「押し付け憲法論を明らかに嘘だと批判し反論できる15の理由

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(5)当時の民間グループが作成した憲法草案においても現行憲法と類似する憲法規定が多く採用され公表されていたこと

現行憲法がアメリカや連合国の「押し付けだ」と言う人は、現行憲法の草案がGHQ民生局が作成して日本側に提示した憲法草案を基にしていることを根拠に「押し付けだ」と言いますが、こういう主張をする人はそもそも当時の国民の間で行われていた新憲法の議論を全く理解していません。

なぜなら、当時の日本国内では民間グループが作成した多くの憲法草案が公表されて国民的な議論が行われていましたが、その中には現行憲法に通じるような先進的な憲法規定も多く存在し国民から多くの賛同を得ていた事実があるからです。

GHQが日本政府にGHQ草案を提示したのは1946年(昭和21年)の2月13日ですが、それより前の1945年12月から翌年の春にかけては日本の各政党や民間グループが独自の憲法草案を作成して新聞や雑誌で発表しています(※参考→日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要)。

そしてその中には憲法研究会が作成した憲法草案のように、現行憲法に通じる極めて自由主義的な思想を多く包含した条文が明記され国民の間でも好評を得ていた事実がありますから(※憲法研究会が憲法草案を公表したのは1945年12月26日です)、GHQが憲法草案を日本政府に提示するよりももっと前に、既に日本人の中で現行憲法に通じるような憲法草案の議論は進められていたということが明らかであったと言えるのです(※参考→GHQ草案は日本人が作った憲法草案の影響を受けている?)。

また、GHQはこれら日本人の民間グループが作成し公表した憲法草案を逐次収集して翻訳して研究していましたが、その研究成果が民生局のラウレルによって1946年1月11日までに「私的グループによる憲法改正草案(憲法研究会案)に対する所見」という形でまとめられていて、GHQ民生局はこのレポートを憲法草案作成の重要な資料としてGHQ草案を作成しています(※参考→「憲法草案はGHQが1週間で作った」が明らかに嘘である理由)。

ですから、そもそもGHQ草案自体が完全なGHQオリジナルな代物ではなく、そのGHQ草案自体も日本人の民間グループが作成した憲法草案の影響を少なからず受けていると言えるのです。

このような事実があったことを踏まえれば、GHQ民生局が作成した憲法草案が日本側に提示された事実があったとしても、結局は日本人が当初から望んでいた憲法草案がそもそも存在していて、そこにGHQが作成した憲法草案が提示されたことにより、日本人とGHQの両者の思惑が合致したのが現行憲法の日本国憲法であって、決してGHQから「押し付けられた」ものでなかったのは容易に理解できると思います。

(6)当時の世論調査でも現行憲法に多数の賛成があったことが認められること

現行憲法が「押し付けられた」と主張する人は、当時の国民が現行憲法など望んでいなかったような口調でそう語りますが、これも当時の国民の意識と乖離しています。

現行憲法の憲法草案はまずその「憲法改正草案要綱」が作成されて1946年(昭和21年)3月6日に新聞等で国民に公表され、その要綱をひらがな口語体の条文にした「憲法改正草案(内閣草案)」が同年4月17日に改めて国民に公表されていますが、この憲法草案については当時の毎日新聞が2000人を対象に世論調査を行い、国民の憲法草案に関する意識を調べています。

その世論調査の結果は同年5月27日に新聞紙上で公開されていますが、そこでは現行憲法の「象徴でしかない」天皇制については「支持する:1702人(85%)」「支持しない:263人(13%)」「不明:35人(1.7%)」、憲法9条の戦争放棄条項の必要性については「必要がある:1395人(70%)」「必要ない:568人(28%)(※自衛権まで放棄する必要がない:101人、前文のみで足りる:13人)」、憲法9条に修正を加えるべきかについては「修正の必要なし:1117人(56%)」「自衛権を保留するよう修正すべき:278人(14%)」という回答が得られています(※憲法制定の経過に関する小委員会報告書の概要(衆憲資第2号)|衆議院46~47頁参照)。

