広告

学術会議の任命問題、静岡県知事の「教養レベル」発言は「上から目線」だったのか

先日、菅義偉首相が日本学術会議の推薦した会員候補105名のうち6名を任命しなかった問題に関連して静岡県の川勝平太知事(※以下、単に「静岡県知事」)が言及した批判的な意見が、SNS上で炎上する事件がありました。

静岡県知事が具体的にどのような発言で菅首相を批判したのかは、SNS上で多く共有されていた静岡朝日テレビのネット記事で報じられていますので、その内容を確認してみましょう。

「菅義偉という人物の教養のレベルが図らずも露見したということではないか。菅義偉さんは秋田に生まれ、小学校、中学校、高校を出られて、東京に行って働いて、勉強せんといかんと言うことで(大学に)通われて、学位を取られた。その後、政治の道に入っていかれて。しかも時間を無駄にしないように、なるべく有権者と多くお目にかかっておられると。言い換えると、学問された人ではない。単位を取るために大学を出られた」

※出典:https://look.satv.co.jp/_ct/17399056

この静岡県知事の発言に対して、「学歴差別だ」とか「上から目線だ」とか「(教養のレベルが低いという)レッテル貼りだ」とか「自分の意見と違うからといって教養がないなどと言うべきじゃない」などと批判する意見がSNS上で多く投稿され、いわゆる”炎上”現象が発生したわけです。

批判するSNSユーザーの多くは菅政権支持者(自民党支持者)のものでしたが、過去に菅・安倍政権(自民党政権)を批判するツイートをしているアカウントからの批判も見受けられましたので、この静岡県知事の批判を不愉快に思う人は菅政権(自民党政権)支持層以外にもある程度はいたのかもしれません。

もっとも、私は当初、いったい何に対して多くのユーザーが腹を立てているのか、正直分かりませんでした。

私がこの炎上事件に気づいたのは10月9日(金)の夕方ごろだったと記憶していますが、「学問の自由」が民主主義の実現に不可欠な人権である以上、それを破壊する菅政権に「教養」を見出すことはできません。そのため「教養のレベルが図らずも露見した」という言葉に噛みついている多くのSNSユーザーの気持ちが理解できなかったのです。

しかし、この静岡県知事の発言を批判するツイートなどをいくつか見ていくうちに、炎上した理由がどこにあるのか、何となく理解できるようになりました。

なぜ理解できるように思えたかというと、それは学問の目的である「真理の探究」の観点から考えて、静岡県知事の意図した発言の趣旨と、その発言を批判している人たちの視点が本質的にズレていることに気づいたからです。

※なお、静岡県知事は2020年10月16日にこの「教養レベル」発言について謝罪し公式に撤回しています→静岡知事が「教養レベル露見」発言を撤回 菅首相に謝罪の意 – 産経ニュース
広告

菅首相が日本学術会議から推薦された会員を任命しなかったのは何が問題だったのか

まず、そもそもこの静岡県知事の発言は、日本学術会議が推薦した会員候補105名のうち6名について菅首相が「総合的・俯瞰的な活動を確保する観点」を理由に任命しなかった問題が発端になっていますので、この問題を簡単に整理しておきましょう。

日本学術会議は日本学術会議法という法律に根拠づけられた組織ですが、その設立趣旨や活動目的、職務や権限等は日本学術会議法でおおよそ次のように説明されています。

設立趣旨(使命)

科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与すること(日本学術会議法前文)。

目的

わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させること(同法第2条)。

所轄

内閣総理大臣の所轄とする(同法第1条)

財政

学術会議の経費は、国庫の負担とする(同法第1条)

職務・権限

日本学術会議は、独立して
① 科学に関する重要事項を審議し、その実現を図る(同法3条1号)
② 科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させる(同法3条2号)
③科学の振興及び技術の発達に関する方策について政府に勧告する(同法5条1号)
④ 科学に関する研究成果の活用に関する方策について政府に勧告する(同法5条2号)
⑤ 科学研究者の養成に関する方策について政府に勧告する(同法5条3号)
⑥ 科学を行政に反映させる方策について政府に勧告する(同法5条4号)
⑦ 科学を産業及び国民生活に浸透させる方策について政府に勧告する(同法5条5号)
⑧ その他学術会議の目的の遂行に適当な事項について政府に勧告する(同法5条6号)

