イ)「内閣総理大臣に学術会議会員の任命拒否権が与えられていない」ことは法第25条の規定からも明らかにわかる
なお、「内閣総理大臣に学術会議の会員の任命拒否権は与えられていない」ことは日本学術会議法の第25条の規定からも明らかに分かります。
日本学術会議法の第25条は会員に「病気その他やむを得ない事由」があった場合における会員からの辞職の申出にかかる規定を置いていますが、そこでは内閣総理大臣が会員の辞職を承認する場合であっても「日本学術会議の同意を得」ることが要件として規定されているからです。
【日本学術会議法第25条】
内閣総理大臣は、会員から病気その他やむを得ない事由による辞職の申出があつたときは、日本学術会議の同意を得て、その辞職を承認することができる。
つまり、法第25条はたとえ会員自身が自分の自由意思で学術会議の会員を辞めたいと申し出た場合であっても、内閣総理大臣が「はいそうですか」とその辞任を認めることはできず、「日本学術会議の同意」が得られた場合にようやく内閣総理大臣がその辞職を申し出た会員の辞職を「承認」することができる構造になっているわけです。
このように、日本学術会議法という法律は、学術会議の会員自身が自らの意思で辞職を申し出た場合でさえ「日本学術会議の同意」を要件として課すことで内閣総理大臣の独自の判断による「辞職(の承認)」を排除しているわけですから、辞職と表裏一体の関係にある「任命」の際においても当然に、内閣総理大臣の独自の判断による「任命(の拒否)」は排除されていると考えなければなりません。
ですから、この日本学術会議法第25条の規定から考えても「内閣総理大臣に学術会議の会員の任命拒否権は与えられていない」ことは明らかであると言えるのです。
ウ)「内閣総理大臣に学術会議会員の任命拒否権が与えられていない」ことは法第26条の規定からも明らかにわかる
ちなみに、「内閣総理大臣に学術会議の会員の任命拒否権は与えられていない」ことは日本学術会議法の第26条の規定からも明らかに分かります。
日本学術会議法の第26条は会員に「会員として不適当な行為があるとき」における退職の規定を置いていますが、そこでは「会員として不適当な行為があるとき」においてその会員を退職させる場合であっても「日本学術会議の申出に基づ」かなければならないことが要件として規定されているからです。
【日本学術会議法第26条】
内閣総理大臣は、会員に会員として不適当な行為があるときは、日本学術会議の申出に基づき、当該会員を退職させることができる。
つまり、法第26条はたとえ会員にたとえば犯罪行為のような誰が考えても学術会議の会員としてふさわしくない「不適当な行為」があり退職させる必要があったとしても、内閣総理大臣の判断でその会員を退職させることはできず、「日本学術会議の申出」があった場合にようやく内閣総理大臣がその「日本学術会議の申出に基づ」いて退職させることができる構造になっているわけです。
このように、日本学術会議法という法律は、学術会議の会員に犯罪行為など誰が見ても「不適当な行為」があって退職させる必要がある場合でさえ、内閣総理大臣が「日本学術会議の申出に基づかずに退職させること」を排除しているわけですから、退職と表裏一体の関係にある「任命」の際においても当然に、内閣総理大臣が「学術会議の推薦に基づかずに任命しないこと(任命拒否権)」は排除されていると考えなければなりません。
ですから、この日本学術会議法第26条の規定から考えても「内閣総理大臣に学術会議の会員の任命拒否権は与えられていない」ことは明らかであると言えるのです。
(2)昭和58年に政府は「形式的任命」「学会の方から推薦をしていただいた者は拒否しない」と答弁している
次に、政府が日本学術会議法における内閣総理大臣の任命拒否権についてどのような解釈をとっているのか検討しますが、政府解釈は過去の国会答弁で確認することが可能です。
この点、日本学術会議法が現行法に改正される際に法第7条及び17条の解釈が議論された昭和58年の参議院文教委員会の議事録には以下のような記録が残されています。
それから、いまちょっとお話にございましたように、何か法令上の根拠もという風に書いてございます。その辺私どもは、これは全く形式的任命であると考えているわけでございます。研連に二百十名の会員候補者の割り当てを行って、そこから二百十名出てくれば、これはそのまま総理大臣が任命するということでございまして、それが二百十名出るとか何とかであれば問題外ですが、そういう仕組みになっておりません。そういう意味で、私どもは全くの形式的任命というふうに考えており、法令上もしたがってこれは形式的ですよというような規定、ほかにも例がございませんが、書く必要がないと判断して現在の法案になっているわけでございます。
※出典:昭和58年5月10日参議院文教委員会議事録第7号7ページ政府委員(手塚康夫君)答弁部分より引用