このような事実に鑑みれば、現行憲法については当時の国民の多数が賛成し歓迎していたことが容易に推測できますので、この点を考えても決して当時の国民が現行憲法をアメリカや連合国から「押し付けられた」などと認識していなかったことは明らかと言えます。

(7)GHQの「押し付け的要素」があったとしてもそれは当時の日本政府に対するもので日本国民に対するものではなかったこと

現行憲法を「押し付けられた」と考える人の多くは、当時の日本が連合国軍の占領下にあったことから、占領軍の影響力を理由に当時の「国民」が「押し付けられた」と主張していますが、これもおかしな話です。

なぜなら、仮に当時の日本政府が連合国側から憲法制定作業の関与を受けた事実に「押し付け的な要素」があったとしても、その「押し付け的要素」は当時の「日本政府」という国家権力に向けたものであり、当時の日本「国民」に対してのものではないからです。

現行憲法は明治憲法の改正手続きに沿って制定されていますから、憲法草案は帝国議会の衆議院と貴族院でそれぞれ議論されて可決されて制定されていますが、その採決が行われた衆議院は1946年(昭和21年)4月10日の衆議院議員選挙で当選した議員によって組織されています。

では、その衆議院議員選挙において占領軍が有権者に銃剣を突き付けて憲法草案に賛成票を投じるであろう候補者に投票することを強制していた事実などがあったかというと、もちろんそんな事実はありません。

そもそも、現行憲法の憲法草案を可決した1946年8月24日の衆議院本会議では「賛成421、反対8」の圧倒的多数の賛成で可決されているものの(※参考→日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要)8名の議員が反対票を投じているのですから(ちなみに共産党は6人全員が反対)、仮に当時の進駐軍が衆議院選挙の際に国民を脅して投票を操作したというのなら、その衆議院の採決で反対票を投じた議員に投票していた何十万人かの国民は虐殺されるか投獄されるかしていなければなりませんが、もちろんそんな事実もないわけです。

当時の日本政府はGHQの民生局が作成した憲法草案の提示を受けてそれをたたき台にして憲法草案を作成しましたから、それがGHQの「押し付け」ではなかったとしても「押し付け的な要素」が全くなかったとは言えませんが、当時の国民はその「押し付け的な要素」すらも受けていなかったことは純然たる事実です。

ですから、当時の「国民」が現行憲法を「押し付けられた」という主張は、明らかに事実ではないと言えるのです。

なお、当時の議員が進駐軍から衆議院採決で賛成票を投じるよう強制させられていたんだというような主張をする人がいますが、それも明らかに嘘と言えます(※参考→日本国憲法は「占領軍に銃剣を突きつけられて」制定されたのか)。

(8)松本委員会や衆議院の小委員会における修正で憲法草案の重要部分に日本側の意思も反映されていること

現行憲法がアメリカや連合国の「押し付けだ」と言う人は、GHQ民生局が作成した憲法草案(GHQ草案・マッカーサー草案)が日本政府に提示されそれがたたき台になって制定された経緯があることをもって「押し付けだ」と言いますが、これはそもそもおかしな話です。

なぜなら、GHQ民生局が作成したGHQ草案がそのままの形で現行憲法の日本国憲法として制定されているわけではないからです。

いわゆる「押しつけ憲法論」を吹聴する人たちは「憲法はGHQが作ったんだ!」などと言いふらしますが、それは確定的なデマゴーグに他なりません。

そもそもGHQが作ったのは「憲法」でも「憲法草案」でもなく「GHQ草案」という「憲法草案の元になる原案」です。そしてその提示を受けた日本政府がそのGHQ草案をたたき台にして「3月2日案」を作成し、その「3月2日案」を基にGHQと折衝を行って「憲法改正草案要綱」が作成され、それからさらに「帝国憲法改正草案(内閣草案)」が作成され、それが帝国議会の衆議院に提出され、衆議院の小委員会でさらに部分的な修正が施され、衆議院で可決された後の貴族院でも若干の修正が加えられたうえで制定されたのが現行憲法の日本国憲法です。

