます。
しかし、企業(雇い主)と労働者では雇い主である企業側が経済的立場で圧倒的に優位にありますから、自由経済秩序(契約自由の原則)を無制限に許容してしまえば、企業側の都合で労働者をいつでも自由に解雇できるようになり、労働者の生活や生存が脅かされてしまうため危険です。
そのため、経済的弱者である労働者を保護するために、労働契約法第16条は使用者(雇い主)の解雇に「客観的合理的理由」と「社会通念上の相当性」の2つの要件を掛けることで、企業(雇い主)が労働者を自由に解雇できないように制限を加えています。
【労度契約法第16条】
解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。
こうして法律で解雇に制限を掛けておけば、雇い主である企業側が無制約に労働者を解雇することを防ぐことができるので、経済的弱者である労働者の生活や生存を確保することができるからです。
この点、この労働契約法第16条は、本来自由であるべき憲法第22条1項の「営業の自由(職業選択の自由)」について、社会的弱者を保護するために公権力が法律で制限を加えたということですから、この労働契約法第16条は憲法第22条1項の「公共の福祉」の要請ということが言えます。
つまり、労働契約法第16条が使用者(雇い主)の解雇を制限して労働者を保護できるのは、憲法第22条1項が「公共の福祉に反しない限り」と留保を付けていることで、公権力が「営業の自由(職業選択の自由)」に一定の制限を加えることを憲法上の要請として認めているからなのです。
ウ)「公共の福祉に反しない限り」を取り除けば、新自由主義を制限できなくなってしまう
このように、憲法第22条1項は「営業の自由(職業選択の自由)」を保障していますが、「公共の福祉に反しない限り」と留保を付けることで経済的弱者を保護することを可能にしています。
ところが冒頭で紹介したように、自民党憲法改正案の第22条1項はそこから「公共の福祉に反しない限り」の部分を取り除いてしまいました。
しかし、憲法22条1項から「公共の福祉に反しない限り」を取り除くということは、この「公共の福祉」を用いた公権力による制限が憲法で認められなくなってしまうということです。
つまり自民党憲法改正案の第22条1項が国民投票を通過すれば、憲法で保障される「営業の自由(職業選択の自由)」は「公共の福祉」の制約がかからなくなってしまうので、自由主義的経済秩序を最大限に保障しなければならなくなることから、これまで「公共の福祉」として自由主義的経済秩序に制限を加えていた法律の全てが違憲性を帯びるようになってしまうのです。
そうなれば当然、先ほど挙げた労働契約法第16条のような「営業の自由(職業選択の自由)」に制限を掛ける法律も違憲性を帯びてしまいますから、企業が労働者を解雇する場面でも「営業の自由(職業選択の自由)」を労働者の保護より優先させなければならなくなってしまいます。
つまり、自民党改正案の下では、「公共の福祉」の要請が働かなくなる結果として、労働契約法第16条のような解雇制限を設けた法律が違憲性を帯びることになるため、企業の解雇が無制約に認められるようになるわけです。
これはいわゆる新自由主義的思想そのものでしょう。
先日、あるテレビ局の討論番組で、歴代自民党政権の政策決定に深く関与して業績を伸ばしてきた人材派遣会社の会長でもある竹中平蔵氏が「クビを切れない社員なんて雇えないですよ普通」などと述べたことが大きな批判を浴びましたが(※参考→http://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-11-04/2020110401_06_0.html)、そうした労働者の解雇が「営業の自由」という基本的人権の要請から無制約に憲法で保障されることになるのですから、竹中平蔵氏が待ち望む新自由主義の徹底された社会そのものと言えます。
と言うよりも、自民党はこうした労働者の解雇を自由に行えるような新自由主義的な思想を徹底させる社会に日本を変えたいのでしょう。だからその新自由主義の障害となる憲法第22条1項の「公共の福祉に反しない限り」の部分を削除したのです。
しかし、先ほどから説明してきたように、憲法第22条1項の「公共の福祉に反しない限り」の部分は、社会的弱者を無制約な市場原理から保護するために不可欠なものなのですから、これが取り除かれてしまえば、社会的弱者は新自由主義的な思想のもとで利益を最大化しようとする大企業に思うがままに支配されてしまいます。
小泉政権以降の自民党政権はその新自由主義的な思想に基づいて市場原理を最大化させるために派遣法を改正したり規制緩和を進めてきましたが、そのために労働者の賃金は下げられ、公務員は派遣会社に取って代わられて、中小企業も疲弊し続け、当初失われた10年と言われた経済停滞が30年を越えようとしているのが今の日本です。
自民党憲法改正草案がこの憲法22条1項から「公共の福祉に反しない限り」の部分を取り除いたのは、新自由主義思想に基づく無制約な競争原理を憲法で保障するところにその目的がありますが、その行き着く先は、弱肉強食を強いる過酷な競争社会と貧富の格差を許容する完全な自己責任社会に他なりません。
そうした新自由主義を強化させることに同意するのか、冷静に考える必要があるでしょう。
(2)新自由主義が憲法で保障されることで無制約な規制緩和が広がる
このように、自民党憲法改正案の第22条1項が現行憲法から「公共の福祉に反しない限り」の部分を取り除いたのは、新自由主義的思想に基づいて市場原理を最大限に憲法で保障し、国民に完全な競争原理を押し付けることを目的としていますが、こうした新自由主義的統治体制が問題を生じさせるのは(1)で説明したような労働者の解雇制限だけに限りません。