これは、学会やらあるいは学術集団から推薦に基づいて行われるので、政府が行うのは形式的任命にすぎません。したがって、実態は各学会なり学術集団が推薦権を握っているようなもので、政府の行為は形式的行為であるとお考えくだされば、学問の自由独立というものはあくまで保障されるものと考えております。
※出典:昭和58年5月12日参議院文教委員会議事録第8号34ページ国務大臣(中曽根康弘君)答弁部分より引用
(中略)ただ、今度の改正は、そういう大事な学術会議でございますから、学術会議がりっぱに機能あるいは使命を果たしていただくために選出方法を、近ごろいろいろと選出方法について意見も出ておりまするし、また学者離れだ云々というような嫌なことも耳にしておりまするので、今度はいわゆる推薦制にしていこうということでございまして、その推薦制もちゃんと歯どめをつけて、ただ形だけの推薦制であって、学会の方から推薦をしていただいた者は拒否しない、そのとおり形だけの任命をしていく、こういうことでございますから、決して決して総理の言われた方針が変わったり、政府が干渉したり中傷したり、そういうものではない。
※出典:昭和58年11月24日参議院文教委員会議事録第2号22~23ページ国務大臣(丹羽兵助君)答弁部分より引用
こうして議事録を確認すると、昭和58年当時の政府が日本学術会議法における会員の推薦に関して「内閣総理大臣に任命拒否権はない」と考えていたことがわかります。
昭和58年5月10日の文教委員会では「二百十名出てくれば、これはそのまま総理大臣が任命するということでございまして」「全くの形式的任命というふうに考えており」と述べたうえ「法令上も…これは形式的ですよと…書く必要がないと判断して現在の法案になっている」とまで述べていますから、当時の政府が学術会議から推薦された会員を機械的に内閣総理大臣が任命することは当然の帰結として現行法の第7条と17条を制定させていたことは明らかです。
また、同年5月12日には当時の中相根首相まで「政府が行うのは形式的任命にすぎません」と答弁していますから、当時の政府が法第7条の「内閣総理大臣の任命」はあくまでも形式的なもので、内閣総理大臣が学術会議から推薦された会員の任命を拒否することはできないと考えていたことは明らかでしょう。
加えて、同年11月24日にも政府は「学会の方から推薦をしていただいた者は拒否しない」としたうえで「政府が干渉したり中傷したり、そういうものではない」と述べていますから、当時の政府が、『この学者は政府を批判したことがあるから』とか『この学者は政府の考えとは異なる考えを持っている』などと学術会議から推薦された学者を「中傷」して推薦に「干渉」し任命を拒否することは、全く考えていなかったことは明らかだったと言えます。
ではなぜ、昭和58年当時の政府がこのように学術会議から推薦された会員の任命に関して「形式的任命」だと説明し「内閣総理大臣に任命拒否権はない」と答弁していたかというと、それはもちろん、先ほどの(1)で説明したように国家権力が日本学術会議に対して不当な支配力を行使しないように歯止めをかけておく必要があるからです。
日本学術会議は政府(国家権力)から独立した立場で政府に勧告したり答申を出すことで国民の発展と幸福に寄与することを求められる組織ですから、学術会議には政府(国家権力)の支配から独立した立場で学問的見地から、たとえ政府に批判的な意見であっても発言できることが担保されなければなりません。
そのためには、学術会議という組織体だけでなくそれを構成する個々の学者についても国家権力から「中傷」されたりされることなく研究し学問的見地から発言できる機会が担保されなければなりませんし、学問の専門家の組織体である学術会議によって「優れた研究又は業績がある」と判断された学者が推薦されれば、内閣総理大臣に「干渉」されることなくその学者が任命されなければなりません。
そのため、昭和58年当時の政府は、日本学術会議法の趣旨や目的に立ち返って法第7条の「内閣総理大臣の任命」の意味を検討し「内閣総理大臣に任命拒否権はない」との解釈を示したわけです。
菅政権の「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」との解釈はどこが問題なのか
このように、昭和58年当時の政府は、日本学術会議法の趣旨や目的を逸脱することなく(1)で説明したのと同じように「内閣総理大臣に任命拒否権はない」との解釈をとっていました。
そしてこの取り扱いが現在まで継続されてきた「はず」なのですが、ところが今回、菅首相は学術会議の推薦に「基づかず」に「総合的・俯瞰的な活動を確保する観点」を理由として、学術会議から推薦された会員候補者105名のうち6名を任命しませんでした。
しかし、昭和58年当時の政府は「形式的任命」「学会の方から推薦をしていただいた者は拒否しない」と答弁していたわけですから、菅政権が「総合的・俯瞰的な活動を確保する観点」で任命しないのは当時の政府解釈と整合性がとれませんので、常識的に考えればこれは法解釈の変更がなされたということになります。