そして、その衆議院の小委員会(通称「芦田委員会」)では、例えば憲法9条に関しては9条の1項文頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という文章を、また2項の文頭に「前項の目的を達するため」という文章を挿入していますが、その2つの文章を挿入した意図について委員長の芦田均は、9条で戦争放棄や戦力不保持、交戦権否認を宣言するに至った動機が世界平和の実現を念願する意思にあったことを明確にするために1項の文頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」の文章を挿入し、その部分で述べた世界平和の実現に関する熱意を的確に表明するために「前項の目的を達するため」と挿入したと帝国議会の衆議院本会議において説明していますし(※参考→芦田修正に基づく憲法9条の解釈はなぜ採用されないのか)、当時の吉田首相も同様の趣旨の答弁を行っています(※参考→憲法9条の戦争放棄を吉田茂首相はどう帝国議会に説明したのか)。

つまり当時の日本政府は、GHQ草案では「侵略戦争だけを放棄」していたにすぎなかった9条の戦争放棄条項を、あえて日本政府の側の独自の判断で「自衛戦争も含めたすべての戦争を放棄する」ものに変えて憲法9条の原案(憲法草案)を作成したと説明したうえで、その「日本の積極的な意思で自衛戦争をも放棄すること」を明確に条文で意思表示するために9条の1項と2項の文頭に2つの文章を挿入したと国会で答弁し、その答弁を基に衆議院で圧倒的多数で可決される形で9条を制定させていたわけです(※参考→芦田修正に基づく憲法9条の解釈はなぜ採用されないのか)。

このような事実があることに鑑みれば、「平和主義」という憲法の基本原理に密接に関連する9条に日本政府の独自の意思が反映されたことは明らかなのですから、現行憲法が単にGHQ草案を基にした「押し付け憲法」なのではなく、十分に日本側の意思も反映された日本国民の自由な意思の表明により制定された憲法であることは明らかと言えます。

なお、ここで述べた憲法9条以外にも、GHQ草案になかった生存権規定(憲法第25条)の挿入や、GHQの提示した一院制の議員制度を二院制に変更した点など、憲法の重要部分について大きな修正が加えられている部分が存在しますので、その点を考えても現行憲法が日本側の自由な意思の表明として制定されたものであることは明らかと言えます(※参考→衆議院憲法審査会作成「日本国憲法の制定過程」に関する資料(衆憲資90号)の19頁参照)。

(9)完全な自由選挙で選任された議員の組織する帝国議会の衆議院で圧倒的多数の賛成で可決されていること

現行憲法がアメリカや連合国に「押し付けられた」と主張している人は、当時の日本国民の自由意思を無視してアメリカや連合国が新憲法(現行憲法)を「押し付けた」と言いますが、果たしてそうでしょうか。

現行憲法は手続き的には明治憲法(大日本帝国憲法)の改正手続きを経て制定された経緯がありますが、松本委員会とGHQ民生局が折衝を繰り返してまとめられた憲法草案は明治憲法で定められた手順に従って帝国議会の衆議院に提出され議論されたうえで 「賛成421、反対8」の圧倒的多数の賛成で可決されています(※参考→日本国憲法が制定されるまでの過程とその概要) 。

そしてその採決を行った衆議院は、1946年4月10日に実施された戦後初の衆院選で当選した議員によって組織されていますが、その衆院選は女性にも参政権が解放された初めての完全な自由選挙として実施されただけでなく、投票率は「男性79%、女性67%」もあったそうですから(※参考→新選挙法で初の総選挙(第22回総選挙)|昭和毎日)その衆議院の採決が民意を反映したものであったことは明らかと言えます。

この点、国民投票が実施されなかったことから国民主権の観点から考えて直接民主制としての確認手段を用いた国民の民意確認が不足していたという指摘もありますが、後述の(10)でも述べるように、当時の日本は極東委員会やマッカーサーから国民投票を行って新憲法(現行憲法)の再検討(憲法の作り直し)を実施するよう強く求められていたにもかかわらず、当時の政府も国民をそれを2年間も無視し続けた事実が歴然として存在します(※参考→国民投票を経ていない現行憲法は制定手続に不備があるといえるか)。