また、政府から諮問を受けた次の事項について答申を出すことができます。
① 科学に関する研究、試験等の助成、その他科学の振興を図るために政府の支出する交付金、補助金等の予算及びその配分(同法第4条1号)
② 政府所管の研究所、試験所及び委託研究費等に関する予算編成の方針(同法第4条2号)
③ 特に専門科学者の検討を要する重要施策(同法第4条3号)
④ その他日本学術会議に諮問することを適当と認める事項(同法第4条4号)

法律にはいろいろと書いてありますが、簡単に言えば、政府から独立した立場で学問的見地に立って専門的な意見を政府に伝えることで科学的知見を政治に反映させ、国民の生活を科学の観点から良くしていくために設立されたのが日本学術会議ということでしょう。

一応、内閣総理大臣の「所轄」になっていますし(※「所轄」の意味については後述します)、経費は国庫(税金)から支弁されるわけですから行政の一機関という位置づけですが、科学的見地から政府(国家権力)に勧告や答申を行うことになるので政治的見地から独立していなければなりません。なので「独立して(法第3条)」とされているわけです。

また、学術会議の会員は210名で組織されますが(法第7条1項)、任期は6年とされていて、3年ごとにその半数(105名)が日本学術会議の推薦に基づき、内閣総理大臣によって任命され入れ替えられることになっています(同条2項ないし3項)。

日本学術会議法第7条

第1項 日本学術会議は、210人の日本学術会議会員(中略)をもって、これを組織する。
第2項 会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。
第3項 会員の任期は、6年とし、3年ごとに、その半数を任命する。

今回問題となっているのは、この内閣総理大臣の任命の部分です。法律では「学術会議の推薦に基づいて」と規定されているにもかかわらず、菅首相がその推薦に「基づかず」に「総合的・俯瞰的な活動を確保する観点」を理由に6名の推薦を無視して任命しなかったことが、問題になっているわけです。

内閣総理大臣に会員の任命拒否権はあるのか

このように、菅首相が日本学術会議の推薦に従わず日本学術会議から推薦された会員候補者105名のうち6名を任命しなかった点が問題になっているわけですが、ではそもそも日本学術会議法は内閣総理大臣に学術会議会員の任命拒否権を与えているのでしょうか。

この点についての政府の説明が、日本学術会議法が現行法に改正された昭和58年当時と、現在の菅政権とで矛盾することが今回の学術会議任命問題を複雑にしていますので、以下簡単に解説していきましょう。

(1)法律の趣旨や目的から考えれば内閣総理大臣に任命拒否権はない

この点、まず日本学術会議法が制定された趣旨や目的から考えれば、内閣総理大臣に会員の任命拒否権はないと考えざるを得ません。

なぜなら、日本学術会議には政治権力からの高度な独立性が求められるからです。

先ほど説明しましたが、日本学術会議は科学者の代表機関として科学の向上発達を図り、行政や産業・国民生活に科学を反映浸透させることを目的としており、政府(国家権力)から独立した立場から科学的見地に基づく専門的な意見を政府に勧告又は答申等し、国民生活を科学の観点から良くしていくために組織されるものですから、国家権力の不当な支配力が及ばないようその独立性は最大限に保障されなければなりません。

仮にその独立性が損なわれ、政府(国家権力)が学術会議を支配するようになれば、学術会議は政府に都合の良い意見しか言わない御用学者集団と化してしまうことになり、政府に対して科学的見地から批判的意見を述べる会員(学者)がいなくなってしまうからです。

