憲法9条を改正し自衛隊を明記すれば兵器の輸出が合憲になる理由

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自民党とそれに迎合するいわゆる改憲勢力に属する政治家は憲法9条に自衛隊(または国防軍)を明記する憲法改正の実現に躍起になっていますので、近い将来、彼らが憲法9条の改正案を国会に提示し国会で発議して国民投票にかけてくる可能性も十分に考えられます。

その場合、国民は憲法に自衛隊を明記する憲法改正に賛成するのか、それとも反対するのかどちらか一方に決めなければなりませんが、自衛隊が現行憲法の下で組織され既に様々な場面で活動している実績があることから、「自衛隊を明記する憲法改正案」であれば賛成する人は多いような気もします。

既に国民に認知されている自衛隊が単に憲法に明記される「だけ」であれば、「今と何も変わらない」とほとんどの人が考えてしまうからです。

しかし、憲法に自衛隊が明記されれば、憲法の基本原理である平和主義や憲法9条の解釈に大きな修正が加えられることは憲法論的に避けられませんから、憲法に自衛隊を明記する憲法改正が実現されるだけで国の方針などに大きな変更が及ぼされる懸念も指摘することができます。

たとえば、意外と議論されない事項として武器(兵器)の輸出があります。憲法に自衛隊が明記されれば、武器(兵器)の輸出が憲法上、無制限に許容されるようになるという問題です。

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閣議決定による「武器輸出三原則」の破棄によって武器(兵器)の輸出が憲法上論理的に「合憲」になるわけではない

この点、 現在の政権(安倍政権)は2014年(平成26年)4月1日の閣議決定で歴代の政府が国是として採用してきた「武器輸出三原則」を国民の同意を得ることなく勝手に破棄して事実上、武器(兵器)の輸出を解禁してしまいましたので(※参考→防衛装備移転三原則について|内閣官房ホームページ)、憲法9条を改正しようとしまいと、既に武器(兵器)の輸出は日本において許容されているとも思えます。

しかし、それはあくまでも政府の解釈であって、武器(兵器)の輸出が憲法上「合憲」と確定的に言えるようになったわけではありません。

そもそも歴代の政府が「武器輸出三原則」を国是として採用し、武器(兵器)の輸出の一切を事実上否定してこれまで国政を運営してきたのは、武器(兵器)の輸出を解禁すること自体が日本国憲法が基本原理として採用した平和主義の理念に矛盾してしまう点にあるからです。

日本国憲法はその前文で

「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」

と述べることで自衛戦争も含めたすべての戦争を放棄する立場を明らかとするだけでなく、

「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたい」

と、また

「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

と述べて、世界から世界から紛争や貧困をなくすための行動を惜しまないことを明確に宣言しています。

つまり日本国憲法は、武力(兵器)によって国の安全保障を確保する行為自体を根本から否定し、世界から紛争や貧困を排除して世界平和を実現することを要請しているわけです。

このような日本国憲法の思想に鑑みれば、武器(兵器)の輸出は思想的に相容れません。武器(兵器)の輸出を解禁してその武器(兵器)を世界に拡散させれば、世界から紛争や貧困をなくすどころか、世界に紛争と貧困をまき散らし、平和を破壊することになるのは明らかだからです。

武器(兵器)の輸出を許容する思想は、日本国憲法の思想と根本的に相容れません。だから歴代の政府は「武器輸出三原則」を国是として採用し、一切の武器(兵器)の輸出を禁じてきたわけです。

武器(兵器)の輸出は日本国憲法の思想と矛盾することになり、それを許容すればその武器(兵器)の輸出を認める国の政策自体が違憲性を帯びてしまうので、歴代の政府は武器(兵器)の輸出の解禁を一切、許容してこなかったと言えるのです(※この点の詳細は→武器・兵器の輸出が日本国憲法で違憲と解釈される理由)。

憲法に自衛隊が明記されるだけで武器(兵器)の輸出が無制限に「合憲」と解釈されるようになる理由

このように、歴代の政府が「武器輸出三原則」を国是として採用し、武器(兵器)の輸出の一切を禁止してきたのは、武器(兵器)の輸出が日本国憲法の基本原理である平和主義の理念と矛盾するからであり、武器(兵器)の輸出を容認する政策自体が日本国憲法の思想と相容れないからに他なりません。

では、このような憲法の平和主義との関係性を前提として考えた場合、憲法に自衛隊が明記されると、その武器(兵器)の輸出の制限にどのような変更が生じうるのでしょうか。

この点、憲法に自衛隊が明記されれば、その自衛隊は「国民が国民投票で認めた憲法上の組織」となりますから、憲法の解釈もそれに伴って変更される必要が生じます。

国民が自衛隊を憲法に明記したという事実は、国民が日本国という国家権力に対して「武力(兵器)」を用いて国の安全保障を確保する権能を与えたということを意味しますから、憲法の文言も「武力(兵器)を用いた国の安全保障を確保する」ことを加味して解釈しなければならないからです。