そうなると、いったいいつ政府は日本学術会議法の法解釈を「内閣総理大臣に任命拒否権はない」から「内閣総理大臣に任命拒否権はある」に変更したのかという点が問題となるわけですが、この件に関して加藤勝信官房長官は2020年10月2日の記者会見で、2018年(平成30年)に内閣府と内閣法制局が協議し「解釈を確認した」ことを明らかにしました(日本学術会議の任命拒否 2018年に解釈変更か:東京新聞 TOKYO Web)。
この2018年(平成30年)の内閣府と内閣法制局による協議の内容をこれまで公開してこなかった理由について菅政権は「解釈に変更を加えたものではないので、直ちに公表する必要はなかった」と説明していますが、2020年10月6日に開かれた野党の会合でその協議内容を記録した内部文書を公開しています(政府、任命拒否可とする内部文書を18年に作成 国民には説明せず:東京新聞 TOKYO Web)。
この内部文書の内容については後で詳しく論じていきますが、日本学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が会員を任命することについては「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」と結論付けられています。
つまり菅政権は、今回菅首相が学術会議から推薦された会員候補者を任命しなかったのは、平成30年に内閣府と内閣法制局が協議して「推薦と任命に関する法制局の考え方が整理された」結果として「内閣総理大臣に学術会議から推薦されたとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」との「解釈を確認した」だけだから、昭和58年当時の政府解釈を「変更」したわけではない(昭和58年の改正当時から推薦されたとおりに任命すべき義務はないという解釈だったから今回任命しなかったことに違法性はない)と言いたいわけです。
【東京新聞2020年10月3日付】
学者の立場から政策提言する国の特別機関「日本学術会議」の新会員候補6人の任命見送り問題を巡り、加藤勝信官房長官は2日の記者会見で、首相の任命権を定めた日本学術会議法について2018年に内閣府と内閣法制局が協議し「解釈を確認した」と明らかにした。確認した内容には触れなかったが、この時に任命拒否も認められるとの解釈に変更した可能性がある。
※出典:https://www.tokyo-np.co.jp/article/59309
なぜ菅政権が法解釈の変更を認めずあくまでも「確認した」と言い張るのかは不明ですが、おそらく今年(2020年)初めに検察官の定年延長にからんで検察庁法の解釈を違法に変更したこと(※後付けの理屈として解釈を変更していたことにしたこと)が問題になったからでしょう。
検察官の定年延長問題では、検察庁法の改正案が政府の裁量で検事総長等の定年等を延長できる構造だったことが問題となり検察官の独立性や公平性、中立性が損なわれるなどと大きな批判をあびましたが、政府はこの批判をかわすために「重大かつ複雑困難事件の捜査」等の場合は定年延長できるという趣旨で従前の検察庁法の解釈をこっそり変更して(後付けで解釈を変更したことにして)定年延長を正当化しました(※この点の詳細はこちらの記事が詳しいです→検察官の勤務延長及び定年延長の特例措置を定めた検察庁法の一部改正案並びに検事長の勤務延長に関する国家公務員法の解釈変更の閣議決定に関する意見書|第二東京弁護士会)。
そのため今回、菅政権は「解釈を変更した」としてしまうと検察庁法改正のときと同じように批判されてしまうので、あえて「(解釈の)変更」とは言わずに「確認した(解釈を変更したわけじゃなく前からそうだったのを確認しただけだから違法じゃない)」と誤魔化している(と考えられる)わけです。
こうした菅政権のごまかしがこの問題の理解を複雑にしている原因にもなっているわけですが、菅政権が「解釈の変更」を認めず「確認した」と言い張っている問題は別としても、菅政権はこの平成30年の内部文書に記載された「内閣総理大臣に学術会議から推薦されたとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」との解釈で学術会議から推薦された会員候補者を「総合的・俯瞰的な活動を確保する観点」で任命しない取り扱いをしており、そのことが今回問題となっていますので、この平成30年の内部文書に記述された日本学術会議法に関する法解釈の適法性に疑義が生じます。
では、この平成30年の内部文書が述べた「内閣総理大臣に学術会議から推薦されたとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」との解釈に違法性はないのでしょうか。