学術会議の独立性が損なわれてしまえば、そもそも日本学術会議法を制定した意味が失われてしまいますから、自己矛盾に陥ってしまいます。

ですから、日本学術会議の独立性は最大限に保障されなければならないわけです。

このように考えた場合、内閣総理大臣に学術会議の会員の任命拒否権を与えることは当然にできません。内閣総理大臣に学術会議の会員の任命拒否権を与えてしまえば、政府(国家権力)はその任命拒否権を最大限に行使して学術会議の人事に介入することになり、学術会議の独立性が阻害されて日本学術会議法の制定趣旨や目的を実現させることができなくなるからです。

内閣総理大臣に学術会議の会員の任命拒否権が与えられれば、内閣総理大臣は学術会議から推薦された会員の任命を政府の都合で自由に拒否することができるようになりますので、内閣総理大臣は政府に都合の良い意見を述べる学者だけを任命し、学問的見地から政府に批判的な意見を述べる学者は排除するようになります。

学術会議から政府を批判する学者がいなくなれば、政府はどんな悪政をとっても学術会議から批判を受けなくて済み、世論の批判も減らすことができるからです。

政府は学術会議から批判されない方が政治をしやすいので、内閣総理大臣に会員の任命拒否権が与えられれば、内閣総理大臣は政府に都合の良い意見を述べる学者だけを任命し、政府に批判的な意見を述べる学者は排除するようになるわけです。

そうなれば日本学術会議は事実上、政府と同化し政府と一体化することになりますから、もはや独立した存在ではなくなってしまいます。しかしそれでは日本学術会議法の制定趣旨や目的を果たすことはできません。

日本学術会議が御用学者集団と化し政府と一体化してしまえば、学術会議は独立性を失って日本学術会議法の趣旨も目的も実現できなくなるので、日本学術会議法という法律が内閣総理大臣に会員の任命拒否権を与えること自体が日本学術会議法という法律を自己矛盾に陥らせてしまうわけです。

ですから、日本学術会議法の制定趣旨や目的から考えれば、内閣総理大臣に学術会議の会員の任命拒否権は与えられるはずがないと考えられるのです。

なお、この「内閣総理大臣に学術会議の会員の任命拒否権は与えられていない」という解釈は日本学術会議法の条文からも読み取ることができます。具体的には第7条と17条、そして第25条と26条です。

ア)「内閣総理大臣に学術会議会員の任命拒否権が与えられていない」ことは法第7条と第17条の規定から明らかにわかる

日本学術会議法第7条2項は学術会議の会員を選ぶに際して学術会議の「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」としていますが、その学術会議の推薦は「優れた研究又は業績がある科学者のうちから…選考」されることになっていますので(同法第17条)、会員候補となる学者に「優れた研究又は業績がある」と判断するのは学術会議です。

日本学術会議法第17条

日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。

日本学術会議会員候補者の内閣総理大臣への推薦手続を定める内閣府令

日本学術会議法(中略)第17条の規定に基づき、日本学術会議会員候補者の内閣総理大臣への推薦手続を定める内閣府令を次のように定める。

日本学術会議会員候補者の内閣総理大臣への推薦は、任命を要する期日の30日前までに、当該候補者の氏名及び当該候補者が補欠の会員候補者である場合にはその任期を記載した書類を提出することにより行うものとする。

学術会議を組織する学問の専門家が「優れた研究又は業績」が「ある」と判断した学者を会員候補者として「選考」し、内閣総理大臣に「推薦」するわけです。

これは勿論当然です。内閣総理大臣は政治家であって学問の専門家ではないので、その会員候補となる学者に「優れた研究又は業績がある」か否か判断できないからです。そのため日本学術会議法第7条2項は「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」としているのです。

こう考えると、学術会議から推薦された学者を内閣総理大臣が任命しないことは許されないと考えざるを得ません。学問の専門家でもない内閣総理大臣にはその学者に「優れた研究又は業績」があるか否か判断できないので、結局は学術会議から推薦された学者を機械的に任命するしかないからです。

このように、日本学術会議法第7条と17条の趣旨から考えれば「内閣総理大臣に学術会議の会員の任命拒否権は与えられていない」との解釈を導くしかありませんので、この「内閣総理大臣に学術会議の会員の任命拒否権は与えられていない」との解釈は日本学術会議法第7条と17条の条文からも明らかであると言えるのです。