つまり当時の日本国民は、「国民投票をやらせてもらえなかった」のではなく、極東委員会(連合国)やマッカーサーから「国民投票をやれと言われたのにやらなかった」のですから、当時の国民が現行憲法を歓迎していたことは明らかです。

ですから、このような事実を踏まえれば、現行憲法が当時の日本国民の自由な意思の表明として制定されたことに疑いをはさむ余地はないと言えます。

(10)極東委員会とマッカーサーから憲法施行後2年以内に国民投票を行い憲法を再検討しろと指示されながら2年間も無視し続けたこと

現行憲法が「押し付けられた」と主張する人たちは、当時の日本が連合国に占領された状態にあったことを根拠として国民が自由な意思で憲法を制定することが事実上制限されていたと主張して「押し付けだ」と騒ぎ立てていますが、これも間違いです。

なぜなら、当時の日本政府と国民は、連合国の極東委員会やマッカーサーから新憲法(現行憲法)が施行された後の2年以内に憲法の再検討を行い国民投票を実施して憲法を再度制定し直すか国民が自主的に判断するように強く求められていた事実があるからです。

ポツダム宣言では「日本国国民の自由に表明せる意思」に従って責任ある政府が樹立されることが求められていましたから、日本の新憲法は連合国側の「押し付け」的なものであってはなりません。

【ポツダム宣言※一部抜粋】

12 前記諸目的目的が達成せられ且つ日本国国民の自由に表明せる意思に従い平和的傾向を有し且つ責任ある政府が樹立せらるるにおいては連合国の占領軍は直ちに日本国より撤収せらるべし

出典:ポツダム宣言|国会図書館※読みやすくするため「カタカナ文語体」を「ひらがな表記」に変更しています。

しかし当時の極東委員会の中には、日本の新憲法制定(明治憲法の改正)手続きにGHQの関与があったことから「日本の新憲法が本当に日本国民の自由な意思」に基づいて制定されたものだったのかという点に疑義を持つ委員もいたため、極東委員会は1946年(昭和21年)10月17日に「日本の新憲法の再検討に関する規定」という政策決定を出しています。

この政策決定は憲法施行後1年から2年以内に日本政府と日本国民自身において新憲法(現行憲法)を受け入れるのか再検討することを要求し国民投票を行って国民の賛否を問うことを求めるものであり、1947年(昭和22年)の1月3日にマッカーサーから書簡によって当時の吉田首相に伝達され、同年3月30日には新聞紙上で公表される形で国民にも周知されています。

つまり当時の日本政府と日本国民は、極東委員会(連合国)やマッカーサー(アメリカ政府)から「この新憲法(現行憲法)が嫌ならもう一度議論をやり直して憲法をつくり直しなさいよ」「国民投票を実施して新憲法(現行憲法)をこのまま使い続けるのか確認しなさいよ」と強く求められていたわけです。

にもかかわらず、当時の日本政府と国民はこれを2年間にわたって全く無視し続け、憲法改正の議論を一切行いませんでした(※参考→憲法の再検討を勧めたマッカーサー、それを拒否した日本人)。

この点に関しては昭和電工疑獄事件が起きたことから政局が混乱したことを理由に「国民投票をしたくてもできなかった」などという屁理屈をこねる人がいますが、2年間も無視し続けて当時の国民から国民投票を要求するような世論が一切生じなかったことを考えれば、当時の国民が国民投票を望んでいなかったのは明らかでしょう(※参考→国民投票を経ていない現行憲法は制定手続に不備があるといえるか)。

このように、当時の日本政府と国民が極東委員会やマッカーサーから憲法の再検討や国民投票を実施してその賛否を確認することを強く求められていたにもかかわらず、それを2年間も無視し続けたことを考えれば、当時の国民が新憲法(現行憲法)を粛々と受け入れ、むしろ歓迎していたことは明らかなのですから、現行憲法は決して「押し付け」などではなかったと言えるです。