先ほど説明したように、日本国憲法はそもそも平和主義を基本原理として採用し「武力(兵器)を用いないで」世界の平和を実現するところにその神髄がありますが、憲法に自衛隊という「武力(兵器)」を前提とする組織が明記されれば、その憲法の基本原理である平和主義も「武力(軍事力)を前提としない平和主義」から「武力(軍事力)を前提とする平和主義」に変質してしまうことになりますから、憲法の基本原理である平和主義の解釈も「武力(兵器)」を前提とした思想に立って解釈しなければならないことになるでしょう。

そうすると当然、これまで否定されてきた武器(兵器)の輸出についても、憲法上の解釈が修正されても差し支えないことになります。

憲法に自衛隊が明記されれば、国民が国家に対して「武力(兵器)」を用いて憲法の平和主義の理念を実現する為の権能を与えたことになるからです(※詳細は→憲法9条に自衛隊を明記すると平和主義が平和主義でなくなる理由)。

憲法に自衛隊が明記された後の日本国憲法は、その基本原理に平和主義という思想が残されていても、その平和主義はこれまでの「武力(兵器)を否定した平和主義」から「武力(兵器)を容認する平和主義」に変質してしまいますから、政府が政策で武器(兵器)の輸出を容認しても、憲法の基本原理である平和主義や、世界から紛争や貧困をなくすという崇高な思想と矛盾しないことになってしまいます。

つまり、憲法に自衛隊を明記した後の日本国憲法においては「武力(武器・兵器)によって世界の平和を実現して世界から紛争や貧困をなくすんだ」という理屈も成り立つことになるわけです。

武器(兵器)の輸出が憲法の基本原理や根本思想と矛盾しないということは、憲法の違憲性が生じる余地がないということに他なりませんので、憲法に自衛隊が明記された後の日本国憲法においては、もはや政府が武器(兵器)の輸出を解禁する政策を「違憲だ」と否定する論理的ロジックは成り立ちえません。

そのため、憲法に自衛隊を明記する憲法改正が実現されれば、国は無制限に武器(兵器)の輸出を解禁することが憲法上「合憲」になると言えるわけです。

武器(兵器)の輸出が無制限に容認されるということは、世界に紛争や貧困をまき散らす「死の商人」になるということ

このように、憲法に自衛隊が明記されれば、論理的に考えれば日本国憲法の平和主義は「武力(兵器)を否定する平和主義」から「武力(兵器)を容認する平和主義」に変質してしまうことになりますので、その後の日本は武器(兵器)の輸出に制限が掛けられなくなり、無制限に武器(兵器)の輸出ができる国になってしまいます。

そうなれば当然、政府は閣議決定で「武器輸出三原則」を破棄して武器(兵器)の輸出を容認した今以上に、より積極的に武器(兵器)の輸出を拡大させることは間違いありません。

自民党やいわゆる改憲勢力は、最終的には国防軍を憲法に明記して強大な「軍」によって国の安全保障を確保することを目指していますが、周辺諸国と対等な軍事的バランス関係を保ち軍事力の抑止力によって国の安全保障を確保するためには、膨大な国家予算を必要としますので軍需産業の拡大は喫緊の課題となり、武器(兵器)の輸出を拡大させなければ「軍」の維持ができなくなってしまうからです。

そうなれば当然、日本はアメリカのように世界に武器(兵器)を輸出する必要性から、世界に紛争をまき散らすようになります。世界で紛争をまき散らさなければ、メイドインジャパンの兵器を買ってくれる国も現れないからです。

つまり、もし憲法9条を改正して憲法に自衛隊を明記すれば、武器(兵器)の輸出に歯止めがかからなくなる結果、国が政策として積極的に武器(兵器)の輸出を拡大させることになり、日本が武器商人となって武器(兵器)を売りまくり、世界に紛争をまき散らして金儲けにひた走る、アメリカのような国になるわけです。

そうなれば当然、日本人は世界の国の人から恨まれるようになります。世界の紛争地域に日本人が入り込めば武器商人の手先と思われて拉致されるでしょうしテロの標的にもなるでしょう。

もちろん、そのような国になることが「悪い」というわけではありませんので、「”死の商人”になって金儲けしたいんだ」という人がいるのなら憲法に自衛隊を明記する憲法改正に賛成すればよいですし、むしろ賛成すべきです。

しかし、このような日本国憲法における平和主義の変質に気付かないまま憲法改正に同意すれば、本来意図しない危険と負担を将来世代の国民に押し付けることになることは十分に認識しなければなりません。