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学術会議の任命問題、静岡県知事の「教養レベル」発言は「上から目線」だったのか

(1)平成30年の内部文書の内容

平成30年に内閣府と内閣法制局が協議した内容の記載された内部文書とは、具体的には同年11月13日に内閣府日本学術会議事務局が作成した「日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について」と表題された文書の事を差します。

この文書は東京新聞社がサイト上でPDFファイルを公開していますので誰でもダウンロードすることができますが、具体的にどのような解釈が述べられているのか、その結論部分を確認してみましょう。

3.日学法第7条第2項に基づく内閣総理大臣の任命権の在り方について

内閣総理大臣による会員の任命は、推薦された者についてなされねばならず、推薦されていない者を任命することはできない。その上で、日学法第17条による推薦のとおりに内閣総理大臣が会員を任命すべき義務があるかどうかについて検訳する。

(1) まず、

①日本学術会議が内閣総理大臣の所轄の下の国の行政機関であることから、憲法第65条及び第72条の規定の趣旨に照らし、内閣総理大臣は、会員の任命権者として、日本学術会議に人事を通じて一定の監督権を行使することができるものであると考えられること
②憲法第15条第1項の規定に明らかにされているところの公務員の終局的任命権が国民にあるという国民主権の原理からすれば、任命権者たる内閣総理大臣が、 会員の任命について国民及び国会に対して責任を負えるものでなければならないこと

からすれば、 内閣総理大臣に、 日学法第17条による推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えないと考えられる。

※出典:平成30年11月13日内閣府日本学術会議事務局「日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について」より引用

結論部分は「内閣総理大臣に日本学術会議法第17条による推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」としていますので、この解釈に従えば、日本学術会議法第7条及び17条に基づく学術会議の推薦は絶対的なものではなく内閣総理大臣が学術会議の推薦に従わないことも許されるということになります。

そのため、菅政権はこの内部文書の記述を引用して「内閣総理大臣に日本学術会議法第17条による推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」から、今回学術会議に推薦された会員105名のうち6名を任命しなかったのは違法ではない、と説明しているわけです。これが菅政権の理屈です。

(2)平成30年の内部文書が結論付けた「内閣総理大臣に学術会議から推薦されたとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」の違法性

では、この内部文書が結論付けた「内閣総理大臣に日本学術会議法第17条による推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」との解釈は、日本学術会議法の解釈として成り立つのでしょうか。

この点、上に挙げた平成30年の政府内部文書の結論部分は「内閣総理大臣に推薦のとおりに任命すべき義務があるとは言えない」とした理由について、①と②の2つを根拠にその正当性を論じていますので、以下それぞれその理屈が成り立つか、検討してみましょう。

ア)平成30年の内部文書の3.(1)①の理屈は成り立つか

まず、平成30年の内部文書の結論部分で論じられている①の理屈が成り立つか検討します。

この点、平成30年の政府内部文書の「3.(1)①」では「内閣総理大臣に推薦のとおりに任命すべき義務があるとは言えない」との解釈を導く理屈として次のように述べられています。

①日本学術会議が内閣総理大臣の所轄の下の国の行政機関であることから、憲法第65条及び第72条の規定の趣旨に照らし、内閣総理大臣は、会員の任命権者として、日本学術会議に人事を通じて一定の監督権を行使することができるものであると考えられること

※出典:平成30年11月13日内閣府日本学術会議事務局「日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について」より引用
A)「所轄」には監督権は含まれない

この①は「日本学術会議が内閣総理大臣の所轄の下の国の行政機関であること」を理由に、内閣総理大臣が「人事を通じて一定の監督権を行使することができる」と結論付けていますので、学術会議が内閣総理大臣の「管轄」の下にあることを理由に「内閣総理大臣に推薦の通りに任命すべき義務があるとは言えない」との帰結を導くことができるのかが問題となります。

この点、この部分の趣旨は、日本学術会議法第1条2項が「日本学術会議は内閣総理大臣の所轄とする」と規定されていることから、内閣総理大臣が日本学術会議を「所轄」するのであれば行政の長たる内閣総理大臣に所轄する行政機関を監督する権限があるはずだから、その「監督権」に基づいて人事権を行使することも認められるべきだ、との主張であると思われます。