憲法第22条1項から「公共の福祉」の制約がなくなれば、公権力が自由な経済活動に「公共の福祉」を根拠に制限を加えることができなくなるため、経済活動に掛けられている様々な規制は政府(自民党)の判断で自由に解除することができるようになるからです。
自民党憲法改正案の第22条1項が国民投票を通過すれば、規制緩和は今以上に進められていくことになりますから、経済的基盤の脆弱な中小企業はすべて大企業に飲み込まれることになるでしょう。
郵政民営化で簡易保険が民営化された際には、アメリカの保険会社が日本で大きく顧客を増やすことができましたが、そうした市場の開放がさまざまな業種で実施され、外国資本に解放されることになるかもしれません。仮にそうなれば、アメリカなど外国資本による買収も今以上に加速する懸念も生じます。
そうした産業の空洞化が将来の日本に何を及ぼすか、十分に考えることも必要でしょう。
(3)自民党が「公益及び公の秩序」を根拠に国民の居住・移転・職業選択の自由を思うがままに制限できる
自民党憲法改正案の第22条1項で懸念される問題点の3つ目としては、居住・移転の自由や職業選択の自由が、「公益及び公の秩序」によって制限される危険性が挙げられます。
先ほどから説明してきたように、自民党憲法改正案の第22条1項は居住・移転の自由や職業選択の自由の保障規定から「公共の福祉に反しない限り」の部分を削除していますので、自民党改正案が国民投票を通過してしまうと、これらの基本的人権を制限する法的根拠が憲法第22条1項には存在しなくなってしまいます。
では、これらの基本的人権に公権力が制限を加えることができないかと言うとそうでもありません。自民党憲法改正案はその第12条で「公益及び公の秩序」の要請があれば基本的人権を制限することを認めているからです。
自民党改正案第12条については『自民党憲法改正案の問題点:第12条|人権保障に責務を強要』のページで詳しく説明しているので詳細はそちらに譲りますが、自民党改正案第12条は現行憲法では「公共の福祉」の要請がある場合にだけ基本的人権の制約を認めている部分を「公益及び公の秩序」に変えてしまいました。
つまり、自民党憲法改正案の下では「公益及び公の秩序」の要請があれば公権力が国民の基本的人権を自由に制約することも認められることになるのです。
しかし、「公益」とは「国益」の言い換えであり、その「国」の運営をゆだねられているのは「政府」であってその「政府」を形成するのは多数議決を確保した「自民党」ですから、「公益」は「自民党の利益」と同義です。
また、「公の秩序」は「現在の一般社会で形成される秩序」という意味になりますが、「現在の一般社会」を形成しているのは多数派(マジョリティー)であって、現在の多数派(マジョリティー)は自民党支持者ということになりますので、「公の秩序」も「自民党の秩序」と同義と言えます。
つまり、「公益及び公の秩序」は「自民党の利益や秩序」と同義ということになるので、自民党憲法改正案の下では「自民党の利益」や「自民党が求める秩序」の要請があれば国民の基本的人権を制限することも認められることになるのです。
そうなれば、憲法第22条1項の「居住・移転の自由」や「職業選択の自由」も基本的人権の一つですから、自民党憲法改正案の下では、政府(自民党)がそうした基本的人権を制限することも「公益及び公の秩序」を根拠に自由に認められることになってしまいます。
つまり、自民党憲法改正草案の第22条1項が「公共の福祉に反しない限り」を削除したことによって、政府(自民党)が国民の居住・移転の自由や職業選択の自由が「自民党の利益」や「自民党の秩序」を害すると判断した場合には、政府(自民党)がいくらでも無制限にそれらの人権を制限することもできるようになるわけです。
この点、具体的にどのようなケースで政府(自民党)が国民の居住・移転の自由や職業選択の自由を「公益及び公の秩序」を根拠に制限するかが問題となりますが、代表的な例としては、国防のための徴用や徴兵が挙げられるでしょう。
自民党憲法改正案が国防のための徴用や徴兵を予定していることは
のページなどでも解説してきたとおりですが、こうした国防のための徴用や徴兵を公権力が国民に強制させる場合には、国民を強制的に国防のために移動(移住)させたり、国民に兵役という職業を強制させなければなりませんから、必然的に「居住・移転の自由」や「職業選択の自由」を侵害することにつながってしまいます。
しかし、憲法第22条1項から「公共の福祉に反しない限り」の部分を削除して憲法第12条に「公益及び公の秩序」を規定しておけば、先ほどから説明したように「自民党の利益」や「自民党の秩序」のためにそれらの人権を制限することができるようになりますから、政府(自民党)が『国防のために必要だ』と判断すれば、いくらでも「居住・移転の自由」や「職業選択の自由」を制限することもできるようになります。
つまり、自民党が憲法改正案で国防のための徴兵や徴用などを国民に義務付けるためには、憲法第22条1項から「公共の福祉に反しない限り」を削除することが不可欠なので、その部分を削除したともいえるのです。
このように、自民党の改正案第22条1項は「公共の福祉に反しない限り」の部分を現行憲法から削除していますが、これは(1)や(2)で説明したように新自由主義的な思想を強化して国民を弱肉強食の競争社会に落とし込むだけでなく、国民に国防のための徴用や徴兵を強制させる目的も内在していますので、その点も十分に考える必要があるでしょう。