日本学術会議法第1条2項

日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。 

しかし、有斐閣の法律学小辞典〔第3版〕でも解説されているように「所轄」とは「ある程度独立性をもつ機関が、形式的に他の機関の下に属する状態をいう」のであって監督権までを含む概念ではありませんから、日本学術会議が内閣総理大臣の「所轄」の下にあるとしても、それは単に行政機関の一つとして内閣総理大臣の組織の下に形式的に位置付けられるという意味にとどまり、その「所轄」という文言から内閣総理大臣の監督権までを導くことはできません。

したがって、日本学術会議法第7条の「内閣総理大臣の任命」に関して「日本学術会議が内閣総理大臣の所轄の下の国の行政機関であること」を理由に、内閣総理大臣が「人事を通じて一定の監督権を行使することができる」と結論付けた平成30年の内部文書の①のその部分は、法令上の解釈に誤りがあると言えますので、この理屈をもって「内閣総理大臣に推薦の通りに任命すべき義務があるとは言えない」との帰結を導くことはできないものと解されます。

B)憲法第65条と同72条を根拠に内閣総理大臣の任命拒否権を認めることはできない

次に、先ほど挙げた平成30年の内部文書の①は「憲法第65条及び第72条の規定の趣旨に照らし、内閣総理大臣は、会員の任命権者として、日本学術会議に人事を通じて一定の監督権を行使することができる」とも述べていますので、憲法第65条と同72条を根拠に「内閣総理大臣に推薦の通りに任命すべき義務があるとは言えない」との帰結を導くことができるのか検討します。

この点、憲法第65条は「行政権と内閣」について、同72条は「内閣総理大臣の職権」について規定していますから、内部文書の結論部分①のこの部分は、「憲法で内閣総理大臣に行政各部を指揮監督する権限が与えられているのだから、日本学術会議が法第1条で内閣に所轄する以上、学術会議の推薦に必ずしも従わなくてよいはずだ」という主張を述べているものと思われます。

日本学術会議法第1条2項

日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。 

日本国憲法第65条

行政権は、内閣に属する。

日本国憲法第72条

内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。

しかし、憲法第65条は内閣が行政全般に統括権を持つことを意味しますが、すべての行政について直接に指揮監督権をもつことまで要求しているわけでありませんから(※芦部信喜著、高橋和之補訂「憲法」岩波書店314頁)、個々の行政組織に内閣の指揮監督権を及ぼすか否かは個別の法律に委ねられることになるものと解されます。

そうであれば、なるほど憲法第72条に「内閣総理大臣は…行政各部を指揮監督する」と規定されてはいますが、日本学術会議法が第1条で「所轄」と規定することで学術会議を内閣総理大臣の下に形式的な行政組織の一つとして配置した趣旨から考えれば(※「所轄」の意味は前述の「A」で説明したとおりです)、学術会議の会員任命に内閣総理大臣の指揮監督権が及ぶと解釈することはできません。

したがって、この内部文書の①は「憲法第65条及び第72条の規定の趣旨に照らし、内閣総理大臣は、会員の任命権者として、日本学術会議に人事を通じて一定の監督権を行使することができる」と述べていますが、日本学術会議法第1条が内閣総理大臣の監督権を含めない趣旨で「内閣総理大臣の管轄」と規定しているにもかかわらず、憲法第65条と同72条の規定から直接に内閣総理大臣の指揮監督権を持ち出して日本学術会議に当てはめたところに憲法解釈の誤りがあると言えますから、この理屈を持って「内閣総理大臣に推薦の通りに任命すべき義務があるとは言えない」と言えるものではないと解されます。

イ)平成30年の内部文書の3.(1)②の理屈は成り立つか

では、先ほど挙げた平成30年の政府内部文書の結論部分のうち「3.(1)」の②の理屈はどうでしょうか。②は「内閣総理大臣に推薦のとおりに任命すべき義務があるとは言えない」との解釈を導く理屈として次のように述べています。

②憲法第15条第1項の規定に明らかにされているところの公務員の終局的任命権が国民にあるという国民主権の原理からすれば、任命権者たる内閣総理大臣が、 会員の任命について国民及び国会に対して責任を負えるものでなければならないこと

※出典:平成30年11月13日内閣府日本学術会議事務局「日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について」より引用

これは恐らく、憲法第15条第1項に「公務員の選定・罷免権」が規定されていることから、これを根拠に「憲法15条の公務員の選定・罷免権は憲法の基本原理である国民主権原理の要請だから、学術会議が内閣総理大臣の所轄とされその会員が公務員となる以上、主権者たる国民の代表者である内閣総理大臣にその任命拒否権が与えられるのは当然だ」と言いたいのだと思います(※ちなみに、元大阪府知事の橋下徹弁護士もテレビの討論番組などでこの理屈を盛んに主張していらっしゃいます)。

日本国憲法第15条1項

公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

※なお、憲法第15条の「公務員」とは「広く立法・行政・司法に関する国および地方公共団体の事務を担当する職員」のことを言います(※芦部信喜著「憲法」岩波書店:252頁高橋和之補訂部分参照)。

C)憲法第15条を根拠に内閣総理大臣の公務員選定罷免権を認めれば独裁制になってしまう

しかし、そもそも憲法第15条は国民主権原理の要請から主権者である国民に公務員の選定罷免権を与えたことを確認する規定であって、その主権者である国民から社会契約によって権限の委譲を受けた内閣総理大臣という政府の代表者(国家権力)に対して公務員の選定罷免権を無制限に付与する趣旨のものではありません。

仮にこの内部文書の結論部分②のように憲法第15条を根拠にして「内閣総理大臣は国民を代表しているのだから」という理由ですべての公務員の選定罷免権を内閣総理大臣に認めるというのであれば、それは内閣総理大臣がその一存で立法・行政・司法その他あらゆる公務員を選任し罷免できる権限を持つことになるということであって、それはすなわち独裁制と同じですから自由と民主主義を目的とした日本国憲法の思想を根源から覆してしまいます(※参考→菅首相は憲法15条1項を振りかざして関東軍になろうとしている説)。

したがって、憲法第15条に「公務員の選定・罷免権」が規定されていることを持ち出して国民主権原理を根拠に「内閣総理大臣に推薦のとおりに任命すべき義務があるとは言えない」との結論を導き出した②のこの部分は、憲法第15条と日本学術会議法第1条の誤った解釈を前提としていると言えますので、この理屈を持って「内閣総理大臣に推薦の通りに任命すべき義務があるとは言えない」との理屈は成り立つものではないでしょう。

D)日本学術会議の会員は「統治権を国民に代わって行使する公務員」ではない

また、そもそも憲法第15条1項が「公務員の選定・罷免権」を主権者である国民に置いているのは、憲法の基本原理の一つである国民主権原理の側面から、国民が主権者として国政(政治・統治)に参加することを確認するためであって、参政権的性格がその背景にあります。

国民主権は、国の政治(統治)の在り方を終局的に決定する力が国民に帰属するという思想を基礎に置きますから、その国を統治する力を主権者である国民に代わって行使する公務員は主権者である国民が選任し罷免すべきだという思想が、憲法第15条1項の基礎にあるわけです。

これに対して、日本学術会議法は先ほど説明したように「科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させること(法第2条)」を目的としており、政府から独立した立場から科学的見地に立って学問的な知見を国政(政治・統治)に反映させ、国民生活を科学の観点から発展させていくところにその意義がありますので、これは「国民の政治参加」という参政権的側面よりも、学問の専門家が科学的見地からその国民の政治参加によって実現される国政(政治・統治)を助ける役割を担うという「科学の政治反映」を背景にしています。

つまり、憲法第15条1項は主権者である国民を代理して統治権を行使する公務員(これが憲法第15条1項が予定する公務員)について規定している一方、日本学術会議法はその統治権を国民に代わって行使する公務員とは独立した立場から科学的見地に立って助言等をする公務員(これが日本学術会議法が予定する学術会議の会員)について規定しているので、同じ公務員とは言っても、その求められる役割が違うわけです。

日本学術会議の会員はなるほど公務員であるとはしても、憲法第15条1項が予定する主権者である国民に代わって統治権を行使する公務員とは本質的に異なるわけですから、国民主権原理の要請から憲法第15条1項で主権者である国民に「公務員の選定・罷免権」があるとしても、それをそのまま日本学術会議法にあてはめて、「公務員の選定・罷免権は国民主権原理からの要請だから、学術会議の会員も公務員である以上、その任命拒否権が主権者である国民を代表する内閣総理大臣に与えられるべき」と考えることは原理的にできないのです。